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第2章は「パリ留学:西欧美術との出会い」
1872年にヴェーラ・シェフツォーワと結婚したレーピンは、1873年、美術アカデミーの給費留学生として家族を伴って、留学に出発した。ウィーン、ローマ、ナポリを訪れた後、パリに移って、モンマルトルに居を定めた。 そこでもっとも影響を受けたのは、マネや印象派だった。レーピンは、1975年、パリ生活を主題とする油彩《パリのカフェ》を描いているが、今回の展覧会ではその人物習作の一つ《傘をもてあそぶ婦人》を見ることができた。その黒は「マネの黒」といえるのだろう。 こういった光のみならず、影も描くというレーピンの写実主義は、彼の画のテーマが社会の明るい面だけでなく、当時のロシア社会の暗い面を積極的に取りあげているということと対応しているように思えてならない。 享楽的な当時のパリでの滞在を早めに切り上げて帰国したのは、レーピンのこういった気持ちから出た行動だったのではあるまいか。 美術散歩 管理人 とら 【註】 その1、その2、その3、その4、その5
by cardiacsurgery
| 2012-08-06 20:20
| 国外アート
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