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一方、国内のものとしては、2008年にうらわ美術館で開かれた「誌上のユートピアー近代日本の絵画と美術雑誌 1889-1915」展の記憶が、立派な図録とともに残っている(記事はこちらとこちらとこちら)。 他方、藤田嗣治については、その回顧展や戦争画について沢山の記事を書いてきたが、藤田の挿絵本への関与については、寡聞にして知らなかった。 大坂上でバスを降りて、山手通りを歩いて10分なのだが、じっとりと汗ばんでくる。この美術館には長年通い詰めているので、係員にもなじみが多い。 閑話休題。地下1階が「藤田の挿絵本」、2階が「エコール・ド・パリの挿絵本とその時代」に分かれている。 藤田やエコール・ド・パリの画家の油彩画などが、その間に配置されていた。北海道立近代美術館所蔵の5点はすべて再見だが、初見の個人蔵作品には良いものが多かった。 展示リストでは、地下の藤田が先になっていたが、全体像をつかんだ方が良いと考えて、2階のエコール・ド・パリの方を先に見た。 随分詳しい説明がキャプションにあったが、字が小さいのと、詳細にわたりすぎるので、どうしても飛ばし読みになる。キャプションの内容は、図録にすべて載っているようなので、珍しく早々と図録購入を決めて、作品だけを眺めていくことにした。 これは、抜け目のない画商ヴォラ-ルが、これらの新進画家に依頼して、詩集や小説に版画による挿絵を付けた限定版の挿絵本を出版したことと対応する。この評判が良く、出版ブームとなったという。 さて、肝心の藤田嗣治の挿絵本だが、その種類の多さに驚く。日本に帰国した際には、巴里を偲ばせる作品を、フランスでは主として日本の雰囲気のあるものを制作しているようで、藤田のコスモポリタンとしての戦略が伺われる。 1.愛書都市パリー文学者たちとの協働: 1913年に渡仏した藤田はパリの社交界をうまく立ちまわり、多くの文学者や出版関係者の知己を得た。それが藤田が挿絵の仕事を得るのに役立ったのだろう。 ・《詩数編》: 1919年、藤田の最初の本の仕事。著者は小牧近江という日本人。細い線描で人物・動物・花を描いている。 ・《アマルと王の手紙》: 1922年、インドの詩人タゴール作、アンドレ・ジッド訳、藤田嗣治挿絵という夢の組み合わせ。象などの異国趣味のテーマを選んでいる。 ・《ポーソル王の冒険》: 1925年、ギリシャの王が娘を探しに出る冒険物語。著者ピエール・ルイス。裸婦や動物の木口木版。 ・《エロスの愉しみ》: 1927年、オッフェンバック著。繊細な線と美しい淡彩で表される裸婦やキューピッドはお気に入り。 ・《イメージとのたたかい》: 1941年、ジャン・ジロドー著。これに使われている藤田の画は1枚だけだが、その一部だけが何度も使われている。本記事のトップに上げた今回のチラシは、これのイミテーションであるが、これ自身も素晴らしいセンス。 2.記憶の中に日本: 藤田が20年代に手がけた挿絵本には、日本のイメージを扱ったものが圧倒的に多い。この説明としては、会場では「藤田の望郷のイメージだったかもしれない」と書かれていたが、わたしは「藤田はフランス人の異国趣味を利用しただけだった」と思う。戦中・戦後の藤田の並外れた自己中心的行動を考えれば、藤田にそのようなセンチメンタリズムが存在したとは到底思えない。 ・《日本昔噺》: 1923年の作。月岡芳年の《月百姿》を彷彿とさせる色と形。両者ともに菊地容斎の《前賢故実》を利用しているとの解説があったが、菊地容斎の《頼政》の絵はかなり違っており、《姥捨山》に相当するものは探せなかった。 ・《朝日の中の黒鳥》: 1927年、ポール・クローデルの日本文化論。姉カミーユのジャポニスムの感化で、日本を好いていたポールは、公務を縫って、日本を積極的に見聞した。表紙(画像は↑↑右上)の朝日は日本の象徴で、黒鳥=クロトリ=クローデル。藤田の挿絵は陳腐な構図のものが多いが、1923年にポール・クローデルが遭遇した関東大震災の画には意表をつかれた。このとき藤田はパリにいたのだから、この震災画は実景画ではないのではなかろうか。 ・《お菊さん》: 1926年、ロティー著。この中の藤田の図も日本では見慣れた図ばかり。藤田が幼いころから親しんでいた北斎の漫画に通うものがある。 ・《芸者のうた》: 1926年、スタイニベル=オーベラン著。浮世絵などを参考にしたのだろう。 ・《御遠足》: 1927年、トマ・ローカ著。日本滞在記。銭湯での混浴シーンなどの民俗画。 ・《八景》: 1927年、キク・ヤマタ著。名所絵。 ・《中毒について》: 1929年、ポワシエール著。インドシナの物語。藤田が調べた資料から、↓のような画を描いた。 ・《芭蕉とその弟子のハイカイ》: 1936年、日本の外務省の外郭団体である国際文化振興会が刊行したもので、芭蕉・嵐雪・去来ら9人の俳句の仏訳。藤田の《古池に飛びこむ蛙》(部分↓)は洒脱。 ・《巴里の横顔》: 1929年、藤田嗣治著・装幀。 ・《腕一本》: 1936年、藤田嗣治著・装幀。パリで成功した藤田の自伝。 ・《随筆集 地を泳ぐ》: 1942年、藤田嗣治著・装幀。 ・《巴里の昼と夜》: 1948年、柳沢健著、藤田嗣治装幀。 1949年に、アメリカ経由でフランスに舞い戻ってからも、かなりの数の挿絵の仕事をしている。 ・《夜と猫》: 1950年、コーツワースの詩に藤田の猫の素描。わたしは藤田の猫の意地悪そうな目は好きになれない。 ・《魅せられたる河》: 1951年、ヴィルフォス著。カラーエッチングや手彩色版画の入った豪華大型本。藤田65歳の記念に出版された。《自画像のための下絵》↓などは見事。 ・《しがない職業と少ない稼ぎ》: 1960年、フルニエ、ドルナン共著。藤田の油彩画を基にした21点の多色刷り木口木版の挿絵が入っている。憎らしい目つきの子供の画が沢山並んでいる。 ・《四十雀》: 1963年、コクトー著。《しがない職業と少ない稼ぎ》の姉妹版。 ・《ラ・フォンテーヌ 二十の寓話》: 1961年。17世紀フランス詩人、ラ・フォンテーヌの寓話集から。動物たちを主人公としたイソップ物語が下敷きになっている。藤田の蔵書の中に、グランヴィル、ドレ、ウードリーによる「ラ・フォンテーヌ寓話集」があったというから、これらを参考にしたのだろう。↑↑右はその一例。 帰途は、重い図録があるので、東急バス「東大前」近くのコナミ・スポーツクラブ渋谷でアイスココアを飲みながら時間待ちをしていたら、窓からバスが来るのが見えたので、あわてて飛び出した。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-08-12 10:42
| 国外アート
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