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大げさなタイトルには辟易するが、エジプト取材の田中直樹(お笑いコンビ・ココリコ)と知花くらら(モデル・タレント)はともかく、吉村作治・早稲田大学名誉教授の監修番組ということで見ることにした。
エジプト・ギザの三大ピラミッドのうち「クフ王」のピラミッドは最大のもの。高さ147m、底面積230㎡、重量600万トンで300万個の石が使われている。4550年前に建造されたというこのクフ王の大ピラミッドには謎が多い。 最大の謎は、「このピラミッドが何のためにつくられたか」ということであるが、今までこれに関する資料がまったくといってないことが問題だった。ところが最近、ピラミッドに関する「無い資料を補う資料が発見された」のである。そして、そのキーワードは、「文字」と「船」だったとのこと。 2011年6月に、クフ王のピラミッドの南側に40個の巨大石が発見され、その石の裏には1000字にのぼる「聖刻文字」があり、石の下の穴から「太陽の船」が見つかったのである。これが、「世界独占映像」として放映されたのである。なお、ネットを検索すると、この調査の画像が載っていた。 ・参照⇒http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2808412/7416968 まずは、第一のキーワードである「聖刻文字」について。 これは、船が埋っていた部屋の天井となっていた巨大石の裏、すなわち部屋の天井に書かれていたことになる。 「カルトゥーシュ」で囲まれた文字の意味は「クフ王」。その隣には「帆柱」の図像が描かれていた。両者を合わせ考えると、これは「クフ王の船」という意味なのである。 今回取り出して調べた35個の石の一つ一つに赤い聖刻文字が書かれており、その他の文字としては、「生命」、「美しい」(ネフェル)、「復活」、「神々」(ネチュール)、「生命」(アンク)などもあった。これらは、「太陽の船」にむけた祈りのメッセージの中の言葉と考えられたが、これらの文字によって「ピラミッドの建造年代・建造季節・制作方法」が分かってきたことが重要である。 第二のキーワードは「太陽の船」。 検査の結果、これは4650年前のレバノン杉で出来ていたことが判明した。これはクフ王より100年前ということになるが、実際にはクフ王と同時代の杉であり、はるばるレバノンから運ばれてきたととるべきなのである。 これは巨大な船で、大きなオールも付いている。 「太陽の船」とは、大ピラミッドのすぐ南側に埋められた40mを超す巨大な木造船であるが、これには、今回発見されたものの他にもう一艘が存在している。 そちらは、1954年に発見され、13年かけて復元作業が行われて1982に完成し、ピラミッド脇の博物館に展示されている。この「第一の太陽の船」の大きさは、長さ42m、幅5m、高さ7.5mだった。 1987年に行われた「電波探査レーザー調査」によって、地下3mに巨大空間が存在することが見いだされ、40個の巨大石が発掘されたことが、「第二の太陽の船」発見の端緒となった。 この2艘の船は全く同じものではなかった。「第一の太陽の船」には帆や帆柱がなかった。これに対して、今回見つかった「第二の太陽の船」には帆、帆布、青銅の金具があった。 この第二の船は、第一の船の西側に埋められていたが、両方とも水に浮かべられた形跡がなかった。これは、古代エジプト人が、太陽の動きを見て、神が船に乗って、空を航海していると考えていたことと関係があると考えられる。 ここで話はルクソールに飛び、取材の女性ゲストが活躍する。 ルクソールにある「ハトシェプスト女王葬祭殿」の壁画には、大きな船が描かれている↓。そこには、漕ぎ手が描かれ、山積みされた小麦や大きな二重円形の金の原材料、小さな二重円形の金製品などの交易品、さらにはオベリスクに使われた大きな石も描きこまれている。 ナイル川では、古くから「ファルーカ」という帆掛船が使われている。この船では、帆をたたむと流れによって下流すなわち北に向かい、帆を張ると、一年中地中海から吹いてくる北風によって、南すなわち上流に向かうのである。 ここで話はギザに戻る。「なぜピラミッドの脇に2艘の船が必要だったか」を調べるためである。ここで活躍するのは男性ゲスト。ピラミッドの穴から、「上昇通路」、「大回廊」、「狭い通路」、9mの「梯子」を上って「五層空間」に達する。 このクフ王のカルトゥーシュの上部に書かれた文字は、今までの説では、後から記されたたものであり、「仲間たち」すなわち「労働者の集団」を意味するものであると解読されていた。 しかし、この文字が下の石に食い込んでいるという事実は、文字を書いた後に石が載せられたものであることを示唆している。そこで、吉村作治氏は、最上階の文字は「仲間たち」ではなく、「クフ王を神の仲間とする」と読むべきであって、これらの聖刻文字はプロの書記が一つ一つ魂を入れて書いたものであると考えたのである。 今回発見された聖刻文字の中に、東西を示す聖刻文字が見つかったことも重要な点である。合計12000人の労働者が、東西南北の4班に分かれて、お互いに競い合って300万個の重い石を運んだのであろうという考えが出てきたのである。 実際に「橇を使って坂道を引き上げる石引き実験」を行ってみると、実に大変な作業で、モチベーションがないととてもできない作業であると認識された。カイロ博物館には、実際の運搬に使用された5mの大きな橇が残っている。 「太陽の船が2艘あったことの理由」については、ルクソールに残っている新王国時代第18王朝の貴族・センネジェムの墓室の壁画にそのヒントがある↓。そこには、船に乗った太陽神ラーが西の方向、すなわちあの世に向かっている画が描かれている。 この場合、帆のある「第二の太陽の船」が先頭で、太陽神が乗り、帆のない「第一の太陽の船」にはクフ王が乗ることになっていたのである。 「なぜ一緒に旅に出るのか」という疑問については、ラムセス王の墓の天井画↑に描かれている天の女神像を見れば、答えが分かる。この女神の頭部は西にあり、太陽神と王は一緒に夜の世界を旅するが、朝になれば、女神の足の位置すなわち東から、再生・復活して出てくるのである。 ルクソール神殿の近くで、太陽を自然のオーブンとして「太陽のパン」を焼いているおばあさんの映像が出てきたが、ここには、純粋なまでの太陽への憧れがあったのである。 今までは、ピラミッド建設はナイルが氾濫する夏季だけに作業していたと考えられていたが、今回発見された文字の中に「春2月」を意味する聖刻文字があったことからみて、工事は一年中行われたものと考えられる。 また、今まで、この工事はクフ王即位後すぐに開始され、労働者数や季節などを勘案して、工事完成までには27年の歳月を要したと推定されていた。 しかし、今回「クフ王即位14年」という字があることも見いだされた。さらに、クフ王の後を継いだ次男の「ジェドエフラー王」の名前も出てきた。 これらを勘案すると、まずピラミッドを造り上げ、「クフ王即位14年」には石を運んだ傾斜路をはずして、穴を掘って太陽の船を埋める作業にとりかかったものと推定される。 すなわち、クフ王ピラミッドの工事期間は20年間かからずに済んでいたということが分かったのである。 太陽の船が造られた目的を示す決定的な証拠は、カイロ博物館内にある「あの世における王の姿」すなわち「王の魂バーの鳥の姿」である。 ミイラはこの世に残っているが、王の魂は鳥の姿になり、太陽神とともに船に乗ってあの世に行くのである。 この場合、魂が戻ってきた時に戻る場所がないと困るので、完全なミイラが作られたのである。 それでは、巨大なピラミッドを建設した理由はなんであろうか。今度は女性ゲストがピラミッドの中に入って探索した。 ピラミッド内の「王の間」に残っているものは、単なる石の箱↓であって、棺ではない。 それでは「クフ王の墓はどこにあるの?」という最後の質問については、「お墓は西にあるはずだが、今回発掘されたものや文の解読の結果に待ちたい」という曖昧な答えしか出てこなかった。カイロに残った多くの発掘品や早稲田大学で研究中の聖刻文字データのさらなる検討によって、これに対する解答が出る日の近いことを期待したい。 それにしても、ピラミッドの謎の核心部分に触れた良い番組に遭遇した。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-07-17 10:25
| 国外アート
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