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これは楊州周延「東錦昼夜競DB・その1」に続く「DB・その2」
まずは、No.26-30↓。 【本図:夜】実朝の正室・信子に仕えていた松島の局は、執権・北条義時の次男・朝時に言い寄られたが、心を寄せていたのは朝比奈義秀だった。 【上図:昼】和田合戦の門破り。和田義盛の三男・朝比奈義秀は惣門を打ち破って、幕府方の武士を次々に斬り倒した。 27.源頼光 【本図:昼】天女の姿の枡花女は頼光に源三位頼政が鵺退治に使った弓矢を渡す。 【上図:夜】市原野で、殺した牛の腹の中に隠れて頼光を待ち受ける鬼童丸。 28.蟹満寺 【本図:夜】ある若い女性が、市場で売られている生きた蟹を憐れんで買い求めて放してやった。ある夜、若い男に化けた蛇が娘の許にやってきたが、娘はこれを拒絶し、観音経に救けを求める。男は蛇の姿に戻ったが、沢山の蟹が現れて、蛇を殺して娘を助けた。 【上図:昼】農夫が、蛙を食べんとしている蛇に、蛙を助けたら娘を嫁にやると云ってしまった。 29.千寿の前 【本図:夜】捕えられた平重衡を慰めるため頼朝から遣わされた千寿の前が、重衡の前で歌や踊りを披露。同席している男性は、藤原邦通と工藤祐経であろうか。 【上図:昼】会場の説明では那須与一となっていたが、騎馬武者の旗は平家の赤旗なのでおかしい。これは、英文の説明のように、室山の戦いで五段構えに布陣した平氏軍を平重衡がチェックしているところなのだろう。 30. 吉田御殿 【本図・昼】盃を持っているのは千姫こと天樹院。花井壱岐という若侍とねんごろになっていたが、ある日侍女の竹尾と戯れていたので、嫉妬から二人を殺して井戸に投げ込んだ。 【上図・夜】老女に斬られる竹尾。 次は、No.31-35↓。 【本図:夜】楠正行は、戦いに出た父・正成の留守中の一夜、大入道に化けた狸を退治。 【上図:昼】四条畷の戦に出陣する正行は、吉野・如意輪寺の門扉に矢じりで辞世の句を彫った。「かえらじと かねて思えば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」 32.伊賀の局 【本図:夜】その頃、吉野の宮廷にしばしば亡霊が現れていた。後醍醐天皇の寵妃・新待賢門院に仕えていた伊賀局(篠塚伊賀守の室)は、この亡霊に対して臆せず対峙して話を聞くと、それは先ごろ罪に問われた清忠光経の亡霊で、勅勘御免を願って宮廷に現れているとのことが分かった。伊賀の局は、この亡霊に対し重々説諭して退散させた。 【上図:昼】力持ちの伊賀局が引き抜いた樹で敵を倒し、その樹で橋を架けた。 33.仲光の一子幸寿丸身代り 【本図:夜】源満仲は、主人の藤原仲光から、仏門に入ることを拒否している乱暴な息子・美丈丸の首を刎ねることを命じられた。悩んでいる満仲に対して、満仲の一子・幸寿丸は、自分が身代わりとなることを申し出た。 【上図:昼】乱暴狼藉をはたらく美丈丸。 34.渡辺綱 【本図:夜】渡辺綱は源頼光四天王のナンバーワン。ここでは、美しい女に化けた鬼が、羅生門に向かう馬上の渡辺綱を呼びとめている。女の足が異常なのは化けそこない。 【上図:昼】四天王の一人として闘う渡辺綱。 35.素戔嗚尊 【本図:夜】出雲に降りてきた素戔嗚尊は、両親とともに澄む稲田姫(奇稲田姫)が大山の大蛇の人身御供となることを悲しんでいることを知った。 【上図:昼】素戔嗚尊は八岐大蛇を酔わせ、八つの首と尾をすべて斬って退治した。 次は、No.36-40↓。 【本図:夜】牛若丸が、陸奥に下る途中、鈴ヶ峠の山中で一軒の草屋を見つけ、ここに泊めてもらおうと待っているところにこの家の主・伊勢三郎が帰ってきて、対面した。 【上図:昼】キャプションの説明では「詳細不明」となっていたが、義経の家来となった伊勢三郎が義経の馬を曳いていると単純に考えたらいけないのだろうか。 37.二位の内侍 【本図:昼】公卿の日野資俊は、二位の内侍を母親とともに京へ連れて行き、宮廷に仕えさせた。二人は、歌を詠み交わすなど親しくなった。 【上図:夜】日野資俊が伊賀の里の二位の内侍の家を訪れるところ。季節は冬。ちなみに、周延は《日野資俊卿雪夜篠塚母子に逢ふ図》という絵も描いている(参照)。 38.吉備大臣 【本図:昼】遣唐使として中国に赴いた吉備真備が、中国女性が美しい縫物を作製しているところを見学している。このような進んだ技芸を帰朝後、わが国に伝えた。 【上図:夜】吉備真備と一緒に唐に渡った阿倍仲麻呂は日本に帰れず、満月を見ては望郷の念にかられている。 39.大磯虎 【本図:昼】富士の裾野において愛人・曾我十郎祐成が死んだことを知らされて泣き崩れる大磯の虎御前。 【上図:夜】仇の工藤祐経を討った後騒ぎを聞きつけて集まってきた武士たちが曾我兄弟を取り囲んだ。兄弟はここで十人斬りの働きをするが、ついに兄・祐成が仁田忠常に討たれた。手前が五郎時致。向うで仁田四郎忠常と闘っているのが十郎祐成。 40. 周防内侍 【本図:夜】母の病気平癒を願って観音に丑の刻参りをする周防内侍の前に尼姿の観音が現れて願いを聞いている。 【上図:昼】観音菩薩像に祈る周防内侍。 No.41-45は↓。 【本図:昼】おすみの方は本多忠勝の娘・小松姫。真田信幸は関ヶ原の合戦では、西軍に与した父・昌幸や弟・幸村と別れて東軍に属し、徳川方についた。 舅・昌幸が居城である上田城に向かう途中、小松姫が信幸の留守を預かっている沼田城に立ち寄り「孫の顔が見たい」と所望した。これに対し小松姫は戦装束で舅の前に現れて「敵味方となった以上、義父といえども城に入れるわけにはいかない」と申し出を断った。程なく昌幸が近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ、昌幸の願いをかなえたという。 【上図:夜】蘆原に隠れている兵を、舟に乗り、松明を灯して探索している敵兵が描かれているが、キャプションの説明では、詳細不明となっている。 42. 真田九度隠家 【本図:昼】関ヶ原の戦の後、真田昌幸・幸村父子は紀伊の九度山に幽閉された。幸村は、妻に会うことが許されなかったので、息子の大助(幸昌)に託して自分の鏡を妻に渡した。幸村は大坂の陣に参陣する決意であった。 【上図:夜】家康を暗殺せんとする幸村が描かれている。 43.地獄太夫 【本図:昼】堺の有名な優君。ここは正月の景色だが、太夫や禿の着物の地獄模様が凄い。 【上図:夜】一休宗純禅師」が堺におもむいたとき、「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、武家の生まれで歌のやり取りにも秀でていた太夫は「生き来る人の落ちざらめやも」と見事に返し、これを機に2人は師弟関係を結んだという。一休が二階から吐いた魚が水中で生き返っている。 44.佐賀の怪猫 【本図:夜】鍋島藩主の宿直の伊藤左右太は、猫の妖怪の術で眠らされぬように、小刀で自分の腿を刺して頑張った。 【上図:昼】 鳥居の上に猫が描かれている。 45. 平知盛の霊 【本図:夜】海中に沈んでいる平知盛の亡霊が三種の神器を探している。漁婦が膝まついているが、詞書には、一人の漁婦が宝剣を持って上がってきたと書かれている。 【上図:昼】壇の浦の戦の前に、桜の下で辞世の句を書く知盛。 最後のNo.46-50は↓。 【本図:夜】月見の宴が開かれている神功皇后の宮廷の庭で、夜間一人で警護の任にあたる忠臣・武内宿祢。 【上図:昼】肥前国松浦の玉島里の小川で釣りをしている神功皇后と武内宿祢。鮎が釣れたので「西の方の財の国を求めること」についての占いは吉ということになった。 47.三荘太夫 【本図:昼】京の落魄した公家の子どもたちが誘拐されていた。奥州の三荘太夫に売られた安寿と厨子王の姉弟もこのような誘拐の犠牲者。ここでは、弟・厨子王を逃がそうとする姉・安寿が描かれている。 【上図:夜】安寿はその夜、三荘太夫に折檻されて絶命した。安寿はその後母親に会い、家臣を集めて家を再興した。 48.菅原道真卿 【本図:昼】流された大宰府で子供たちに書を教える道真。 【上図:夜】藤原時平の讒言を恨んだ天拝山に登って自分の無実を訴え、祷った。その恨みは雷神となって都に飛んでいった。 49.坂ノ上田村麻呂 【本図:夜】鈴鹿山の盗賊退治を命じられた坂上田村麻呂は悪戦苦闘し、観世音菩薩に祈ったところ、鈴鹿御前の助力を得よとのアドバイス。そこで坂上田村麻呂は単身鈴鹿山に入って、鈴鹿御前を探しだして協力を要請した。 【上図:昼】観世音菩薩の救けで、雲から矢が降ってきて、坂上田村麻呂は盗賊退治をなんなく成し遂げた。この詞書は、例外的に「上図」の説明となっている。 50.大塔宮 【本図:夜】大塔宮すなわち護良親王は後醍醐天皇の皇子だが、後醍醐天皇と反目し、捕えられて東光寺の土牢に幽閉されていた。ここでは護良親王を斬首せんとする足利直義の臣・淵辺義博とこれを止めようとる妃・南の方が描かれている。 【上図:昼】剣先に突き刺された護良親王の首。 会場の最後に登場したのは、《東錦昼夜競》の目次↓である。 地球儀には縦の経線と横の緯線が引かれており、その間に50点の絵のタイトルが右上から順番に書かれている。この順番は、このシリーズの絵番号として使われているが、テーマとしては特別な意味のある順序ではない。 下からは雲が湧き上がってきており、日本の歴史における教訓が一つの天体であるかのように表現されている。 美術散歩 管理人 とら 【追記】 楊州周延「東錦昼夜競」と月岡芳年「月百姿」の比較を、本報の「その3」(こちら)としてアップした。
by cardiacsurgery
| 2012-12-08 15:14
| 浮世絵
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