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以前、東博で催された日本美術の「作家・対決展」は非常な好評を博したが、今回は中国美術の「王朝・対決展」ということで、どういう構成になっているかという興味もあった。 結論的には、王朝間の差をそれほど明確に出せなかったセクションもあって、「対決展」として100%成功しているとまでは言いにくかったが、最近の発掘調査の結果などを踏まえた貴重な品々が予想以上の数で展示されていたので、十分に満足して鑑賞してきた。 以下、展覧会の構成に従って記事を書くこととする。 第1章: 蜀 vs 夏・殷 第2章: 楚 vs 斉・魯 第3章: 秦 vs 漢 第4章: 北朝 vs 南朝 第5章: 唐(長安) vs 唐 (洛陽) 第6章: 遼 vs 宋 蜀王朝の文明は、広漢市の「三星堆遺跡」(BC13-11世紀)に、成都市の「金沙遺跡」(BC12-10世紀)の発掘が加わったことによって、その解明がかなり進んだ。 三星堆遺跡の青銅の《突目仮面》や青銅に金のマスクを付けた《人頭像》は見慣れたものであるが、金沙遺跡から出土した小型の《金製仮面》(↑上、青銅の顔面に付ける予定のもの?)、《金製漏斗形器》、《金製冠帯》を見ると、蜀文化を特徴づけるのは「金」であることが理解できる。 金沙遺跡の出土品の中には、青銅製の《虎》や首のない《人形器》↓もあった。後者は、この場所の怪物なのだろうか。夏王朝の伯益の「山海経」に書かれている首なしの「形天」(参照)にも似ているが、眼や口らしきものの位置がちょっと違うような気もする。 一方夏王朝は、堰師市の「二里頭遺跡」の出土品、殷王朝については、鄭州市の「窖蔵」や安陽市の「殷墟」からの出土品から考えて、青銅器文明であったことが分かっている。 夏王朝は、以前にはその存在が疑われていたが、国家プロジェクト「夏商周断代工程」によって、その年代確定作業に一応の結論が出されている。それによると夏王朝はBC2070年に成立し、BC1600年に殷に滅ぼされたという。(日本経済新聞:春秋、2000.11.15) 今回、夏王朝のものとして出展された二里頭遺跡の出土品には、土製の三本足酒器《盉》、青銅の酒器《斝》、トルコ石を埋めこんだお馴染みの青銅製《動物文飾板》、玉の《戈》の4点があった。いずれも祭祀などに使われたもので、実用品ではなかったようである。 (↑↑下)は、殷時代の酒を温める《爵》。青銅の爵は既に二里頭文化期に出現しており、夏王朝以来の宮廷儀礼用の祭器と考えられている。爵という言葉が中国古代の諸侯またはその臣の身分を表す称号として使われていることもこれに関連があるのだろう。3本の足、把手(鋬)、注口(流)、尾の他に、流の付け根にキノコ形の柱があるが、その機能は不明とのこと。 殷墟の玉製の斧《玉戚》や殷の亀甲文字を刻んだ《卜甲》↓はお馴染みのもの。 楚については、荊州市の「天星観墓」から戦国時代の文物が出土しており、以下のような珍奇な品々が並んでいた。 ・《羽人》(↑上)は、羽根を広げた鳥と一本足の人間が一体となったキメラ仙人。蝦蟇の上に乗っていた。 ・《虎座鳳凰架鼓》↓では、大きな太鼓が虎と鳥の支持台に載っている。迫力! ・《鎮墓獣》↓は、双頭で鹿角を持ち、長い舌を出し、目を開けた獣。 ・《犠尊》(↑↑↑下)は、牛型の酒を温める器。背中のツマミが付いた蓋を開けて、酒を入れる。出てくるのは口から。金銀の象嵌で、トルコ石も埋め込まれている。 ・《猿形帯鉤》↓とは、バックルのこと。 「漢」の都の所在地は、前漢の西安市(長安)から、後漢の洛陽市へと移っている。前漢の《女性俑》(↑下)は、均斉がとれた美しい姿。《男性俑》の着物も左前で男女同装だったようだ。 雁が魚をくわえた《雁形灯》も前漢のもので、青銅製。 後漢のものは、蓋・本体ともに文様のある《硯》1品のみ。 ・五胡十六国⇒【(北朝) 北魏→東魏(→北斉)+西魏(→北周)】⇒ 隋 ・東晋 ⇒【(南朝) 宋→斉→梁→陳】⇒隋 「北朝」で重要なのは、仏教を重んじた「北魏」。その都は、大同市(平城)から洛陽市に移っている。高床の正面に置かれた《石床板》、《天人龍虎蓮華文柱座》(↑上)は北魏の石製のもの。 ローマ、ササン朝ペルシャ、アフガニスタンなどの影響を受けた《童子葡萄唐草文脚盃》、《闘獣文八曲杯》、《人物植物文碗》など5世紀のものも伝わっている。 「南朝」の都は南京市(建康)。出ていたのは《蓮華文磚》、蓮華文とパルメット文のカワラ。 青磁がいくつも出ていた。三国(呉)の《弾琴俑》は灰色、西晋の《男性俑》は褐色。三国(呉)の《仙人仏像文盤口壺》(↑下)・《楼閣人物神亭壺》や西晋の《鷹文壺》はいずれも灰褐色。 金製のものとしては、東晋の小さな《関中侯金印》、東晋の《蝉文冠飾」とダイヤらしきものが象嵌された《指輪》に目がいった。 お気に入りは、壁画《拱手男女図》、藍釉も目立つ唐三彩の《女性俑》、大理石の《金剛神坐像》(↑上)、鍍金をほどこした銀製の《大日如来坐像》や茶葉用の《網籠》、螺鈿の青銅製《花鳥文鏡》、海中に浮かぶ神山を表した緑釉陶《博山炉》、越州窯のやや灰色がかった法門寺地宮」出土の秘色青磁《五花形盤》など多数。 副都の「洛陽」のものとしては、 龍門石窟の石灰岩でできた《仏坐像》(↑下)、鍍金をした銀製の《蛤形合子》、金銀平脱で仏僧華を咥えた鳥や柘榴が表された《双鳥文鏡》、唐三彩の《鴛鴦文枕》が良かった。 《銀製仮面》(↑上)は、埋葬時に被せたもの。身分によって、金製仮面や銅製仮面もある。オリンピックのメダルの色との一致はもちろん偶然だが・・・。 その他、紅帽子遼塔地宮出土の《仏塔型容器》や《銀板経》、水晶250個を使った《首飾り》、瑪瑙の管玉と金の籠玉を使った《垂飾》、緑ガラスと銀のイスラム風《方盤》、遼三彩の《波濤流雲文扁壺》、龍の取っ手が付いた《瓢形水注》、緑釉陶の《団龍文皮袋形壺》などお気に入り多数。 「北宋」のセクションでは、939年制作の青銅製の《仏塔》、974年制作のカラフルな《千仏磚》(↑上)、11-12世紀の《金製龍》が良かった。 しかし、1011年に、北宋で作られた《阿育王塔》↓が、断然、他を圧倒していた。大きく、立派な塔。光輝く金色で、4面に、巧みな図像でインドのアショカ王の物語が表されれている。南京の長干寺の地下から近年出土したもので、この展覧会のメダマ仲のメダマである。これがこの展覧会のオオトリとして最後に展示されているのがニクイ。 「南宋」のものとしては、金の延べ板である《金鋌》が出ていた。 南宋青磁としては、《連弁文多嘴壺》と《龍文壺》が出ていたが、あまり感心しなかった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ このように、中國美術の長い歴史を「対決展」という形式で辿ってきた。今回は宋で打ち止めであったが、対決の焦点がはっきりとしていたセクションといささかボケているセクションがあったようにも感じた。 これに続く、元、明、清、民国、共和国の時代においも、こういった形式の対決展というものが可能なのではあるまいか。 個人的には、「楚」の文物の珍奇性を学んだことが最大の収穫だったと思う。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-10-14 11:50
| 東洋アート
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