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![]() ![]() それでも地域別には分類してあって、京・山城⇒大和・河内⇒山陽路⇒四国路⇒西海路⇒陸羽・岩代⇒武蔵・両毛⇒信州・甲州⇒北陸路⇒高山・白川となっている。会場では、足元の⇒印を頼りに順序正しく見て回るようになっているが、何回も道に迷い、他の地域に踏み込んでしまった。 困ったことに、これらの写真が「日本の民家」というシリーズの本になった時に添えられた「伊藤鄭爾」氏の文章やこの美術館の解説文は足元にあって、腰を曲げなければ読めない大きさで書かれている。 この美術館は、小型・長寿命・省エネのLED照明でUV/URカットによる作品保護や演色性の向上、さらには超薄型で発熱の少ない試作の有機EL照明で演色性の向上を計っているとのことだが、足元の字の視認性の向上を考えてもらわないと困る。 このことを補うためか、会場から出たショップに「展覧会鑑賞ガイド」が販売されていて、300円という安価なので思わず小銭入れを出してしまうことになる。まことに巧みな戦略だが、二川幸夫氏が写真家であるとともに出版業を営んでおられることとは関係がないものと思いたい。 さて、冒頭のチラシの背景写真は、《石川県輪島市町野町、時国宏邸の大黒柱》である。この大黒柱が立てられている土間ニワの広さは27.5坪もあるというから、雪の重みを支えるにはこのように太い柱が必要だったのだろうか。あるいは時国家が平時忠の末裔という誇りをこめた太さなのだろうか。 わたし自身、北陸で生まれ育っており、民家の大黒柱は沢山見ているが、これほど立派なものは観た記憶がない。民俗学者なら柱の太さを実測しておくところだろう。 チラシの右の写真は、入館時に頂いた栞である。その上部のヴィジュアルは《山形県蔵王村、民家の妻破風》である。 これは養蚕のための煙抜きのために窓を開けた特殊な形の茅葺き屋根で、まことに面白い。同じく豪雪の北陸の私の祖父の家も昔は養蚕をやっていたので、煙抜きのため天井は張らず、室内からむき出しの梁や桁が見えており、外から光も差し込んでいたが、外観がどのようだったかは覚えていない。 このような民家の古い写真を見ていると、思わず少年時代の自分に戻っていることに気付く。会場には自分と同じような年齢の観客が多かった。こういった少年時代への郷愁に誘われて来られたのかもしれない。 航空写真による民家群の俯瞰図、風景の中の民家、屋内の梁や柱の写真に良いものが多かった。お気に入り写真は、頂いた作品リストに〇を付けてきたが、展示作品72点中19点が「お気に入り」なので、個々に感想を書くことはできない。 その中の「ベスト・オブ・ベスト」は、私の郷里・富山県南砺市の《越中桂の民家》である。いわゆる「五箇山」の茅葺き屋根であるが、上述の伊藤鄭爾氏の文章を引用すると、「朝日をうけて夜霧の蒸発する屋根は、怪物的でさえある。迫力の逞しい造形である」となっている。この部落は1970年に解村され、その場所は現在、桂ダムとなってしまっている。 二川幸夫の膨大な数の出版物が並んでいるスペースの脇に、小さな「ルオー・ギャラリー」が置かれていた。この美術館の設立母体の状況を聞くにつけ、ルオー・コレクションの存在自体を心配していたが、しっかりと残っていて安心した。部屋の中央部に机と椅子があり、ルオーの図録が置かれていたので、図録を拝見しながらジックリと実物を鑑賞した。展示作品は「会場見取図」↑の中に書きこんでおいた。 ロビーで観たビデオ「日本の民家1955年 二川幸夫・建築写真の原点」で、いろいろなことを知った。 1. 二川は現在80歳であるが、いまだ現役で、一年の3分の1は海外で過ごし、また写真の編集や校正作業を続けている。 2. この際の写真の選択は、二川自身の「眼と感性」が基準である。 3. 昭和7年に高等工業高校で建築を学んで、早大に進学したがやめて大阪に帰ることになった。教授に挨拶にいったところ、「大阪に帰るなら、高山の日下部家を見ておけ」と云われた。そこを訪れたところ、太い柱や梁といったこれまでに見たことのなかった「美しさ」に遭遇し、そこでの2週間を夢見心地に過ごした。高山の民家の「風格と品」に打ちのめされたのだった。 4. 「日下部家のような民家が日本全国に残っているに違いない」と考え、20歳の時に、野宿をしながら、6年間全国を歩きまわり、写真を撮った。 5. 思わね転機がやってきた。美術出版社の大下正雄社長から写真集を出版しようとの申し出を受けた時だった。写真に添える文章は病み上がりの建築史家・伊藤鄭爾氏に頼むこととし、二人で全国の民家の写真を撮り回った。 6. 日本の民家のモデルともいえる「京」から始めたが、今まで自分の住んでいる家は「キタナイ」と考えている家主から撮影の許可をもらうのに苦労した。 7. 印象深いのは、馬と同居する岩手の曲屋、採光を考えた山形の兜造りの屋根、湯気の出ている富山の藁葺屋根などである。 8. 自分の写真は、家が中心ではなく、あくまで風景が中心である。 この功なり名とげた老写真家の言葉は一つ一つ重かった。 Copyright ©2013 * 美術散歩 管理人 とら * All rights resered 【追記】 二川幸夫氏は、2013年3月5日、腎盂ガンのため逝去された。合掌
by cardiacsurgery
| 2013-01-26 16:17
| 映画・写真
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