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この展覧会の構想は、福島の原発事故と戦争画に対する問題意識が重畳して形成されてきたもののようだ。すなわち、「2011.3.11+1945.8.15」展であるともいえる。 具体的には、この展覧会では、シベリア抑留、中国戦犯管理所収容の体験を持つ檜山高雄の絵画と、1980年前後に生まれた若手作家5名の主に3.11以後に制作された作品が対置されている。 画廊主の癸生川栄氏から、懇切丁寧な説明を頂いた。 寡聞にして、私は、檜山高雄という画家のことはまったく知らなかった。 ↑左の《1945年8月15日》には、燃える地平線に向かう銃を持った兵士の後ろ姿が描かれている。添えられた文章には、「あなたは八月十五日の空を見つめたことがありますか。眠りに沈んだ街の上を人々の魂が通り過ぎるのです。あの戦争で死んだ人たちの魂です。東南アジアの、中國の、そして日本の人たちの・・・」とあった。 私自身「八月十五日」のあの青い空をしっかりと記憶にとどめている。しかし、それはあくまで内地の空であって、檜山の見た外地の空とは異なっている。 ↑右の《私と戦争》の胸は無残な傷だらけであり、添えられた文章からこの身体は「抗日戦士」のものであることが分かった。 檜山高雄(1920-88年)は、1920年広島県生まれ。1941年から約5年間、陸軍の報道班員として中国本土に駐留。シベリア抑留、中国戦犯管理所を経て1956年帰国。その後自らの戦争体験を絵画として発表していった。 香月泰男と同様に、帰国後すぐには戦争体験を絵画化する気持ちになれなかったのではなかろうか。 会場に置かれていた檜山が描いた画の写真を集めたノートには、24枚の画と本人の文章が載っていた。 非常に強い色彩で描かれた画の多くは、ムンクやブリュッケの画家たちの作品を想起させる表現主義的な画である。 これに添えられた文章をすべて読む時間的余裕がなかったが、是非、画像ともども、何らかの形でpublishしてもらいたいと思った。 画廊主の癸生川栄氏の話では、これらの画の現在の管理者である「中国帰還者連絡会」の方々意思はわからないが、どこかの美術館に寄贈されるだけだと、文字通り「お蔵入り」してしまい、今後閲覧の機会が減ってしまう可能性もあるかもしれないというところが少し心配だとのこと。 東京国立近代美術館で管理されている「戦争記録画」と類似の問題が発生すると困るということは私も同意見である。 潘逸舟(1987年上海生まれ、2012年 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了)の《反対側》(↓および↓↓)では、ナイフを逆さにして持っているので、刃によって指を自傷し、出血している。しかし、胸に当っているのは柄の部分なので、致命的になることはない。切腹という日本古来の責任の取り方とはレベルが違う。作者の意図は十分に理解できなかったが、日中戦争に対する日本人の責任の取り方を皮肉っているのでなければよいが。 梅沢和木の《magic-mirror α》↓には、会場の展示物が映っている。鏡には沢山のキャラクターがデジタルコラージュされており、向こうからこちらを眺め返してくる。中央に置かれているのは、3.11の際に放映されていたアニメの中の魔獣とのこと。そういう意味では魔鏡である。その中にこの展覧会の展示物と観賞者を映し出しているという仕掛けである。 この展覧会はお勧めです。明日と明後日の2日だけ。お見逃しなきように。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-08-29 20:20
| 現代アート(国内)
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