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今年の10月は天気が良く展覧会も素晴らしいものが多かったが、11月に入ると気温が急降下し、展覧会もレベルダウンして、見たいものを探すほどになってしまった。たまたま一昨日は天気予報がはずれて、早く雨があがったので、ダウンジャケット・マフラー・手袋の完全防備で六本木に出かけた。
美術館入口に設置された横長の看板↓や大きな赤い提灯↓↓には不思議な存在感があった。この辺のデザイン感覚は流石である。 この画家との最初の出会いは、旧知の高階秀爾大原美術館館長から送っていただいた「会田誠・小沢剛・山口晃@大原美術館・有隣荘」の記録集である(記事はこちら)。この展覧会については、artscapeのアーカイヴにも残っている。 この記録集に載っている《愛ちゃん盆栽》シリーズの「松」・「ほおずき」は、今回実見することができたし、「柏」という別の作品も見ることができた。なかなか機知にとんだオブジェで、有隣荘の床の間や違い棚の上でなくても、六本木の美術館の中で落ち着いた存在となっていた。 次にこの作家の作品をまとめて見たのは、「アートで候。会田誠・山口晃展@上野の森美術館」である。その記事の会田誠に関する部分を以下に再掲する。 会田のアートはアイディアの集積。現代アートのテロリストともいわれるだけに、どこから攻めてくるか分からない不安定さ、いやらしさを内蔵している。自分としては分かりやすい《あぜ道》チラシ裏上右↓、《滝の絵》チラシ表↓、《ジューサーミキサー》、《大山椒魚》、《戦争画Returns-題しらず-原爆ドーム》、《戦争画Returns-紐育空爆之図》チラシ裏下↓あたりはすこぶる共感がもてたが、その先にはついていけなかった。今回の展覧会では、上記のすべてを再見することができた。二度目となると見慣れた懐かしい作品が増えてくるから、「慣れ」というものは恐ろしい。 大勢の美形の女子高生が描かれているが、いくつかのストーリーが含まれているようだ。左上には幸せそうな顔をしている一人は、両手で腹に短刀を突き刺しているが、創部から虹が出て来るのは何故なのだろうか。 すぐ下の一人は両手で日本刀を持ち、自分の頸動脈を斬っている。ドバーッと飛び散る動脈血。 その下の一人は割腹創から腸管が飛び出している。この女子高生Aは黒い髪。 右上のセーラー服の女子高生は倒れているが、すぐ下の切腹女子高生を止めようとしているのだろうか。このウィンクしている茶髪の女子高生がこの画の主人公B。ウィンクしながら両手で左脇腹に短刀を刺している。この子の次の姿は、左下に描かれている。短刀はなお右手に握られ、割腹創からの腸管露出はすぐ上の画と同様。 中央で長刀を振りかざすのは、切腹した同級生を介錯せんとする美形の女子学生。首が右下に転がっているが、その髪の色は黒の女子高生Aで、茶髪の主人公Bのものではないということになる。 この画の左下隅の署名は「雪舟三十代 画狂人 法橋 狩野天心 会田誠」となっている。曾我蕭白の款記「明太祖皇帝十四世玄孫蛇足軒 曽我左近次郎暉雄入道蕭白画」を真似た子供っぽい大言壮語である。 以上、一つの画について詳しく述べてみたが、このように文章で表現すると画のグロテスクさが強調される。 近くにあったピンクチラシのコラージュ《鶯台図》、「今年もヴィトンが豊作じゃ~!!」という吹き出しのある農民画《ヴィトン》(再見)、琳派風の火炎縁シリーズの2点《蜚蠣(ごきぶり)図》・《雑草図》などは、結構楽しめた。 《戦争画RETURNS》シリーズを集めた部屋は迫力があった。しかし、太平洋戦争の体験のない世代の戦争画はどこかピントがずれている。歴史問題に注目が集まっている現在の世界で、アーチストだけが無神経なのも困る。本人が確信犯であるのならば、困るのは一般の日本人である。 「画家本人は、太平洋戦争は意味でなく、抒情である」と捉えているという意味の説明があったが、そうだとすると、太平洋戦争の犠牲になった大勢の人々のことをどのように考えているのだろうか。 ・《一日一善》: 描かれているテーマは今上天皇・大雁塔・平山郁夫、笹川良一だが、平和の象徴の鳩が飛んでいるのが救いである。 ・《美しい旗》: 日本の女性と韓国あるいは朝鮮の女性がそれぞれの旗を振っている。有名な俵屋宗達の《風神雷神図》をもじった作品だが、歴史問題の象徴といわれなければよいと思う。 ・《みにまる》: 「天皇陛下万歳」と書かれた屏風。 ・《大皇乃敝尓許會死米(おおきみのへにこそしなめ)》: 玉砕図、いるかの集団自殺、万葉集(海ゆかば)、玉砕の島々の現在、ビーチリゾートなどのコラージュ。右傾化しつつある政治家たちからのポジティヴなレスポンスは、残念ながら選挙期間中で期待薄である。 ・《支那料理》: 豚の首が並んでいる。「許可」の朱印が目立つ。支那という言葉を使っている人が新党の代表になっている。ファシズムの台頭という「この道はいつか来た道」にならぬことを祈るのみ。 ・《紐育空爆之図》: 再見。今のアメリカ人ならば、笑って済ませる余裕があるだろう。ホログラムの輝きは、蒔絵の光沢の伝統のようだ。 ・《題しらず 原爆ドーム》: このドキュメンタリータッチの画は、寡黙なだけに、訴える力が強い。 ・《たまゆら》: 爆弾炸裂の煙が海と陸に立ち上る二連画。これらも寡黙で、迫力がある。 「みんなと一緒に」シリーズのポスター作品がいくつも出ていたが(義務教育年限9年x2=18点)、その幼稚性に驚いた。学校の美術の授業に対する皮肉だとすれば、あまりにも稚拙な発想の作品群である。そういえば、neoteny japan展にも会田誠の作品が出ていた。 「美術と哲学シリーズ」には、カントの「判断学批判」の本のページの上の落書き、またフランス人・ドイツ人・英米人に本人が扮して、それぞれの哲学書を読みながら画を描くという映像。完全に背伸びしすぎの作品だという気がした。 しかし類似の映像作品の《日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ》はとても面白かった。段ボールの小屋のなかにビデオが設置してあって、とても雰囲気が出ていた。このようにユーモアとダジャレの差は紙一重。この映像は、森美術館で2007年に「日本が笑う」展と同時に開催された「笑い」展にも出ていたのだが、その時には通り過ぎてしまっていた。そのアーカイヴには写真も残っている。 《考えない人》は、前述の大原美術館・有隣荘で《おにぎり仮面》として畳の部屋に坐っていたオブジェをロダン風にアレンジしたもの。ただし、こちらはお尻から便が出て、その上に草が生えているグロ作品である。写真撮影可となっていたので、フラッシュなし・観客なしで一枚撮った↓。 18歳以上のアダルト部屋「18禁の部屋」は、いわゆる変態絵画のオンパレード。途中で気持ち悪くなったが、がんばってメモしてきた。 ・《美味ちゃん》: 食用の人造少女。こういうことを考える人間が気持ち悪い。どうしても画像を見たい方はこちら。 ・《ガールズ・ドント・クライ》: ボディ・パーティ。 ・《ミュータント花子》: 奇妙な戦争マンガ。天皇陛下から啓示を受けたひめゆり学徒隊・花子と特攻隊・純一が、アメリカに立ち向かう話。マッカーサー元帥やアメリカ兵が鬼として描かれ、ミュータント化した花子が竹やりから発する稲妻で敵をなぎ倒していく一方で、凌辱を受けるシーンも出て来る。このような下品なエロスがこの作者の本領らしいが、豊かなマンガ文化が栄える日本における異端作品。部屋の中央にこれを紙芝居的に映像化したものがあったので、椅子に坐り、ヘッドフォーンを付けて観賞した。下手な英語ナレーションが可笑しかった。 ・《青磁器》: 女性器。 ・《巨大フジ隊員 vs キングギドラ》: エログロ劇画。北斎の春画《蛸と海女》の伝統を引き継ぐ現代浮世絵といったら怒られるかな。 ・《イデア》: 美少女という概念で自慰する馬鹿な男のナンセンス動画。 ・《犬シリーズ》: 画像はこちら(①、②)首輪を付けられ、四肢の切断端に包帯を巻く痛々しい美少女。エログロ極致の女性侮蔑作品。これを評価する美術評論家には消えてもらいたい。(註:①の画像は、2013年1月28日、リンク先HPから削除された、②の画像は、2015年1月21日現在、別画像に変更されていた) ・《御器噛草紙》: 伊勢海老と美女のセックス。これも北斎風春画的写真。 会田の作品はエロチック、グロテスク、サディスティックであることは間違いないが、それだけでは反社会的とはいえないであろう。むしろ問題なのは、社会的には存在意義のない作品が少なくないということである。 ここで2005年に大原美術館から発行された「会田誠・小沢剛・山口晃 記録集」に掲載されている山下裕二氏の論考「有隣荘の、穏健なテロリストたち」の1節を引用させていただく。 高階先生は、「山下君が最近よく取りあげている会田誠さんですね。ところでこの作品はどんな社会的なメッセージが込められているんでしょう?」というような質問をされたことを記憶している。会田のほうは、「ええ、いやあ、まあ、そのなんというか…お金になればいいと思って…」などと、いつもの調子で頭を掻いて、その後、会場の隅にうずくまりながら、短パンにサンダル姿で、ぐびぐびとタダ酒を飲んでいた。 この話は大分前のことなので、現在はかなり変化しておられるのかもしれない。しかしこの話が物事の本質をついていることには間違いなかろう。 「東京シティービュー」という名前のobservatoryに出てみた。 「東京タワー」が完成したのは1958年(昭和33年)。ちょうど映画「三丁目の夕日」の舞台として設定されている時代である。人々は、終戦直後の困窮の時代をなんとか克服し、明日への希望に満ちていた時代であり、東京タワーはその象徴だった。 一方、「東京スカイツリー」は日本の経済的発展に終止符が打たれ、世界第2の経済大国の地位を失った2012年(平成24年)に竣工したものである。最近では国内的にも社会の貧富の差が増大して不安定になってきただけでなく、若者の活動にも積極性が失われて外国への留学生も激減しているなどこの国の将来に暗雲が立ち込めている。 今回の展覧会の最後に、「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」というパネルがあって、会田誠の信条が並べられていた。その中で共感を持てたのは、「自分自身の次の作品は必ず新しいものを作るようにする」という項目ぐらいで、「日本語以外をマスターする必要がない」とか「パスポートは不必要で、会いたい外国人は自分で日本にやってくる」などの項目を見て、これではダメだとがっかりした。 アメリカ在住中に、「アメリカ人は流暢な英語を話すな!」という看板を持たせて日本人に立たせた写真がこの展覧会に出ていたことには大きなショックを受けた。美術界もバブル期の繁栄を失い、ついに内向きの姿勢になってしまったのであろうか。 いずれにせよアートはその時代を映す鏡である。絵画であれば「浮世絵=憂き世絵」。会田誠の作品は、混とんたる日本の現況を写した「憂き世絵」なのかもしれない。 通常の展覧会は展示品リストがあるのだが、この美術館の場合にはないことがある。大分前のことだが、「日本が笑う」(①、②)展のさいにもリストがなかった。その時には、やむを得ず、メモを頼りに自分でリストを作り、その後見に行かれる方のためにHPにアップロードした。 今回もリストがないcustomer-unfriendly な展覧会であり、図録さえ完成していなかった。「貧するものは鈍する」とアジアの人たちから軽蔑されないように努力してほしい。 (追記: 2013年に入って展覧会のHPを見たら、リストがアップされていた。) この展覧会のチラシに「天才」や「奇才」という言葉が安易に使われていることも気になる。ギャラリストやキュレーターにおだてられて本人がその気になっているとしたら「凡人」以下である。 Copyright ©2012 * 美術散歩 管理人 とら * All rights reserved
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| 2012-11-24 13:19
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