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初日にこの展覧会に行った。行きは、東海道線のダイヤが乱れたため、渋谷-品川-東京-津田沼-千葉と5回の乗り換えを必要とする難行だった。
仏像を楽しむコツは、仏像は「見る」ものとは思わず「会う」ものと思うことという仏像ガール・北端あおい氏の名言を肝に銘じて、「房総の美しき仏たち」に会ってきた。 この展覧会に出かけた理由は二つ。 第1の理由は、本年1月に新橋の鉄道歴史展示室で開かれていた「成田へ」という展覧会の会場に置いてあった地元・栄町の観光パンフレットで知った関東屈指の白鳳仏である重文《龍角寺・銅製薬師如来坐像》が今回の展覧会に出ていることである。 前回の展覧会のブログ記事には、龍角寺《薬師如来・頭部》、興福寺《旧山田寺・仏頭》、深大寺の《釈迦如来・頭部》の三者を並べた写真↓をアップして、当時の「天皇の仏教的権威による地方豪族層の掌握」を目的とした「白鳳寺院や白鳳仏の爆発的な全国的普及」について述べている。 第2の理由は、「波の伊八」の作品が出ていることである。これを是非見たいと思い、2006年に「東頭山 行願寺」に電話して拝観予約をし、列車時刻表まで調べた。しかし、結局行けなくなってしまい、個人的には「幻の伊八」となっていたのである。 さて、美術館の入口は派手なしつらえである↓。 序章:仏教文化の曙光 いきなり、お目当ての龍角寺の重文《薬師如来坐像》飛鳥時代後期(7世紀後半~8世紀初)にお会いできて一瞬たじろいだ。 この仏さまが序章における唯一の展示仏像となっていて、その重要性が強調されていたのである。 栄町の観光パンフレットや今回の展覧会チラシの画像↓を見て、なんとなく金色の姿にお会いするものだと勝手に決めていたのだが、それはまるきりの思いこみで、実際にお目にかかった仏さまは頭部も体躯も青銅色。 白鳳時代のままなのはその頭部だけであるが、興福寺の《旧山田寺仏頭》に比べて、こちらはやや面長である。 光背が外してあるので、後ろ姿までジックリと拝観できた。 第1章: 平安仏-造像活動の開花 房総半島には、平安時代の木彫仏が多数残っており、優美で端正な「都ぶり」の群と古様の力強さを残した地方色豊かな群が併存している。下総には前者が多く、上総には後者が多い傾向があるとのこと。 ・南房総市小松寺の秘仏本尊《木造薬師如来立像》(部分↓): これは9世紀の一木造。横から見ると、背中が薄く、首が前に出ている。金箔が残っていることがハッキリと見てとれる。 ・千葉市東光院の《天部(地国天)立像》と《兜跋毘沙門天立像》は11世紀前半の木造の阿吽像。 ・神崎町神宮寺の秘仏本尊《十一面観音》1躯と《四天王立像》のうち3躯は12世紀の作。いずれも木目までハッキリと見えており、歴史の波をくぐって来た風格を感じさせる。 ・富津市東明寺の《薬師如来立像》は12世紀の半丈六巨像で、鎌倉時代前期13世紀の動きのある《十二神将》に取り囲まれていて、見事な展示空間となっていた↓。《十二神将》は寺外初公開というから有難い。 ・館山市小網寺の《伝聖観音菩薩立像》↓は上品な藤原様式。 ・横芝光町観音院の《如来坐像》も定朝様式の上品な仏さま。金色が残った漆箔、紅色の肉髻珠、透明な白毫珠の水晶が美しい。これも12世紀の作。 ・銚子市常灯寺本尊の重文《薬師如来坐像》↓は金色に輝いている。 ・千葉市長徳寺の《薬師如来坐像》の肉髻珠は金色の円板、白毫珠は大きな水晶。 第2章: 鎌倉期以降の展開 ・富津市道場寺《阿弥陀如来及び両脇侍像》は、いずれも豪奢な宝冠を頂いている。中尊の「宝冠阿弥陀」は像内の墨書銘により1227年の作であることが判明している。 ・君津市萬福寺《阿弥陀如来坐像》: 彫眼で、赤く彩色された仏さま。定朝様と慶派の中間的造形とのこと。 ・君津市萬福寺《不動明王像・毘沙門天立像》: 同じ寺のものだが、玉眼の荒ぶる造形は東国慶派の特徴を表している。 ・鴨川市西蓮寺《薬師如来坐像》: 60年に一回開扉される秘仏が、展覧会場に登場している。玉眼の使用や髪際の中央がやや下がり緩いカーブをなすのは鎌倉時代の仏像の特徴。 ・印西市地蔵寺《地蔵菩薩立像》: 彩色や切金が繊細。 ここで7階の第2会場に下りる。 ・成田市薬師寺《金剛力士》2躯は第2会場の入口に設えられている。短躯だが筋肉隆々の阿吽像。典型的な鎌倉の造形である。 ・山武市勝覚寺《四天王像》: 像高が2mを超える四天王像。現在の大網白里市に漂着したとの寺伝がある。持国天と増長天の名称が逆になっている可能性があるとの説明がされていた。 ・市川市弘法寺《四天王像》: 前期に出ていた持国天・増長天の2躯。前者の顔は青く。後者は赤かった。これは初出展。 ・山武市蓮台寺《十一面観音菩薩立像》: 瀟洒な十一面観音。定慶様の菩薩表現で、鎌倉の長谷観音との関連が考えられるとのこと。 ・旭市密蔵院の《毘沙門天立像》は、東日本大震災の際に密蔵院のある地区は奇跡的に被害を免れたため「津波を防いだ毘沙門様」と呼ばれている。 長大な記事になってきたので、以下は端折って述べる。 第3章:仏像半島の諸相 1)七仏薬師と妙見菩薩: 千葉氏が、北極星あるいは北斗七星の化身である妙見菩薩を守護神としていたところから多くの作例が残っている。中でも、千葉市東光院の《伝七仏薬師如来坐像》↓は、「七星七仏薬師」と称される千葉氏の妙見信仰の根本像。今年が33年に一度のご開帳の年であり、今回はこの展覧会でのご開帳となった。 このセクションでのお気に入りは、印西市結縁寺の重文《不動明王立像》、香取市観幅寺の重文《十一面観音菩薩坐像懸仏》、館山市那古寺の重文《千手観音菩薩立像》↓。 4)房総が生んだ法華の傑僧たち: 日蓮宗の日蓮、日朗、日像、日親にゆかりのある作品が全国から集められていた。 長谷川等伯の《日蓮上人像》、《釈迦多宝如来像》、《鬼子母神十羅刹女像》、《三十番神像》は、高岡市大法寺から後期に2幅ずつ出展されます。私自身は、2009年・七尾市美術館や2010年・東博で開かれた「長谷川等伯展」でこれらを見ています。 私が美術ブログを書いているいることをお話すると、すぐにスマホで検索してナルホドと納得された。帰宅して調べてみると、Yahooのブログに『仏像半島』へ向けての準備中の画像が載っていることも分かった 帰途は、美術館前に待っていたタクシーで千葉駅へ、そこに咲き始めていた藤の花の写真↓を撮り、錦糸町駅で地下鉄に乗り換えて、夕食前には帰宅できた。これらの幸運は、房総の仏さまたちのご加護によるものに違いない。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-04-18 21:28
| 仏像
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