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これは毎年開催されている白隠フォーラムだが、今回は展覧会にあわせた内容で、白隠禅画の面白さを読み解くイベント。これに参加してきたのでメモを残しておく。
日時は2013年1月30日(水) 13:00~17:00、会場は学士会館。 こんなに満員になったのは今回が初めてだとのこと。 1)アラン・スペンス(作家、アバディーン大学教授)「白隠と私」: スライドに和訳を出しながら英語で話されたので理解しやすかった。 自分はヒンズー教のSri Chinmoy師の下で瞑想を行ってきていた。 白隠との関係は、彼についてのオペラを書いたことから始まっている。 その後、白隠に関する小説を書くために、日本に取材旅行に来たことがあり、その時にノーマン・ワデル教授や芳澤勝弘教授と知り合いになり、自分の「白隠コネクション」ができた。そして白隠の《達磨》や《橋の上の盲人》などの禅画に興味を持つようになった。 そこへNYでジャパンソサイアティの白隠展が開かれることを知って格安航空券を手に入れて見に行ってきた。この展覧会で完全に白隠の禅画のとりこになった。 渋谷の展覧会に出ている《巡礼落書》、聴覚詩の先駆ともいえる《兼好法師》、文字絵《渡島天神》、メビウスの環のような《布袋》などの面白い遊びの表現によって衆生済度を目的としたもの、すなわち示現manifestationであるといえる。 2)ベッカー・ヤン・クレメンス(テュービンゲン大学アジア地域文化研究所日本学科研究員、花園大学国際禅学研究所研究員)「白隠の楊柳観音を読み解く」: 禅の内容に深く入り込んだ話であり、白隠の文章をそのままスライドで出されたので、難解なプレゼンテーションだった。 黒バックの《楊柳観音》には、4つのシンボルがある。 第1は足元の「波」で、これは人間の第7番目の意識と第8番目の意識を連関させた禅における古典的なシンボル。 第2は光輪として表されている「鏡」で、菩薩の意識を象徴し、「大円鏡光」と関連している。鏡が黒色なのは、「大円鏡光」は黒漆のようだという白隠の文章に繋がっている。 第3のシンボルは「観音菩薩」。鏡を壊し大乗円頓の菩薩となることに関連。 第4のシンボルは「梅の花」。これは天神すなわち道真の象徴。天神は中国から正統な禅を日本にもたらしたとされている。天神の使いである「丑」の年・月・日・時に生まれていた白隠は自分を天神の生まれかわりだと考えていた。 3)横田南嶺老大師(円覚寺管長)「白隠禅師について思うこと」: 《南無地獄大菩薩》という白隠の書について話された。この書はおよそ20点の存在が確認されているが、見せない寺もあるので、総数はその5倍、すなわち100点は残っていると思う。 白隠は11歳の時に地獄の話を聞いて仏門に入ったのであるから、地獄が白隠の道を求める師匠であったともいえる。 「地獄に気付いた人は少なく、地獄を自覚した人はさらに少なく、人のために地獄に下った人は稀である」と云われている。 白隠は当時の一般人の地獄のような苦しみを見るに見かねた文や画を作っているのであるが、白隠自身は24歳で悟りの境地に入り、さらに42歳時に法華経を読経中、コオロギの声を聞いて「自分だけではなく、苦しみ悩んでいる人を救わねばならない」と大悟した。その時に白隠が詠んだ歌は↓。 衣やうすき 食やとぼしき きりぎりす 聞きすてかねて もる涙かな白隠が正受和尚から聞いた役人の話が紹介された。和尚に向かって「あなたは地獄に落ちることはないでしょう」と訊いた役人に対して、和尚は「私が地獄に落ちなければ、誰があなたを助けるのでしょう」と答えたということである。 また、白隠の弟子の東嶺が子供の時に地獄の絵を見て、将来は地蔵菩薩になって子供を救いたいという話を東嶺から聞いて、東嶺和尚のほうが自分より優れていると思ったとのことである。 白隠は、正受老人から法華経の請願を実践することを勧められ、本来一人一人が仏である民衆に、仏の教えを知ってもらうように努力した。 そして、白隠自身が「地獄に落ちて、地獄の中で菩薩となって人々を救済しよう」と考えたのである。 《南無地獄大菩薩》の意味は、苦しい地獄の中にまことの菩薩がいるということであり、「南無」というのは、「南無帰命」と唱えるように「一体化」という言葉で、白隠自身が地獄と一体化するということなのである。 現在の僧の中に本当の宗教者は何人いるであろうか。自殺を試みる人や震災を受けた人の苦しみの声をどれほど聴いているであろうか。書や画だけを見ていたのでは、本質を見失う。月を指す指を見ていても、月が動いては何もならない。今、白隠がいたら、何を描いていたであろうか、また何を訴えたであろうかということを考えなければならない。 現在、白隠は大本山にもいない。彼は500年に一度の存在と云われている。「ここに白隠はいます!」と名乗り出てくれる人はいないであろうか。 4)芳澤勝弘(花園大学国際禅学研究所 教授)「白隠禅画の面白さ」: 渋谷展の総括と今後の方向を話すという前置きで話し出された。 今回の展覧会には期待以上の反響があった。これは、渋谷という場所と共同監修者の山下先生や文化村の女性たちという人材が化学反応を起こして現代に訴える展示となったからで、宗教色の強い京都ではかえって陳腐なものになったであろう。 文化村には若い人が来ている。Twitterにはさまざまな意見が載っているが、自分はこれらの意見を、「展覧会とはなにか?」、「美術を観るとは何か?」ということを考えながら読んでいる。 白隠の画は、「見」て、「感」じて、「読」んで、「考」えてほしい。なぜなら白隠の作品は、画と賛で出来ているからである。 《すたすた坊主》は「カワイイ」とされ、ネットの中のアニメで走り回っているが、慶応大学生の「ピップポップ・バンド 54-71:Preprizeのカバー2001年」のCDのジャケットにもなっている。このラップのリズムは《すたすた坊主》の賛のリズムと共通している。 《雷神図》の雷神は目の大きな白隠の顔。前に畏まっているのは、百姓代表の庄屋。雷神が持っている庄屋の頼み状には、雲や風と協同して雨を降らせてくれと書かれている。 庄屋の着物には「福」すなわち「幸」の文字や白隠のマークである梅鉢文が染められている。この白隠漫画は白隠劇場であり、その監督が白隠であり、白隠自身がいろいろな人物や梅鉢文としても登場している。 《布袋吹於福》が登場した。ただし文化村出展のものとは異なるバージョンの画で、オランダの個人蔵のものである。 キセルは白隠の化身である。9世紀の布袋の時代にはタバコは存在していないからこの布袋はタバコ好きの白隠自身である。 お多福は現在では不美人であるが、アメノウズメノミコトの時代には美人。室町から江戸時代にかけては、美人と醜女の両方の意味で使われた。白隠は、このような両義が得意で、この於多福は美と醜の両方を併せ持っている。 「寿」という字は長命。福禄寿とくれば幸・金・命という贅沢な望みである。この賛も説明された。酒の入った徳利の傍に「道楽通宝」という銭も描かれている。 今回Bunkamuraに出ている《布袋吹於福》を愛媛県大津市博物館の人に見せてもらったときは本当に嬉しかった。 この画の左右の煙は繋がっていない。これは画が大きすぎたので、左幅の下部と右幅の上部を切り詰めたためである。 有名な萬壽寺の《半身達磨》も切り詰められているし、永明寺の《半身達磨》のオリジナルの賛のあった上部は切り取られ、左上に別人の賛を入れ、バランスをとるために上部に白紙を継ぎ足している。 《渡島天神》は今回の展示品中、最大のものであるが、これは白木屋呉服店の大村屋という豪商が注文したものだったから、この大きさでも入ったのだが、選佛寺に移った時には、天井の工事が必要だったとのことである。 このような大きな作品は、白隠のあふれるエネルギーの発露なのである。 パネル・ディスカッション: 芳澤教授(モデレーター): 聴衆からの質問が3つある。まずは「アラン・スペンス氏のオペラはどういう内容のものか?」という質問。 スペンス教授: オペラは15分程度の短いもので、夜にアザラシの声を聞いて、それをメロディにした。オペラのメッセージは「慈悲」ということである。 芳澤教授: スペンスさんは白隠をテーマにした小説を書いておられ、間もなく刊行の予定です。そのタイトルは「夜の船」。白隠も「夜船閑話」(やせんかんな)を書いているが、これは京都に行ったことがないのに書いたフィクションで、「白河はどうでした」と訊かれて、「夜船だったのでよく分からなかった」と答えている。 白隠は物語好きで、自伝も物語であり、人を励ますためにフィクションを取り混ぜている。白隠は小説家であり、小さな話を集めた「布鼓」には、井原西鶴以上の悪性の嫁姑の話を残している。すなわち白隠は「表現者」だったのである。 芳澤教授: 「悟りとは果てしないものか?」という質問が会場から来ています。 横田管長: (しばらく間をおいて)悟りとはよく分かりません。 芳澤教授: 「白隠禅画に立体感を感じるのですが?」という質問が来ていますが、これは会場に居られる山下教授お願いします。 山下教授: 白隠の画には、「立体感」というよりも「奥行」がある。 芳澤教授: 白隠の軸中軸の画では、軸の後ろにいる人、軸を見ながら白隠の説法を聞いている人など一種の「次元」を感じさせる。ちなみに、提示した軸中画は謡曲の内容を踏まえているもので、これを貰った人は分かっていたのだろうが、持ち主が替わるたびに最初のメッセージが分からなくなっていく。 会場からの質問: 清梵寺の《地獄極楽変相図》の上段・左に描かれたのは誰ですか。 芳澤教授: あれは清梵寺の和尚。上段・右は白隠だと思う。 芳澤教授: 会場の皆さんに伺います。「白隠フォーラムに今回初めて参加された方は挙手してください」 会場の聴衆: 約半数が手を挙げた。 芳澤教授: では、「今回初めて白隠を知った人は?」 会場の聴衆: 挙手数名のみ。 芳澤教授: 《机に向かう観音像》の賛(「観音が姿を現さない時には何処にいるのか」と君に問う)の中に右に飛んでいる文字「全身」があり、これが左の「何処蔵」に続くものであることを指摘され、白隠はこの画と賛で「ありのままの山水の中に真の観音が居る」ことを示していると解説された。 同様に机に向かう観音図《十界図》が永青文庫にあり、そこでは衝立の山水の代わりに大円鏡が描かれていることも紹介され、《机に向かう観音像》の山水は大円鏡と同じく「心」を表しているものであるとされた。 また、この画と同じ構図の《十王図》があり、「観音」と「閻魔」は同じものの裏表であることを意味しているともされた。 ちなみに、江戸時代には、「借りる時には地蔵顔 済ます時には閻魔顔 うって変わりし也」という諺もある。 最後に、「閻魔」がルイ・アームストロングの声で”It’s a wonderful world”を唄う動画が出てきて、会場の大きな拍手を浴びた。 この動画は、まるで白隠が制作したもののように感じられたのであった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-01-30 23:44
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