記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
まずは本題の《罪》が登場。
続いて、ミュンヘンの美術館の紹介。 ミュンヘンが、9世紀後半から20世紀初頭にかけて、芸術の都として栄えたのは、ヴィッテルスバッハ家出身の国王・ルートヴィヒ1世のお蔭である。彼は、ミュンヘンの都市改造やミュンヘン大学の創立に加えて、王家のコレクションを展示する「アルテ・ピナコテーク」と同時代の作品を納める「ノイエ・ピナコテーク」という2つの美術館を創設した。 私自身、2007年にこの両館を訪れている。ブログ記事はこちら。 番組では、ノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)に展示されている画として、上記の《罪》の他に、下記の作品が紹介された。 •カウルバハWilhelm von Kaulbach(1805-1874)《ティトゥス帝によるエルサレムの破壊》1846年、ノイエ・ピナコテーク蔵↓: 歴史画。預言者たちと天使たちが頂部に、エルサレムへ侵攻するローマ兵が右上部に、悪魔に説得されるユダヤ人が左前方に。キリスト教徒の一群が右前方に描かれている。キリストを磔刑にしたユダヤ人への神の審判ということが描かれているのである。中央に描かれたユダヤの高僧は剣で自殺を図っている。 ここには有名な「美人画ギャラリー」(Schoenen Heiten Galerie)がある。紹介された36枚の美人画が並んでいる映像は圧倒的だった。個別の画として出てきたのは次の3点。 ルートヴィヒ1世は、このうちのローラ・モンテス↓↓↓の美しさに目がくらんで寵愛するようになったが、このローラの行動が市民の反感を買って暴動となり、ルートヴィヒ1世自身が退位に追い込まれた。ローラは、実在のファム・ファタールだったのである。 •シュティーラーJoseph Karl STIELER(1781-1858)《マリアナ・マルキオネス・フロレンツィ》1831年、ニンフェンブルク城美人画ギャラリー蔵↓ •メンツェルAdolph von Menzel(1815-1905)《ホフガーシュタインの行列祈祷式》1880年、ノイエ・ピナコテーク蔵↓: カトリックの祭礼を描いた風俗画。 この「ヴィラ・シュトゥック」の画としては、以下のものが紹介された。 •《罪》の別バージョンが飾られた祭壇の映像が出てきた。「これは、芸術、不安、死、悲しみ、愛、エロスへのオマージュだ」という説明だった。ちなみに、有名になった《罪》には12点ものバージョンがあるとのこと。商売上手だったことは間違いがない。 •シュトゥック 《不協和音》1889年、ヴィラ・シュトゥック蔵↓: 子供のパンの吹くフルートの音に耳を塞ぐパン。前衛音楽を風刺したものだそうだ。 画↓の上段はギザの大スフィンクスの姿勢をとった女性裸身像。下段は日の出から日没までの男性の一生。 エクスターJulius Exter(1863 - 1939)はシュトゥックと同じ齢で、ミュンヘン美術アカデミーも同級だった。ミュンヘン分離派に参加し、ミュンヘン美術アカデミーの教授にもなっている。 •エクスターの《自画像》1905年、ユリウス・エクスター・アート・ギャラリー蔵は(↓左)であり、《日光浴》1925-30年、ユリウス・エクスター・アート・ギャラリー蔵は(↓右)である。 •このユリウス・エクスター・アート・ギャラリーには、エクスターが1884-85年に描いた羽織袴姿の《原田直次郎像》↓が残っている。 森鴎外の「うたかたの記」の主人公・巨勢(こせ)は直次郎であり、エクスターも友人・エキステルとして登場している。実際には、ミュンヘンでの直次郎は妻子のある身でありながら、カフェの女と同棲して妊娠させたりしている。 留学3年目に東京美術学校が出来ることを知り、その教職を期待して帰国したが、美校には西洋画科は作られず、自分で画塾を開いて後進に西洋画を教えることとなった。 •原田直次郎の《靴屋の親爺》東京藝術大学大学美術館蔵↓は留学中(1886年頃)に制作されたものであるが、すでに西洋の油彩画を自分のものとしていたことが分かる。 この画は、外国で西洋画を学んで帰国しながら日本の美術界に受容されなかった「幕末生れの画家」原田直次郎の青春のモニュメントである。 2007年になって漸く重要文化財に指定されたことは、まことに遅きに失している。当該官庁である文化庁のみならずわが国の美術界全体が猛省すべき問題ではなかろうか。 最後に他の象徴主義画家の画が2点紹介された。 •ホードラーFerdinand Hodler(1853-1918) 《生に疲れる人々》1892年、ノイエ・ピナコテーク蔵↓: 幼くして家族を失い、貧困に苦しめられた画家の魂の叫びが描き込まれている。この画の写真もミュンヘンで撮ってきた。 しかしミュンヘンの象徴主義絵画の精神は、次世代のカンジンスキーやクレーの抽象絵画に引き継がれていった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2013-01-17 14:58
| 国外アート
|
ファン申請 |
||