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この展覧会はルーヴル美術館の全8部門に保管されている資料・合計270点によって4000年に及ぶ「地中海世界の歴史」を概観しようとする企画である。
以下、章別にお気に入りの品々を挙げていく。 序章 地中海世界-自然と文化の枠組み 1.敵対する海世界の四大文明のうちのメソポタミア文明の関心はもっぱらチグリス・ユーフラテス川の下流に向かっており、エジプト文明の関心はナイル川の上流に向かっていたため、古代の地中海では、メソポタミアやエジプトの影響は受けつつも、かなり独自の文化が成立していったようである。 古代の地中海は、種々の民族の闘いの舞台ともなっていたが、一方、同じ地中海性気候の産物である小麦、ワイン、オリーヴによって共通の文化圏を構成し、活発な交易も行われていた。 序章の第3節「島から島へ」では、ロドス島・クレタ島・キプロス島・シチリア島に関連する資料が展観されていた。 例えば、↑中の《打ち出し装飾付き杯、通称「ダリの杯」》は、東地中海を拠点としたフェニキア人による金銀細工の見事な作品である。これはキプロス島の出土品であるが、打ち出された絵柄には、敵を討つファラオや翼のあるスフィンクスなど、エジプトの図像が使われており、地域間の交流があったことが窺える。 また、↑右の垂れ飾りは、ロドス島の共同墓地から出てきたもので、単眼鏡で仔細に見ると、オリエントの女神・猫の頭部、女性の頭部、植物などが刻まれていることが分かった。ギリシアの金細工師が東西の海上交流の中心に位置したロドス島で制作したものであるということが重要なのである。 第Ⅰ章 地中海の始まり-前2000年紀から前1000年紀までの交流 1.他者を描く(エウロペの神話、エジプト美術とオリエント美術における異邦人、ギリシア術における異邦人)地中海を介した大陸間の初期の交流と国際化は、紀元前2000年前後から緩徐に発展していったようである。自国にない素材や新技術の品々は特に宮廷や寺院で珍重され、人の移動によって神話や宗教も広がっていった。交易に不可欠な欠かせない言語が普及したのもこの時代で、東方のフェニキア人のアルファベットから、ギリシア文字やラテン文字が誕生した。 ↑中の銀製の《杯と碗》は、エジプトのトード神殿で発見されたルーヴルの至宝であるが、今回は形や浮彫装飾の異なる6点が展示されていた。これはシリア北部で制作されたものと推定されており、異国からの交易品としてエジプトにもたらされたもののようである。神殿の遺跡で発見された際には、青銅の箱に膨大な数の銀杯や金・銀・ラピスラズリの宝飾品が収められていたとのことである。 ↑左の《柄と注ぎ口のついた容器、通称「ソース入れ」》は、今回の展示品では最も古いもの。素朴な形が美しい。黄金製であるが、金を産出しないギリシア本土で発見されたことから、異国との交易品と考えられている。残念ながら、正確な用途は不詳とのこと。 海洋大国として前1600年代から全1100年代の間、地中海の大部分を掌握したギリシャのミケーネで制作された品々が、ミケーネはもとより、キプロスやロドス島からの出土品として展示されていた。 メソポタミアの「楔形文字」の代表的なものである「アッカド文字」で記された粘土板の手紙が出ていたが、これはエジプト王宛てのものであり、エジプトで出土していることが面白かった。エジプト王がこの外国文字を読めなかったとしても、お付きの学者が読めたのだろう。 同様に、アッカド楔形文字で文書が刻印された円筒印章がシリアの港から出てきており、当時、楔形文字がメソポタミア以外の地域でも読まれていたことの証左となっていた(註: アッカド帝国)。 22文字のアルファベットである「フェニキア文字」の発明は画期的なものであるが、今回はこのフェニキア文字が銘記された品々が、フェニキア(現レバノン)はもとより、キプロスにもあったことが示されていた(註: フェニキア人の交易路)。 フェニキアの植民都市カルタゴ(現チュニジア)の祭壇には、フェニキア文字から派生したカルタゴの「ポエニ語」とともに、ギリシャ語とラテン語が刻されており、アルファベット進展の証拠となっていた。 一方、エジプトの象形文字「ヒエログリフ」(神聖文字)が表に、ラテン語が裏に刻まれた壺が出ており、さらに神聖文字・ギリシア文字・民衆文字が刻まれていて、ヒエログリフ解読の決定的な証拠となったロゼッタストーンのレプリカも展示されていた。 もともとこのロゼッタストーンを発見したのはフランスのナポレオン軍であり、その解明をしたのもフランス人・シャンポリオンだったのであるが、エジプトにおける英仏戦争でフランスが負けた結果、ロゼッタストーンは大英博物館に収蔵されているのである。今回、このレプリカを本展に出展したルーヴル関係者の悔しさが伝わってきた(参照)。 宗教に関しては、ギリシャ人はエジプトの神々をギリシアの神々に対応させていたことを示す彫像がいくつか出ていた。 例えば《彫像断片:ディアデマ(宝石入り帯状髪飾り)を冠したエジプトの地母神イシスの頭部》↓は、エジプトの冥界の神「オシリス」の妻「イシス」が、エジプトの愛の女神「アフロディテ」(さらにローマの「ヴィーナス」)と関係づけられたのである。 以上、地中海四千年の歴史の半分の約二千年のものがたりを書き終ったので、残りの二千年、すなわち第2章以降は第3報に別記させていただくこととする。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-07-22 21:10
| 国外アート
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