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これが、清雄の最大の庇護者であった勝海舟に捧げられたオマージュであることを知ったのは、東博の受付で頂く隔月誌の「気になるこの作品」というコラム↓を読んでからである。 辻惟雄先生は、この教科書の中で、「この作品は、画中に配置されたモチーフそれぞれの寓意性によって『西洋アカデミズムの理念がようやく日本に移植された一例』とされる。川村は1871年いち早く渡欧し、イタリアの美術学校で画技を本格的に学んだ。10年後日本に帰ってからの作風は五姓田義松の場合と同様、日本的な画題と作風に変わる。《形見の直垂》はそのなかで、イタリアでのアカデミズム習得の成果を生かした数少ない作例であろう。」と書かれている。 今回の展覧会は、川村の代表作や初公開作品を含む約100点の絵画が一堂に会する大規模な回顧展であるとのことなので、後学のために会期早々に見に行ってきた。 オルセー美術館から里帰りした《建国》や聖徳記念絵画館蔵の《振天府》などのメダマ作品を見ることもその目的だった。 会場での川村家や川村清雄の展示資料の数の多さにはちょっと辟易したが、これらから今まで知らなかったことを沢山学んだ。 具体的には、以下のような点である。 ・川村家は、将軍の直属情報機関である公儀隠密の家柄で、清雄はその嫡男。 ・1868年、維新後、清雄は徳川家達の家従として静岡に移った。 ・清雄の外国留学の費用は、当初は徳川家から出ていた。 ・1871年、最初に米国に行き、風景画家のチャールズ・ランマンに師事し、カバネルの弟子の歴史画家・オラース・ド・カリアスとも交流があった。 ・1873年、本格的に絵を学ぶためにパリに移った。当初、ギオー、ついでカリアスに師事。海外留学生に帰国命令が出たが、川村は私費で残留。 ・1876年、理由があってパリを離れ、日本の官費留学生として、ヴェネツィア美術学校でアカデミズム絵画を学んだ。 ・1881年、大蔵省印刷局からの命令で帰国、翌年1月印刷局彫刻助手となるが、11月には辞職。 ・1883-94年 勝海舟邸内に作ってもらった画室で制作。 とくに、幕末以降の激動の時代に川村を支え続けた徳川家達や勝海舟の物語は興味深かかった。 以下、章別に感想を述べていく。 第1章 徳川家派遣留学生 パリ時代の《静物写生》↓は、川村の優れた描写力を示している。 ここには、18世紀のジャンバッティスタ・ティエポロの《聖ガエタヌスに現れる聖家族》-ヴェネツィアのアッカデミア美術館蔵-も出ていたが、川村との直接の関係が書かれておらず、とって付けたような展示だった。 第2章 氷川(ひかわ)の画室 川村が描いた《江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)》↓には、無血開城を是としない幕臣が抜刀して勝に斬りかかろうとしており、地面には葵の御紋の軒丸瓦が落ちている。 第3章 江戸の心を描く油絵師 帰国した川村は、明治美術会の設立に加わり、画塾で後進を育てた。川村の作品の特徴は、「和魂洋才」ともいえる新しい画風。しかし、西洋の油彩画の受容中の明治の洋画界は、川村のこの作風を理解せず、川村は画壇から次第に遠ざかり、忘れられていく。 一方、薩摩出身の維新の功績者・黒田清綱子爵の養子である黒田清輝は、明治美術会を離れて、白馬会を立ち上げて「脂派」から独立した。 洋画界の大御所となっていく黒田清輝が、旧幕出身の川村清雄を受容しなかったという事実については、この展覧会の解説でも示唆されていた。 さて川村は、その後も、旧幕府関係者のネットワークに支えられて、江戸趣味の作品を制作しつづけていたようである。 明治31年(1898)頃の貴賤図(御所車)》↓には、平安朝の御所車と従者、それを見送る子守が描かれているが、コローの影響が認められるとのこと。 聖徳記念絵画館建設・明治天皇壁画制作事業における壁画制作者の選定にあたって、明治神宮奉賛会会長であった徳川家達は、自分が奉納する壁画の作者として川村を指名した。素晴らしいサポートである。 家達から与えられた画題である《振天府》-皇居内の庫-の制作中に開かれた川村の作品展を訪れたフランスの仏教学者レヴィが作品に感激して、川村の画をパリのリュクサンブール美術館に収めたいと望んだとのこと。 川村は、これに応えて日本神話を題材にした《建国》↓を描き、この画は昭和4年(1929)フランスに渡った。これは日本神話の「常世の長鳴鶏」とフランスのシンボルである「ガリアの雄鶏」のダブルイメージだという説がある。 このような川村の再評価・顕彰に連なる研究を地道に続けてこられた息子・清衛氏ならびに高階秀爾氏をはじめとする研究者の方々に敬意を表したい。 最後にいささか脱線するが、拙ブログが Art & Bell by Tora となっているように、わたしは鈴にも興味を抱いている。 この展覧会の最終章に、川村が持っていた「駅鈴」がでてきた。 「江戸ー静岡ー東京ー横浜ー米国ーパリーヴェネチアーパリーヴェネチアーナポリー香港ー横浜ー東京ー奈良ー東京」という長くかつ曲がりくねった人生の旅を象徴するような川村の「駅鈴」を会場でしばし凝視した。合掌 美術散歩 管理人 とら 【追記】 「もう一つの川村清雄展 @目黒区美術館」の記事はこちら。
by cardiacsurgery
| 2012-10-11 15:12
| 国内アート
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