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私自身が漱石の「三四郎」や「虞美人草」を読んだのは学生時代のことであるが、たまたま中学・高校で一緒だった友人が漱石の研究者となり、時折その著書を送ってきてくれていたので、そのたびごとに漱石への関心を呼び覚まされていた。 展覧会に出かける前にネットで「吾輩ハ猫デアル」を読もうとして検索したところ、無料オーディオブック「吾輩ハ猫デアル」に遭遇した。これはコンピュータ自動生成の読みで、関西弁のアクセント。読み間違いが多いが、猫が読んでいると思えばひどく可笑しいものだった。 閑話休題。 漱石は、日本美術やイギリス美術に造詣が深く、作品中これらにしばしば言及しているが、今回の展覧会には、漱石の文章に関連している美術作品が多数展示されていた。 漱石の文学作品や美術批評に登場する画家の作品を可能なかぎり集めたということであるが、これは言うは易く行うは難きことであることは云うまでもない。実際にはパネル表示に止まっていたものも少なくなかったが、これは止むを得ないところである。 例えば、ターナー《 雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》はパネル展示となっていたが、これに対応する「三四郎」の文章は↓のようである。 ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描えがくまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。藤島武二《蝶》のパネル展示の文を読んでいるところで、偶然、旧知の高階秀爾先生にお会いしたので、ご挨拶した。 自分としては、キャプションに書かれている漱石の文章を熟読し、漱石の眼を通して作品を見ていくことにした。 こうしていくと、漱石が相当に厳しい批評的な目で作品を細部にわたって見つめ、それを作品の中で正直にあるいは多少皮肉を込めて表現していたことに気付いた。 私自身、ホームページやブログで、結構厳しい感想を書くこともあるが、漱石もこのように鋭い意見を正直に表明していたのだった。 そろそろ各論に入る。 序章 「吾輩」が見た漱石と美術: この章の説明が面白い。猫の「吾輩」が苦沙弥先生ならぬ漱石と美術の関わりを見事にまとめている。ここは必読。 例えば、ターナーの《金枝》(テイト蔵)と漱石の「坊ちゃん」。 「坊ちゃん」の中には次のようなくだりがある。 「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。(中略) すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。という訳で、この展覧会に《金枝》↓が登場しているのである。ターナーについては、漱石は、「草枕」や「文学論」でも触れているとのこと。 ウォーターハウスの《シャロットの女》↓がリーズ市立美術館から来ていた。見事な画である。 ロセッティの《レディ・リリス》↓も「薤露考」との関連出品。この画は何回も見た気がするが、今回の展示品は水彩画である。 二王子幽閉の場と、ジェーン所刑の場については有名なるドラロッシの絵画がすくなからず余の想像を助けている事を一言していささか感謝の意を表する。漱石が言及しているドラローシュの画は《レディ・ジェーン・グレイの処刑》や《ロンドン塔の王子たち》であって、今回の展覧会ではパネル展示↓となっていた。 そこには、おびただしい豚の群れが飼ってあった。悪霊どもはイエスに「もしわたしどもを追い出すのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」と云った。イエスが「行け」と云うと、彼らは豚の中へはいり込んだ。すると、豚の群れ全体が、崖から海へなだれを打って駆け下り、水中で死んでしまった。漱石の文章は以下のようである。 庄太郎は仕方なしに、持っていた細い檳榔樹の洋杖で、豚の鼻頭を打った。豚はぐうと云いながら、ころりと引っ繰り返って、絶壁の下へ落ちて行った。(中略) この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、遥の青草原の尽きる辺から幾万匹か数え切れぬ豚が、群をなして一直線に、この絶壁の上に立っている庄太郎を目懸けて鼻を鳴らしてくる。(中略) 不思議な事に洋杖が鼻へ触りさえすれば豚はころりと谷の底へ落ちて行く。ホガースの《選挙》と《当世風の結婚》の版画が出ていたが、これは漱石の「文学評論」の中で取り上げられているとのこと。 漱石がイギリス滞在中に手に入れたと思われる展覧会カタログや美術書がいくつも出ていたが、その中に漱石自身の鉛筆の書込みがあるのを見出して、しばし凝視した。 例えば、王立美術館「昔日の巨匠展」のカタログには、レオナルドの《モナリザ》とルイーニの《聖家族》のところにX印が付けられており、ベイリスの「ヴィクトリア時代の五代画家」という書物には、Leightonという書き込みがあり、ブラウンの「美術」(大学公開講座シリーズ)には、ギリシャ彫刻の「大理石表面の仕上げ」や中世彫刻の「色彩」についての文章の下に下線が引いてあった。 第2章 漱石文学と古美術: 最初に、漱石遺愛品の売り立て目録と下値付入札目録が出てきた。展示は表紙だけだったが、表紙よりも、その中身を知りたいところであった。 伝秋月等観の《達磨図》は比較的穏やかな絵だったが、漱石は「雪舟と異なる風格の絵」とし、「生きた絵と死んだ絵」があるという厳しい言葉を使っている。 狩野探幽の《詩仙図巻》が出ていたが、漱石が実際に見たのは、日記によると、詩仙堂の濃彩バージョン。 伊年の《四季花卉図屏風》については、津田青楓への書簡の中で、漱石は「鶏頭は良いが、紫陽花はダメ」とハッキリ書いている。これに対する津田青楓の反論と手紙も紹介されていた。 与謝蕪村の《漁夫臨雨行》は、漱石の「夢十夜」関連作品として出ていた。主人公の見たのは襖絵であって、今回の展示作とは似て非なるものなのかもしれない。 岡本豊彦の《苫船図》(画像→京博DB)については、漱石は日記の中で、「波は、模様に非ず、写生に非ず」と感心していたとのこと。じっと波を見つめてみたが、漱石との共感はイマイチだった。 森一鳳の《藻刈舟図》については、日記の中で、「藻刈=儲かる」とのオジンギャクを飛ばしている。 谷文晁の《富士山群鷺図》と漱石の日記の文章が対応されていたが、十分には納得できなかった。 渡辺崋山の《黄梁一炊図》→が出ていた。 これは、邯鄲の夢を題材にしたものだが、この絵を仕上げるため、崋山は切腹を一週間延ばしたという有名な作品。さすがの漱石もこれにはケチをつけていない。 荒井経の酒井抱一《虞美人草屏風》の推定試作が出ていた。ヒロイン・藤尾の死の枕元に逆さに置かれた二曲屏風の試作。銀地にひなげし(虞美人草)。九つの赤の花弁に加えて、紫の花弁が一つだけ描かれている。私は後者が藤尾を象徴しているのだと解釈した(青空文庫)。 第3章 文学作品と美術 『草枕』『三四郎』『それから』『門』 まずは「草枕」関係から(青空文庫)。与謝蕪村《竹渓訪隠図》は、「草枕」の主人公の世界。 小林萬吾の雑誌口絵《草まくら》には、那古井のお嬢さんの花嫁姿。これに対応する漱石の文章は↓。 不思議な事には衣装いしょうも髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影おもかげが忽然こつぜんと出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。今回、ミレイの《オフィーリア》はパネル展示だったが、直接これに関連した文は↓である。 長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島まを追懸かけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。能面《姥》と長沢蘆雪の《山姥図》が出ていた。これに対応する漱石の文は↓である。 画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂の媼と、蘆雪のかいた山姥ばのみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄ものすごいものだと感じた。紅葉のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生の別会能を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。「草枕」には伊藤若冲の《鶴図》にも言及されているが、そちらは一本足の鶴、今回の展示は二本足の鶴。チラシに載っている若冲の《梅と鶴》の鶴は一本足。これは後期に展示される。これはどうでも良いことだが、すでに漱石が「奇想の画家・若冲」に注目していたのである。漱石の若冲に関する文章は↓。 若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっと乗のっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつの趣おもむきは、長い嘴はしのさきまで籠こもっている。「草枕」関係は、以上の他にも、池大雅《藤十二景図》、黄檗僧・高泉性敦の一行書《松吟没字詩》、松岡映丘の《湯煙(草枕)》、松岡映丘らの《草枕絵巻》など見どころ豊富だった。漱石の高泉に関する文は↓。 余は書においては皆無鑒識のない男だが、平生から、黄檗の高泉和尚の筆致を愛している。隠元も即非も木庵もそれぞれに面白味はあるが、高泉の字が一番蒼勁でしかも雅馴である。次は「三四郎」(青空文庫)。藤島武二の《池畔納涼》は、東大の三四郎池を連想させるが、この作品は1900年のパリ万博に出ていた。漱石はこのパリ万博を見ているから、この画も多分見ているのだろう。この画が「三四郎」に登場する野々宮よし子のイメージに関係したのだろうか。これに関する漱石の文章の概略は下記。 ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖がけの木立こだちで、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向いて立っていた。三四郎のしゃがんでいる低い陰から見ると丘の上はたいへん明るい。女の一人はまぼしいとみえて、団扇うちわを額のところにかざしている。顔はよくわからない。けれども着物の色、帯の色はあざやかにわかった。白い足袋の色も目についた。鼻緒の色はとにかく草履をはいていることもわかった。(中略) はなやかな色のなかに、白い薄を染め抜いた帯が見える。頭にもまっ白な薔薇を一つさしている。その薔薇が椎の木陰こかげの下の、黒い髪のなかできわだって光っていた。鏑木清方の《秋宵》は、今までに何回も見ているが、たしかにヴァイオリンを演奏する美人は「三四郎」に登場する女性の雰囲気である。 グルーズの《少女の頭部像》↓が出ていた。 漱石はこういったvoluptous(色っぽい)女性が好きだったようである。「三四郎」の女性にも影響しているのだろう。グルーズに関する文は以下の通り。 二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶えんなるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪たえうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。 三四郎は仰いで半透明の雲を見た。 「あれは、みんな雪の粉ですよ。こうやって下から見ると、ちっとも動いていない。しかしあれで地上に起こる颶風以上の速力で動いているんですよ。君ラスキンを読みましたか」(中略)しばらくしてから 「この空を写生したらおもしろいですね。原口にでも話してやろうかしら」と言った。「吉田博」とその義妹・「吉田ふじを」の《ヴェニスの運河》・《ヴェニス》が並んで出ていた。「三四郎」にも、両者を並べてみている状景が書かれており、後者が前者に比べ、はるかに劣っているとになっているとの意見が書かれていた。 ウォーターハウスの《人魚》↓も「三四郎」に出ている。この画は素晴らしい。会場では、しばし漱石を忘れて、人魚の長い髪や鱗に見入ってしまった。肝心の漱石の文は以下。 「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪あたまで香水のにおいがする。 絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛くしですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。 「人魚マーメイド」 「人魚マーメイド」 次は、「それから」関係(青空文庫)。プラングインの《蹄鉄工》が出ていたが、小説と直接関係するのは、参考出品されていた「近代の貿易 ステューディオ」にカラー図版が掲載されている画だとのこと。良く調べたものだ。 青木繁《わだつみのいろこの宮》(パネル展示)、仇英原作・巨勢小石模写の《笛持美人図》や円山応挙の《花卉鳥獣人物図》も「それから」関係。 岸駒の《虎図》は「門」の関係だが(青空文庫)、実際に登場するのは岸岱の作品だとのことである。 第4章 漱石と同時代美術: ここには漱石が東京朝日新聞に書いた「文展と芸術」に登場する1912年の第6回文展の出品作とこれに対する漱石の辛辣な批評が並んでいた。以下、これに私「とら」の感想をつけ加える。 ・佐野一星《ゆきぞら》: 漱石=枝ダラケ、鳥ダラケが面白い; とら=色も構図もウザったい ・今尾景年《躍鯉図》: 漱石=鯉の踊り方が好かない; とら=同意 ・今村紫紅《近江八景》: 漱石=色彩が性に合わない; とら=同意 ・寺崎広業《瀟湘八景》: 漱石=子供のような大人の丹念さが重厚で好きや!; とら=お気に入り ・横山大観《瀟湘八景》: 漱石=気の利いたような間の抜けたような趣。大変に巧みな手際を見せると同時に、変に無粋で無頓着なところを備えている; とら=とにかく大観は好きになれない ・安田靭彦《夢殿》: 漱石=評判の絵だが、何という感じも興らなかった、とら=平凡 ・中村不折《巨人の蹟》: 漱石=この巨人は巨人ではなく、ただの男だ; とら=同意 以下、同時代画家の作品が沢山出ていたが、漱石の感想が付いていないので流して見た。強いてお気に入りをあげれば、結城素明の《蝦蟇仙人》。 第5章 親交の画家たち: 津田青楓、浅井忠、橋口五葉、中村不折、正岡子規の作品である。 漱石はこのような親友の作品についても、浅井忠・中沢弘光原画《畿内見物》=色彩の見込みが上手い、津田青楓《桃源図》=ジジむさい、津田青楓《少女(夏目愛子像)》=好かない色、ゴテゴテしていて辟易する、などと手厳しい。 ここでの私「とら」の個人的なお気に入りは、橋口五葉の派手な《孔雀と印度女》・《入浴図》、中村不折の見事な書《不折山人 丙辰溌墨》、淋しい正岡子規《あずま菊》。 浅井忠が「吾輩」に描いた挿画の絵葉書↓がショップにあったので買ってきた。 漱石の画はやはりアマチュアだが、漱石の書は繊細で素晴らしいと思った。彼の原稿の文字も丁寧で上手である。今回展示されている書では《帰去来辞》に見惚れた。 第7章 装幀と挿絵: 序章とダブっている感じの展示だが、樋口五葉の装幀・ポスター、名取春仙の新聞連載題字カットはなかなかである。漱石自身も「こゝろ」の装幀を手掛けているが、やはり止せばいいのにという出来栄えだった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-05-15 13:57
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