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高校野球が終わっても猛暑が続く。そのため「とら」は美術散歩を控えて、もっぱらTV美術番組鑑賞。これは昨晩の番組のメモ。
この番組のサブタイトルは「油絵の故郷ブルージュをゆく」である。最近流行の美術番組と観光番組のドッキングのようだ。 ブルージュのグルーニング美術館・メムリンク美術館 については、2012年2月に、BSジャパン:美の浪漫紀行の視聴記事を書いているが、今回はヤン・ファン・エイクに絞った番組。両者で重複するところもあったので、目新しいところに主眼をおいたメモを残すこととする。 1.ヤン・ファン・エイクの人生: 生れは14世紀末。1422-24年に、ハーグの宮廷でホラント伯ヤンに仕え、《トリノ-ミラノ時禱書》の制作に参加している。↓はその中にヤン・ファン・エイクが描いた写本挿絵《洗礼者ヨハネの誕生》。その細密画法に驚かされる。 その後、ヤン・ファン・エイクはフィリップ善良公の命で、バレンシアやリスボンを訪れているが、当時の作品は残っていない。 1930年、ヤン・ファン・エイクはブリュージュに移住して、住居兼工房を構えた。 この番組のタイトルとなっている画は、ヤン・ファン・エイクの豪華な《ファン・デル・パーレの聖母子》1436↓。 聖ゲオルギウスの兜には、画中には見えない手前の窓からの光と聖母子が何重にも映っている↓。 2.油絵の技法の開発 油絵が当時の芸術の先進国イタリアではなく、遥か北の地で花開いた背景には、この地で亜麻の栽培が盛んであったことがある。亜麻は種を蒔いてから100日間で収穫され、その茎を叩いてほぐしていって、亜麻の糸を作り、これから夏物の布地や船の帆が作られていた。実際、「リネン」あるいは「リンネル」という言葉は今も使われている。ブリュージュには「亜麻博物館」もある。 この亜麻の実から採れた油(亜麻仁油)は、空気にさらすと固まるという性質があり、以前から画の中で艶を出したい時だけに使われていたのであるが、ヤン・ファン・エイクはこれを全画面で薄く重ね塗りをしていくという技法に発展させた。ヤン・ファン・エイクの使った顔料はわずか9種類だったが、厚塗りしていけば濃い色となっていくということを利用して、多彩な色彩表現を完成させていった。 《アルノフィーニ夫妻の肖像》1434年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵を例にとれば、まず板全体を白塗りしておいて、顔料を重ねていくのであるが、顔の部分については非常な薄塗りとしているので、顔が白く見えるのである。 ・マルクト広場: 運河を有するこの街は、13世紀から地中海と北海をつなぐ交易で大いに繁栄し、芸術文化の花が開いた。北のヴェネチアと呼ばれたほどである。マルクト広場は街の中心。 ・ヤン・ファン・エイク広場: ヤン・ファン・エイクの像がある。 ・聖母教会: マリー・ド・ブルゴーニュの墓やミケランジェロの《聖母子像》↓がある。後者はブルージュの商人がミラノで買い求めたものをこの協会に寄付したもので、ミケランジェロの生前にイタリアを離れた唯一の彫刻だとのことである。 4.ゲントの街の散策 ・聖バーフ大聖堂: 大聖堂の前庭には、ヤン・ファン・エイクの銅像は、兄のフーベルトの像と並んでいる。 ここにヤン・ファン・エイクの最高傑作といわれる《ゲント祭壇画》がある。額縁の銘によって、これは兄フーベルトが制作を開始し、兄の死後弟のヤンが完成いたということになっている。 この番組は、2012年9月12日に再放送される予定。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-08-23 20:04
| ルネサンス
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