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ルドン(1840-1916)については、1993年5月に「岐阜県美術館」を訪れた時の記憶が今もはっきりと残っている。HP「美術散歩」から「岐阜県美術館」と題したその時の記事を引用する↓。
大垣で開かれた研究会の夜は長良川ホテルに泊った。あいにくの雨ではあったが、鵜飼の屋形船で食事を するという趣向はなかなかのものであった。翌朝はうってかわった快晴で、私は岐阜駅からバスで15分のところにある岐阜県美術館に出かけた。この美術館はルドンのコレクションで有名である。チケット↓もルドンの「目を閉じて」である。期待通り、ルドンの鮮やかな色彩は、立派な前庭の5月の緑に映えて見事であった。今回の展覧会は2013年5月。その間に20年もの月日が流れているが、季節は同じ。看板の下のツツジが美しい。 今回の展覧会は、初期・黒の時代・色彩の時代の三章構成で、黒の時代に注目して出かけたのだが、実際には初期の展示から学ぶところが多かった。 第1章 幻想のふるさとボルドー 夢と自然の発見: ここでは、ルドンに多大な影響を与えた3人について詳しく知ることができた。 1)スタニスラス・ゴランStanislas Gorin (1824 ‐74): 海洋画を得意としたウジェーヌ・イザベイの弟子。ルドンは15歳ごろ、このゴランに就いてデッサンを習っている。今回は、ゴランの水彩画が3点出ていた。《アブデルカルのボルドー出航》↓、《海の火災》、《ランドの農場》である。 2)アルマン・クラヴォーArmand Clavaud(1828-1890): ルドンは、17歳の時、この植物学者と知己になった。今回の展覧会には、裸子植物や藻類の素描が3点出ていたが、ルドンはこの学者から動物と植物との中間的生物の存在を教えられたという。クラヴォ‐は芸術愛好家で、ルドンは彼からボードレールの「悪の華」やフローベルの「ボヴァリー夫人」の刊行を教えられ、インド詩ヤスピノザ哲学の知識も得たという。 3)ロドルフ・ブレスダンRodolphe Bresdin(1822‐85): ルドンは、23歳時、このさすらいの銅版画家の弟子となった。ブレスダンの銅版画は今回10点も展示され、ルドンの銅版画6点とともに、見ごたえがあった。プレスダンの銅版画の中には怪奇的なイメージが描きこまれているものがあり、それらは後年のルドンの黒い画に影響しているのではないかと思った。 ↓はブレスダンの《善きサマリア人》、↓↓はルドンの《浅瀬(小さ騎馬兵のいる)》。 ・『夢の中で』1879年: 《1.孵化》や《2.発芽》などの生物学的なタイトルはクラヴォーの影響かもしれない。《8.幻視》↓には既に目の玉が登場している。 ぼくは十二、三歳のころ絵かきになろうと学校の図書館で『世界美術全集』をみた。その中に、目の玉があくまでも空に昇る絵をみた。”ルドン”と書いてあった。不可思議な絵をかくものがいるなあ、と思う一方、ぼくも妖怪が好きだったから、ルドンがいるなら妖怪だって許されるのだ、と思い気を強くした。続いて制作された 『エドガー・ポーに』1882年↓、ダーウィンの死に触発された『起源』1883年↓↓、『ゴヤ頌』1885年↓↓↓の中にも目の玉や顔が描かれた版がある。 しかし、このルドンの色彩豊かな人物画、静物画、物語画にはいずれも夢幻的な趣がある。ルドンの画に色彩が戻ってきたというよりも、天然色になった夢が描かれるようになったというべきなのではなかろうか。 以下に、いくつかの画像をアップしてこの記事を終える。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-05-31 11:37
| 国外アート
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