記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
小村雪岱の挿絵がいくら素晴らしいといっても、小説の筋書きを知らなければ、その良さは半減する。「その2」の記事では邦枝完二著の【おせん】や【お傳地獄】については、それらのあらすじの中に挿絵下図あるいは原図を挿入してみたが、子母澤寛著【突っかけ侍】は読んだことのない小説だったので、図書館から借りて、読んでみることにした。
![]() 戦後の1948年にも「突っかけ侍 上・下」が 講談社から「子母澤寛全集第2巻・第3巻」として出ているが、1956年になると、桃源社から、五巻本「わざくれ橋の人」、「哀れやむく犬」、「月を仰ぐ」、「浮名」、「江戸騒ぎ」にまとめたものが刊行されてた。 今回私が近くの区立図書館から借りて読むことができたのは、1972年に講談社から出版された「大衆文学大系19 野村胡堂・子母澤寛・川口松太郎」↓で、これは1967年にサンケイ新聞出版局が発行した三巻本を定本としたものだとのことである。 ![]() 小笠原長行の父である肥前唐津藩主・小笠原長昌は、1823年に没したが、この時長行はわずか2歳であったため、信州松本藩主松平光庸の子・長国が養子に迎えられ、自らは庶子の扱いとなる。1857年に長国の世子となったが、お互いの年齢差がわずか2歳で、二人の関係は微妙だった。藩主・長国は実家である松本藩とのつながりが強く、薩長の影響下にある京方についたが、世子・長行は1862年には老中にまで出世し幕府方の中心人物であった。 小説「突っかけ侍」は、図書頭であった長行が1864年に壱岐守に任官されたころから始まっている。 長行は、前年の生麦事件の賠償金支払いについて反発を受けて、1863年に一旦老中を罷免されるが、1865年には老中に復帰している。さらに、翌年の第二次長州征伐に際しては全権を委ねられた。しかしこの戦に敗北し、再び老中を罷免されたが、翌月には復帰し、将軍徳川慶喜の下で大政奉還を実現した。 小笠原長行のその後については、1868年3月、幕府の崩壊によって老中を辞し、江戸から奥州、箱館へと移って新政府軍と交戦。箱館陥落後は東京に潜伏したが、1872年に自首した。しかし、罪に問われることはなかった。 一方、著者の子母澤 寛 (1892- 68年)について述べれば、、幕末維新を背景とした作品が多い。それは徳川の御家人で彰義隊に参加し、五稜郭で敗れて、石狩の漁村・厚田で網元になっていたた祖父の影響である。これは子母澤寛の文学的出発点となったのが「新選組始末記」であったことに象徴されている。一時期股旅物の書き手であった子母澤寛であったが、この都新聞連載の三部作が、その後の大活躍への道を開いたのである。 展覧会に出展されている小村雪岱の挿絵下図は、1934年の都新聞の挿絵下図であるので、私の読んだ本のどの位置に挿入すべきかの判断は、それほど容易ではなかったが、なんとか頑張ってみることにした。 さて、この小説の主人公である「松村金太郎」は肥前唐津藩のもと御馬廻り役、現在は武士を廃業して突っかけ草履の小意気なにいさんに変り、「わざくれ橋の金さん」で通っている。しかし実際には小笠原長行の命をうけて密かに動いていた人物である。 小説では、この小笠原長行や松村金太郎を助ける元剣法指南役・小南敬介、元馬術指南役で今回江戸定府となった刈谷得之輔、金太郎を元の師匠とする岩崎但馬、船頭・四郎次、金太郎を慕う芸者「小むら」や男装した松本藩家老の妾「お美津」、さらにはお美津の姉で姐御肌の「お花」、金太郎の姉で船宿の女将を勤める「織江」など、さまざまな人間がいり乱れる様子を、唐津藩の内紛や維新前夜の時代を背景に書きつづっている。 以下、章別にその概略のメモを残しておく。 「春香」 姉婿の仇で攘夷派と通じていた長谷川番作を斬った松村金太郎が、四郎次の家に向かう途中、大きな「むく犬」に吼えられる、足や服に血がついていたらしい。その挿絵下図は↓であるが、文中では「金太郎は「頬かぶりの豆絞りを、鼻の先に結んで、細い縞の袷、吉野格子の下馬(したうま)を重ね、寸の詰まった帯・・・」と描写されている。 ![]() また犬の方は「八百床のおやじが江戸一と自慢の白と黒の大きなむく犬。こ奴が吼えた。『うわっ』と唸って出て来ると、白い牙を見せて今にも飛びつきそうになる。『しっしっ』と怒鳴りながら、金太郎は知らぬ間に懐中の匕首に手をやっていた」と下図↓とそっくりの表現である。 ![]() 「芽春」 浅草・山谷河岸の船宿「あをやぎ」を訪れた金太郎、二階へ上がり、お菊こと姉の「織江」に長谷川番作を斬って仇をとったことを伝える。文中の織江の描写は、「黒襟、縞の袷、きっぱりと帯を結んで二階に上がっていく」とされ、長谷川が討たれたことを知るや、「一旦階下に下りると、袂につつんで霊牌を持って、再び二階に上がってきました」となっている。下図↓をよく見ると、確かに何かを持って階段を上っている。 ![]() 小南敬介は、松本藩に通じている唐津の侍たちが金太郎を狙っているのを知って追い払い、さらに「むく犬」の足を斬ったが、殺し損ねた。このため「むく犬」は三本脚になってしまうが、四郎次の追跡を止めなかった。 「蜘蛛」 松本藩の中屋敷では、家老の高橋申太夫が、小姓風の若侍・南條文之丞に変装している「お美津」から、唐津の刈谷得之輔が上京してくることや小笠原長行が任官したことを聞き、小笠原壱岐守を訪ねて、祝いの言葉を述べる。壱岐守は、高橋に疎遠になっている「おやじ」すなわち藩主の様子を訊く。 「波」 「むく犬」が海中から八百床の死骸を咥えだしてきた。八百床の娘の芸者「小りん」は、知らぬが仏で、四郎次に仇討を頼む。 「駕」 南條文之丞の駕篭を追った高橋申太夫の若侍・大崎英馬が「お前は女だ!」と叫ぶと、そこに現れた金太郎が大崎を投げ飛ばした。 「夕げむり」 刈谷徳之輔は江戸への道中、娘姿の「お美津」と道連れになる。翌日、刈谷を出迎えに来た金太郎と薩捶峠の頂上で出会い、三人で旅することとなった。金太郎は、お美津の正体は松本藩家老の妾で普段は小姓姿をしている南條文之丞であると教えた。下図↓はこの3人を描いているものと思われる。 ![]() ![]() 四郎次は一緒に舟に乗った小南敬介から、同心や岡引の八百床殺しの調べが始まっていると警告され、今後の逃げ場所をいくつか示唆された。 さらに、陸に上がった小南は、お美津の姉の夜鷹の「お花」から、岩崎からの伝言を受け取った。それは、唐津の家老・山形多門が相談のため今晩松本藩家老・高橋を訪問するというものだった。そこで、小南敬介は山形の駕に出向いて脅して、その駕を戻させた。 四郎次の方は、自宅に戻ると、小南に頼まれた「お花」が住みついていた。朝になると食事の支度もしてあった。「お花」の指示で、「むく犬」に飲ませる毒薬を買いに行く途中、四郎次は岡引きと同心に見つかったが、たまたま出会った「小りん」の家に同行することで助かった。「お花」も番屋へ連れて行かれ、「責め」はじめられた時に、岩崎が来て、「お花」は釈放された。 「山谷堀」 船宿「あをやぎ」の金太郎の姉のところに、刈谷と金太郎がまもなく江戸に入るとの知らせとともに、金太郎を想っている吉原・ふじの家の「こむら」姐さんが現れた。 一方、吉原の通りでは、四郎次が刈谷と小村に会ったが、翌日の再会を約して分かれていた。刈谷と金太郎は吉原からの帰途の小笠原壱岐守に会い、四郎次は、その後、八丁堀同心に見つかったが、深川の唐津侯下屋敷に逃げ込んで匿われた。 翌日、金太郎は「あをやぎ」で待っていたが、四郎次は来ず、刈谷と「小むら」が現れた。 「背山寺」 四郎次は侍姿で外出。小笠原壱岐守は風呂に入りながら「すべては時の流れ」と呟き、来訪した幕府政治総裁・松平春嶽にも会わず、長唄の稽古。長唄の師匠・杵屋六琴は32-3歳の女性。「眼が殊に美しく、気丈そうな女で、それでいて粋なところが匂っている」と書かれている通りの女性として下図↓に描かれている。 ![]() 四郎次が自宅に戻ると、「お花」が四郎次の娘のような顔をしてこの家に落ち着いており、洗濯のすすぎをしている手を放して立ち上がった。下図↓は、この場面であろうか。また、「夜が明けて、四郎次が目を覚ますと、朝餉の用意が出来ていて、お花は”お父さん、水を汲みましょう。井戸へ出ていらっしゃい”と本当の親父につかえるように心底嬉しそうにしていた。」というような文章もある。 ![]() 「女ごころ」 「お花」は、高橋申太夫を訪ね、文之丞こと「お美津」を引き取ると申し出た。下絵↓は、「お花」と「お美津」の再会の場面。文章は「文之丞が出て行った時には、客はしずかに茶をすすっていた。『あっ』と驚く文之丞。『お久しゅう』と顔を向けたのはお花」となっている。下図↓では座っている「お花」の手は茶碗を持っているような気がする。 「お美津」は金太郎を慕っている自分に気づいて姉「お花」に同意し、高橋申太夫もやむなくこれを許した。 ![]() 岩崎但馬が四郎次を訪ねてきて、小南敬介を探して、「一両日中に家老・山形が帰国し、小笠原壱岐守を本国で謹慎させようとしている」ことを伝えたいという。岩崎が帰った後に、四郎次は、お美津が連れてきた金太郎に岩崎の話を伝えた。 それから12-3日経って、山形家老が江戸を出発。お供は、岩崎但馬の他に、小南敬介から目録をもらっている三宅頼二郎と池上善兵衛。それに若党に2人と高橋からの付人・林典膳、大道寺権太夫、鷺坂岩見である。 四郎次は、刈谷から妙光寺の小屋に人形の手があるのを見つけたので、もともと人形作りの才能のある小南敬介がその寺の経堂で人形を作っているのではないかという。四郎次が行くと、中からやつれた小南が顔を見せ、金太郎はもう出たかと聞いた。経堂の中には、生きているような人形が出来ていた。 「霧」 山形家老たちが鞠子の宿を出て、霧の峠を上りつめて下り坂にかかったところに金太郎が待っていた。金太郎は、斬りかかってきた付人・大道寺権太夫の顎を逆に切り上げ、遅れてきた付人の林典膳の左手を斬り、到着した小南敬介の背後から迫る林典膳の首を刎ねた。家老・山形家門は崖から落ちて行った。岩崎但馬におぶわれて駿府の医者に向う小南敬介は、「織江」の夢を見たり覚めたりしているが、金太郎に万一の場合には、自分の形見としてあの人形を一番似ている人に遣ってくれという。 (「大衆文学大系 19, p247-470, 1972」に収録されている子母澤寛「突っかけ侍」 はここで終わり) 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-11-14 22:58
| 国内アート
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||