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白隠に関する自分のブログ歴は以下のようで、白隠の人生・宗教活動・書画、近代日本における美術界の不十分な受容、アメリカの禅ブームを基盤とする白隠書画への理解などについての概略はつかんでいた。
・2006年12月「戸方庵井上コレクション名品展」@板橋区立美術館 ・2007年2月「日本美術が笑う」@森美術館 ・2008年7月「白隠とその弟子たち」@永青文庫 ・2008年12月「素朴美の系譜」@松濤美術館 ・2009年1月「妙心寺展」@東博 ・2011年2月「白隠 気迫みなぎる禅画」@NHKプレミアム8 ・2011年5月 「隻手の音」展 @ニューヨーク・ジャパン・ソサイエティ NY白隠展のブログ記事の最後は、「この展覧会はいずれ里帰り展覧会として日本国内で開かれるような気がする。日本の美術関係者が放っておかないだろう。もちろんそれまでに原発の問題が終息すればの話だが・・・」で結んでいる。 白隠の書画についてはその賛を読み解かなければならない。ということで、普段はあまり借りない音声ガイドを使い、さらに室内に置いてあった図録を参照しながら、丁寧に見て回った。 このため、前期の107点を鑑賞するのに4時間もかかってしまった。 幸か不幸か寒い雨の土曜日の会場はまだ空いていて、快適な鑑賞を楽しめた。今朝の日曜美術館で、この展覧会に関連した山下裕二教授出演の「白隠 気迫みなぎる禅画」が放映されたので、今日はいきなり混んでくるのではあるまいか。実は、先ほど家内がこの展覧会から帰ってきたが、そこそこ人が入っていたとのことだった(家内のHP「和の美術めぐり」の白隠展の記事はこちら)。 セクションは、出山釈迦、観音、達磨、大燈国師、布袋、戯画、墨蹟の順。お気にいりをあげだすときりがないので、音声ガイドに取り上げられていた21点を中心に記述していくこととする。 ・《隻履達磨》↓ 飯田市・龍嶽寺蔵、73歳?の作: 北魏の僧・宋雲が片方の履を持った死後3年後の達磨に出会った。帰朝後、孝荘帝が達磨の墓を開けると、片方の履だけが残っていたという 室町時代以来描かれているテーマ。外斜視の大きな眼、少し曲がった鼻、禿頭、髭面、大胆な衣線。 賛(嗟す 君未だ金陵に到らざる日 寡婦 眉を掃いて緑氈に坐す 君既に金陵城に到って後 慈烏 母を失って寒煙に咽ぶ)のように、梁の金陵城で達磨の到着を心待ちにしていた武帝は、達磨の到着後に早速に面談したが、両者の意見が合わず、達磨は結局その地を離れて、北魏に向かった。 ・《半身達磨》↓ 大分県・萬壽寺、83歳の作: 鮮やかな色彩。賛: 直指人心、見性成仏。自分の心を見つめて仏になろうとするのではなく、すでに自分は仏であることに気づきなさいということ。 日曜美術館では、萬壽寺のこの画の前で達磨の命日の法要を行っている佐々木道一住職が、「白隠の何ものにもとらわれない姿は自分の理想の人間像である」と述べておられた。また、山下裕二教授は「本描きが下描きの線から相当にずれていて、描いている白隠の身振りが想像できる」と発言され、司会の千住明氏は「アクションペインティングのようですね」という面白いコメントをされていた。 ・《眼ひとつ達磨》↓: 今朝の日曜美術館によると、古美術商・田中大三郎氏のお気に入りとのこと。ゲゲゲの目玉おやじのようで、屈託がなく、とっぼけたタッチである。物欲のある人間は二つ目ならばよそ見をするが、一つ目ならば物事に集中できるというのが、田中氏の読み。長文の賛は難解で、芳澤勝弘教授ですら判読不能の文字があるとのことなので、田中説に賛成しておきたい。 賛は、「古人刻苦、光明必盛大也。手なしに瓜をひきやるなら、成程足なして参り申さふ」である。 後醍醐天皇が国師の噂を聞き、召しだそうとした。国師の好物の瓜を並べ、集まった大勢の乞食に向かって「足を使わずに来るものに瓜を与えよう」という役人(註:NYの英文図録では花園天皇自身となっている)に対し、国師は「手を使わずに瓜を与えてくれるなら、足を使わずに参りましょう」と応じた。この禅問答で国師が見つかった。 ちなみに、細川護熙氏のその他のお気に入りは、次の2幅の書ということだった。 1. 《暫時不在如同死人》: 細川氏の説明によると、修行中の油断はちょっとしたことでも死んだも同然ということ。 2. 《動中工夫 勝静中 百千億倍》: 細川氏の解説では、修行には座禅が大切と思うかもしれないが、日々の活動のほうがずっと大切ということ。 ・《自画像》↓ 静岡県・松陰寺蔵、71歳の作: 自画像は10点描いている。はっきりと読める自賛は、敵対者に嫌われても自己の信念を貫くというもの。細かい字の書込みは弟子・東嶺円慈によるもので、これによって制作の事情が分かる。東嶺が妙心寺第一座になった時にこの自画像すなわち頂相を2枚描いたとのことである。 ・《すたすた坊主》↓ 會津八一記念博物館蔵: 代参りと称して物乞いをして歩く「願人坊主」。憎めない画ですね。この時代、こんな貧乏坊主が実在していたとのこと。賛: 布袋どらをぶち(道楽にふけ)、すたすた坊主(に)なるところ。来た来た又きたきた、いつも参らぬ、さひさひ参らぬ、すたすた坊主、夕べも三百はりこんだ、それからはだかの代参り、旦那の御祈祷、それ御きとう・・・。 良く見ると右の僧A-1が眺めているのは富士の右裾野であり、左の僧B-1は崖の下を眺めている。富士の頂上を眺めているのは、巡礼者A-2や旅行者B-2たちである。 一方で、大名行列の一行は、この富士山には見向きもしていない。彼らには富士を崇めるという自然な心が欠けているということを表して、この画を贅沢な参勤交代のために年貢を厳しく取り立てている大名批判の暗喩ともしているのであろう。 画の左に書かれた偈は、自性寺の祖山祖箒和尚宛のもので、「かねてから達磨の絵を描くよう頼まれていたが、 ここに達磨の真骨頂を描いて、 はるばる豊前の自性寺和尚にお届けする。 十二月の端午の節句に作ったこの画が分からぬならば、 ワラの羊に鞭うって木の人形に尋ねられよ」となっている。 この言葉の意味については、上記の吉澤論考では、「”この白富士のごとき美しい〈自性〉を識得せよ。そのためには、ぜひとも隻手の声を聞きとめられよ”と白隠は語りかけているのだ。自性寺和尚に、歴々と自性が顕現した富士山図を贈った所以である」となっている。 しかし、この説明には「画が分からぬならば、 ワラの羊に鞭うって木の人形に尋ねられよ」という部分の解釈が含まれていない。私は、この賛の後半部は「この画に描かれた富士の崇高さは感性豊かな一般人でも十分に分かるものだから、それを感じ取れぬなら、まだまだ修行が足りない」と諭しているものだと考えてみたい。 もちろん、自性寺和尚にはこの白隠の直截なメッセージは伝わったことであろう。寺の名前の〈自性〉を暗喩として含む白隠のユーモアにも苦笑されたことだと思う。 日曜美術館では、実際に享保の時代には百姓一揆が頻発していたこと、白隠が「辺鄙似知吾」(へびいちご、発禁書)で、過酷な年貢と大名の浪費を鋭く批判していたこと、《毛槍奴立ち小便図》の賛(毛槍をもって立てしし[立小便]す しかもおおきなしじじゃ 小じゃりが飛ぶは あれ見よ)や《魚鳥図》の賛(鮭は瀬にすむ 鳥は木にとまる 人はなさけの下にすむ とりか【年貢】につけてもさ)では、このような重い話を軽い調子で記して、上の人に渡して、下の者に対して情けをかけることを暗に求めていたことが紹介されていた。 ・《猿亀》↓ 個人蔵: 今昔物語より。サルの肝を妻の病気治癒のために欲した亀が、背中にサルを乗せて海中に誘い込んだところ、サルはいつも肝は木に掛けてあると騙してもとの場所に連れ戻させる。賛: こちらのほうが松じゃわひ、肝を鳶めがさらひおらねば好いが、きずかいなものじゃ」 ・《春駒布袋図》: 作り物の馬に布袋と寿老人が乗っている。賛の「春の初めて 春駒なんぞ 夢にみてさえ 好いとや申す」は正月の祝い唄。 ・《お福お灸》: 成金のお尻に灸を据えて贅沢を戒めている。 ・《布袋》: 「表裏一体」という根源的なメッセージを表すために、表から「在青州作一領」、 裏から「布衫重七斤」と書いてある。メビウスの環を先取りしたといえる。 ・《人麿像》: 文字絵。 ・《西国巡礼図》: 落書きをしてはいけないという落書きをしている巡礼者がえがかれている。マグリットの《これはパイプではない》と類似のパラドックス手法。 山下裕二教授は、白隠は相手に相応しいレベルの画を描いて、ただであげてしまうので、「白隠はすさまじいアマチュアである」とされていたが、この言葉を聞きながら、金銭の授受の有無でプロとアマを峻別している現在の美術界に問題があるのではないかと感じた。プロ=profession=天職(18世紀以前は、聖職者、医師、法律家の三者のみ)であって、occupation=職業やamateur=素人とは次元の異なる存在である。私は、「白隠はプロの芸術的宗教者」であり、天職に生きた偉人であると思う。 「駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠」と言われているが、これは「日本には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠」と読み替えるのが良いような気がする。 今回の展覧会には池大雅画・白隠賛の《狸》と《六祖唐碓》が出ていた。これは、予期せぬプレゼントだった。NYの白隠展図録(p35)には、白隠が、1751年に京都に一時滞在した際に、大雅が白隠を訪ねて教えを乞うたことが記されている。白隠の公案「隻手の音声」に関する大雅の詩(英文)を下記に引用させていただく。 POEM DEDICATED TO HAKUIN How can the ear hear "the sound of one hand?"(Presented to Honorable Old Zen Master Hakuin, Requesting His Instruction) なかなかまとまった良い展覧会だった。できれば後期にも見に行きたい。 Copyright ©2012 * 美術散歩 管理人 とら * All rights resered 【追記】 昨日、12月30日に放映された「日曜美術館」の再放送を視聴して、上記文章の一部を修正・加筆しました。 【その後の関連記事】 ・「白隠展ブロガーナイト」@Bunkamura ・「白隠フォーラム」@学士会館 ・「続・白隠フォーラム」@Bunkamura
by cardiacsurgery
| 2012-12-23 23:04
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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