記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
やっと最終章に到達した。この第5章は、「次世代の導き手として:美術アカデミーのレーピン」
レーピンは、1891年、画業20周年記念展を開いた。その頃には、レーピンはロシア美術界の代表的存在となっていたのである。 一方、当時のロシア美術界では世代交代が進み、移動派の若い画家は、「楽しいものだけを描きたい」という傾向となり、印象派の手法、明るい色彩、静物画、風景画に移っていった。 レーピン自身は、1900年以降も旺盛な制作活動を続けており、新しい主題やジャンルにも挑戦していたが、必ずしも成功をおさめておらず、彼の才能が最大に発揮されたのはやはり肖像画のジャンルにおいてであった。 《ゴーゴリの「自殺」》1909年は、ゴーゴリ生誕100周年記念の作品であるが、そのようなレーピンの苦悩時代の作品でもある。 この画の激烈な表現は、象徴派を飛び超えた表現主義的な作品である。このような「怖い画」を描いたレーピンの神経はかなり図太い。 再見の《日向で-娘ナジェーシダ・レーピナの肖像》↓や《パーヴェル・トレチャコフの肖像》↓↓、初見の《ウラジミール・コロレンコの肖像》↓↓↓の明るい画面から浮かび上がってくるモデルたちの表現は素晴らしいとしかいえない。 第一次世界大戦やロシア帝政の崩壊、世界大恐慌という激動の時期を生き抜いたレーピンは、1930年9月29日、家族全員が見守る中、86歳でその人生を閉じた。 5回にわたる連載記事におつきあい頂いた方に感謝いたします。日本で初めての本格的な「レーピン展」ということで、肩に力が入ってしまいました。ご容赦ください。 お詫びのしるしに、私のひそかな「お気に入り」の画像をアップします。1884年の《キャベツ》です。葉に水滴がついているのが見えるでしょうか。キャベツは19世紀ロシアでもっとも身近な野菜だったそうです。キャベツは、わたしの大好物でもあります。 美術散歩 管理人 とら 【註】 その1、その2、その3、その4、その5
by cardiacsurgery
| 2012-08-08 11:20
| 国外アート
|
ファン申請 |
||