この記事では、展覧会の章立てに沿ってその内容を紹介する。
マウリッツハイス美術館の歴史および将来については、
美術館長エミリー・ゴーデンカー氏の講演で詳述されたので、その講演内容を以下の展覧会記事内に加筆していくことにする。
第1章 美術館の歴史 The History of Mauritshuis
マウリッツハイス美術館は、規模は小さいが、オランダ絵画の収蔵数では世界の4番目で、「オランダ絵画の宝石箱」と呼ばれている。
1.エッヘルス原作模刻《ヨーハン・マウリッツ胸像》
今回の展覧会で最初に展示されていた胸像の主は、この美術館の建物の原所有者ナッサウ=ジーゲン侯ヨーハン・マウリッツ(1604 - 1679年)。彼は、代々のネーデルランド連邦総督で、後に王家となったオラニエ=ナッサウ家の傍系で、当時植民地であったオランダ領ブラジルの総督を務めた人物である。
2.ホントホルスト原画模写《フレデリック・ヘンドリックの肖像》
ネーデルランド連邦総督、オラニエ公フレデリック・ヘンドリック(1584 - 1647)は総督邸内に絵画ギャラリーを作っていたが、当時の彼の収集品がこの美術館の最古の収蔵品となっている。
1689年に英国王ウィリアム3世ともなったネーデルランド連邦総督ウィレム3世(1672-1702)は、イギリスから絵画を持ち帰っており、その後のウィレム4世も収集に加わっている。
3.ツィーゼニス《オラニエ公ヴィレム5世の肖像》
最後のネーデルランド連邦総督オラニエ公ウィレム5世(1748 – 1806)は、この美術館のコレクション増大に大きく寄与している。相続品の他に、若い時から自分で沢山の絵画を購入し、1774年には絵画館を開設して、一般公開した。
ところが、1795年にナポレオンのネーデルランド侵攻によって、ウィレム5世は英国に亡命せざるをえなくなり、全美術品はパリに移送されてルーブルに展示されることとなってしまった。
1815年、ワルテルローの戦の後に、これらはハーグに戻ってきた。館長講演では、絵画が馬車に積まれて戻ってくるところが描かれた画が示された。
最後のネーデルランド連邦総督ウィレム5世の子であるオランダ初代国王ウィレム1世 (1772-1843)は、これらの美術品のすべてを国家に寄贈した。「王立」絵画陳列室として整備されたのは1820年で、一般公開されたのは、1822年1月のことである。
ウィレム1世は、1822年、すでにアムステルダム国立美術館に納入することが決まっていたフェルメールの《デルフトの眺望》をマウリッツハイスに陳列させることにし、1828年には、レンブラントの《ニコラス・チュルプ博士の解剖学講義》を政府に購入させた。同様にしてヤーコブ・ファン・ライスダール《漂白場のあるハールレムの風景》がハーグに入り、王自身がマウリッツハイスのためにロヒール・ファン・ウェイデンの《キリストの哀悼》を購入した。
4.ヨーハン・ゲオルク・ツイーゼニス《ソフィア・ヴィルヘルミナ妃の肖像》
オラニエ公ウィレム5世の妃のヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン(1751 - 1820年)の肖像画も展示されていた。彼女は、プロイセン王国の王族でベルリン生まれである。1767年10月4日、ヴィルヘルミーネは最後のオランダ総督で又従兄に当たるオラニエ公ウィレム5世とベルリンにて結婚した。ネーデルラント連邦共和国が崩壊するとヴィルヘルミーネは夫とともにイギリスへ逃れ、その後2人はナッサウやブラウンシュヴァイクに住んだ。
5.ウェイナンス《マウリッツハイスの景観》
マウリッツハイスの建物は、17世紀半ば、ヤーコプ・ファン・カンペンの設計で建てられたもので、オランダ古典様式建築の代表作とされている。1704年12月の火災で内装を焼失したが、外観はほぼ建設当時の面影を残している。ハーグの議事堂や首相執務室と近い至便な場所に位置している。
6.ヘイリヘルス《マウリッツハイスの「レンブラントの間」》
正面に《テュルプ博士の解剖学講義》が見える。
第2章 風景画 Landscapes & Seascapes
7.ホーイエン《ホーホエルテン近郊のライン川の眺望》
彼の1630年代の作品はやや単調な淡色風景画が多いが、これは彼の晩年、1653年の作品で、強い明暗のコントラストを用いている。
8.サロモン・ファン・ライスダール《帆船の浮かぶ湖》
この画の帆船や海も良いが、それよりも空と雲が素晴らしい。
9.ヤーコブ・ファン・ライスダール《漂白場のあるハールレムの風景》
この画では、手前には大きく拡げられた白い亜麻が描かれているが、もっと印象的なのは素晴らしい雲が描かれた広い空である。 遠景には教会の塔も見える。
ベルリン絵画館で類似の画を見ている。

チューリッヒにも似た画がある。
10.ホッベマ《農家のある森》
これは典型的な田舎の風景。雲の間から光が注いでいる。3人の子供がおもちゃの舟を池に浮かべている。 高い木々も印象的。
11.ポッテル《牧場の牛》
ポッテル得意の牛。金色の光に照らされている。牛の影が長い。
12.ヤーコブ・ファン・ライスダール《ベントハイム城の眺望》
ベントハイム城はドイツ国境に近い。この画は低い位置から見上げたように描かれている。これは劇的な表現を求めて、写実をある程度犠牲にしているのである。マウリッツハイスには、あまり質の高いライスダールがなかったので、これを2005年に購入したとのこと。
13.ポト《イタリア風の風景》
金色の光に包まれた理想的風景画。馬に乗った旅行者と2人の従者が、しばし足を止めている。
14.ヘリット・ベルクヘイデ《狩りに向かう貴族たちのいるホフフェイフェル池のほとり》
この画はマウリッツハイス周辺を描いたもので、マウリッツハイス自体も描きこまれている。
第3章 歴史画(物語画) History Paintings
15.ヤン・ブリューゲル(父)とバーレン《四季の精から贈り物を受け取るメレスとそれを取り巻く果実の花輪》
16.ルーベンス《聖母被昇天(下絵)》
これはアントワープ大聖堂の祭壇画の下絵。画の下半部には、墓が空なのに驚く使徒や聖女が描かれ、上半部には天使を連れた聖母が天に向かっている。左側の使徒ヨハネは両手を挙げて驚いており、跪く女性は薔薇を捧げている。この下絵は素早く描かれたものであるが、素晴らしい出来栄えである。アントワープ大聖堂の本画は5X3mの大作で、フランダースの犬のネロが、この画の聖母を自分の母親だと思ったものである。
17.レンブラント《スザンナ》
これから入浴しようとするスザンナを後ろの植込みから覗いている2人の老人姿はほとんど見えない。 物音に気付いたスザンナは体を隠そうとしている。脚には靴下を脱いだばかりの跡まで描きこまれている。
18.レンブラント《シメオンの賛歌》
この画の主題は、聖書の物語。マリアとヨセフがわが子を教会に連れて行った時の話。齢とったシメオンが近づいてきて、この子を救世主と認め、賛美した。画中、シメオンは、両手にイエスを抱き、こちらに顔を見せている幼子イエスを称賛している。シメオンの左には、驚く聖マリア、神に捧げる2羽の鳩を持っている聖ヨセフ。シメオンが「キリスト教徒の光」と称えたように、レンブラントは、幼子イエスを実際の光の中に描いている。
19.ヘルデル《シメオンの賛歌》
ヘルデルはレンブラントの弟子。レンブラントは、この画題で何回も制作している。この画では、シメオンは幼子イエスを抱き、天上の神に賛歌を捧げている。背景に描かれた聖ヨセフの手には犠牲の鳩。
20.フェルメール《ディアナとニンフたち》
これはフェルメールが23歳頃に描いた初期の作品。中央の女性の額に小さな三日月が 描かれているので、ディアナであるということが分かる。犬が描かれているのは狩りの後の休息ということなのだろうか。一人のニンフがディアナの足を洗っている。両拳を握って後ろに立っている黒服の女性は、ユピテルの子を妊娠してディアナを怒らせたニンフ「カリスト」らしい。
第4章 肖像画と「トローニー」 Portraits & Tronies
21.フェルメール《真珠の首飾りの少女》
彼女が肩越しにみつめている相手は誰なのだろうか。この画は本体の分からない女性のトローニーなのだから、見つめているのはこの画を買ってくれるコレクターに違いない。それを美術館で見ている観客の一人一人に「彼女は自分を見つめている」と思わせるのだから、フェルメールの技術は恐ろしい。
22.ダイク《アンナ・ウェイクの肖像》・23.ダイク《ペーテル・ステーファンスの肖像》

アントワープの裕福な商人夫妻の肖像画。当時、ペーテル・ステーファンスは37歳でまだ独身。翌年、彼は15歳も若い女性アンナ・ウェイクと結婚。彼女は英国の裕福な商人の娘。二人とも素晴らしい服装に身を包んでいる。彼女の大きな指輪は結婚指輪なのだろう。
24.ハルス《笑う少年》
茶目っ気たっぷりなこの子の無邪気な笑い顔は本当に憎めない。歯を見せて笑う血色の好い顔やボサボサの髪の毛などをハルスはさらっと描いている。この画も「トローニー」だとのこと。
25.ハルス《ヤーコブ・オリーカンの肖像》・ 26.ハルス《アレッタ・ハーネマンスの肖像》

ヤーコブ・オリーカンは29歳のビール醸造業者で公職にも付いていた。アレッタ・ハーネマンスは19歳。二人は1624年に結婚しているが、この画はその結婚を祝ったものらしい。大きなレースのついた襟や光る黒繻子や金襴の服装をみれば、このハールレムの市民の豊かさが分かる。
27.ルーベンス《ミハエル・オフォヴィウスの肖像》
28.フリンク《椅子の傍らの少女》
この画は、1998年に
佐倉市立美術館で見て以来の再会。3歳ぐらいの少女だが、大人のような服装で描かれている。スカートをはき、三連のネックレスを付けている。しかし、頭の花輪や帯から下げている「ガラガラ」は子供向き。後者は、玩具というよりもお守り。当時の幼児死亡率は非常に高かったのである。彼女がつかまっているハイチェアには「おまる」が入っている。ハイチェアの上にはお菓子が載っており、少女の右手はビスケットを握っている。
29.レンブラント工房模写《首あてをつけたレンブラントの自画像》
1998年に、
佐倉市立美術館でこの画を見た時には、作者は「レンブラント」、タイトルは《青年の自画像》となっていたが、図録の説明では、「レンブラントは確信に満ちた若者として自分自身を描いている」となっている。

ところが、この図録には、新聞の切り抜きが一枚はさんであった。 1999年10月24日の日本経済新聞の編集委員 土屋英夫氏の署名記事である。
↑はその掲載写真、見出しは「通説覆す多様な機能-オランダ・レンブラント自画像展」であるが、その中に「1629年作の《よろいのノド当てをした自画像》で、これまで真作とされていたマウリッツハイス所蔵の絵画が弟子による模写であり、模写とされていたニュルンベルクの絵が真作であることが科学的調査で判明した。二つの絵は会場に並べて展示してある」と書かれている。
ニュルンベルグの「国立ゲルマニア博物館」で買ってきたカタログの写真と佐倉市立美術館で買ってきた「マウリッツハウス美術館展図録」の画像を↓に並べてみた。その差は歴然としているようである。

今回の展覧会では、当時のマウリッツハイス美術館学芸員の責任執筆による佐倉市立美術館の展覧会図録の内容訂正を含めて、もう少し詳細な説明をキャプションに加えておいた方が良かったのではないだろうか。
30.レンブラント《笑う男》
これも上述の
佐倉市立美術館で見た。金箔で覆われ、下塗りを施された銅板に描いた珍しい作品。粗いタッチで、吊り上った眉、流れるような髭、隙間のある歯、心からの笑い顔が描かれている。首輪から見ると、これは兵士だが、モデルの特定できないトローニーだとのこと。
31.レンブラント《自画像》
これは80枚のレンブラント自画像の中の最終作で、1669年、彼が死亡する年に描かれた作品である。 粗いタッチではあるが、細部まで正確に描かれている。レンブラントは、1656年に破産しているが、その後も沢山の注文を受けて制作している。しかし、この自画像を見ると、さすがに疲れた表情である。
32.レンブラント《老人の肖像》
レンブラントは、この老人をありのままの姿で描いている。男は両手を椅子のアームレストに載せている。帽子は曲り、上着のボタンは外れ、旧式な襟はほどけている。顔色は悪く、口を開けて苦しそうにしている。なお、この作品は、1999年に入館したもの。
33.レンブラント《羽根飾りのある帽子をかぶる男のトローニー》
第5章 静物画 Still Lifes
34.ヤン・ブリューゲル(父)《万暦染付の花瓶に生けた花》
35.ベイエレン《豪華な食卓》
水差しには画家の姿が映っている。
36.クラースゾーン《燃えるろうそくのある静物》
ろうそくの光がガラスの器に反射している。一度ならず、二度までも。
37.クラースゾーン《ヴァニタスの静物》
骸骨、時計、ひっくり返ったグラス、煙などすべてが時の経過と死を暗示している。このようなヴァニタス静物画は時間の有限性を示しているのである。この世の財産や名誉にとらわれず、神を敬う有徳な人生を送るべきだというメッセージが込められている。このようなな色彩の絵画は、クラースゾーンによって始められ、彼の風景画もモノクローム調となっている。
38.ヘーダ《ワイングラスと懐中時計のある静物》
この静物画には、テーブルの上の食べものがいくつも描きこまれている。魚、レモン、パン、ワイングラスなどの質感は見事である。これらは三角形構図におさめられ、光の反射を丁寧に描きいれている。
39.コールテ《5つのアンズのある静物》
この静物画は台の上に積み重ねられたアンズの絵。中央に白い花が描かれている。
40.カレル・ファブリティウス《ごしきひわ》
1654年のデルフト火薬工場爆発によって若くして悲劇的な死を遂げたファブリティウスが遺した約15点の作品の一つ。この小作品はトロンプ・ルイユと考えられている。この画を壁の高いところに掛けると、半円形の止まり木が飛び出して見える。このため、一見、本当の鳥がそこに留まっているように思うのである。
参照 ⇒
「カレル・ファブリティウス」についてまとめた記事
第6章 風俗画 Genre Paintings
41.オスターデ《ヴァイオリン弾き》
田舎の宿屋の前に人が集まっている。賑やかな雰囲気である。旅回りのヴァイオリン弾きが戸口で演奏している。傍にいる赤いジャケットの少年がバーディ・ガーディを鳴らしている。画の中央には、男がベンチに座り、脚を開き、ビールを持っている。宿屋の戸口には、女性が体を傾けて楽士たちを見ようとしている。みだれ髪の少女が片方しか靴を履いていない子供を支え、犬と遊んでいる子供もいる。 こういった田舎の情景を描いた画は、都市の市民に買われ、面白がられた。
42.ヤン・ステーン《恋わずらい》
医師の服装は時代遅れで、僞医者。少女が罹っているのは身体の病気ではなく、恋の病。どんな医者も本当の病気以外は治すことはできない。僞医者と詐病は皮肉をこめた対照。
43.テル・ボルフ《手紙を書く女》
44.ホントホルスト《ヴァイオリン弾き》
このヴァイオリン弾きはニヤニヤ笑って、こちらを挑発しいているようにさえ見える。派手な色の奇抜な服装、肩を露わにし、羽付きの髪飾り、陽気な表情。ヴァイオリンは、17世紀にはエロチックな意味を持っていたことから考えると、彼女はおそらく高級娼婦。
ユトレヒトの画家ホントホルストは、この女性を1626年に描いているが、それはイタリアから帰国後6年目のことである。彼はイタリアのカラバッジョに強い影響を受けている。カラバッジョの影響としては、肉感的な画であること、特徴的な一方向性の強い光と影が描かれていることがあげられる。しかし、ホントホルストの作品は、他のユトレヒト派のカラバッジェスキの作品よりも理想主義的だったので、ヨーロッパの宮廷でもてはやされた。
45.ヤン・ステーン《牡蠣を食べる娘》
ヤン・ステーンの画の中では最も小さい作品である。牡蠣に塩をふる若い女は仇っぽくこちらを見ている。テーブルの上には贅沢な品々。牡蠣の他に、青いデルフト焼の水差し、ワイングラス、食べかけのパンが載った銀のトレー、塩、胡椒など。奥の台所では、お代わりの牡蠣の準備中。 当時、牡蠣には催淫作用があると考えられていた。このことから、この女性は牡蠣のみならず、彼女自身を提供するという意味が含まれている。女性の後ろには、閉められたカーテンとベッドが描き加えられている。
46.マース《レースを編む老女》
レース編みは、糸紡ぎ、機織り、刺繍と同様、17世紀には女性の美徳で家事に精励していることの象徴だった。女性とは、家庭にいて、針仕事をし、家事をつかさどり、子供の世話をする存在だった。この画では、こぎれいな家に住む勤勉で理想的な女性を描いている。
47.デ・ホーホ《デルフトの中庭》
デ・ホーホは、このような《デルフトの中庭》をいくつも描いている。ロンドンのナショナル・ギャラリーにもあるが、マウリッツハイスの作品も巧い。この画も佐倉市立美術館で見ており、その時の
HP記事にはその画像まで載せているが、個人的には、フェルメールの《デルフトの小路》の上をいくと思う。
48.ヤン・ステーン《親に倣って子も歌う》
この画家は、しばしば諺を表現していた。ここでは、「老人が歌えば、若者が吹く(pipe)」という諺を下敷きにして、悪い例が悪い結果を招くことを示している。英語にも「子供の前で悪事を行うと、子供はその倍の罪を犯す」という諺がある。オランダの諺は、この画の中の老女が持っている紙に書かれている。この画はユーモアに満ちていて、諺の「吹く」は、一人の子供が大人を真似てキセル(pipe)を吸い、もう一人がバグパイプを吹くこととなっている。近眼の祖母が楽譜を見ながら歌っており、祖父は全体の成り行きを楽しんで見ている。
面白いことに、この画の登場人物はステーンの家族で、ステーン自身が笑いながらパイプを持っており、一番左の肉感的女性は彼の妻であるとのこと。
第7章 美術館の将来 The Future of Mauritshuis
この章は、展覧会場にはないが、館長講演会では重要な話題だったので、ここに補足する。
マウリッツハイス美術館は、通りの向こう側の建物を入手した。 これは1930‐37年に建てられたアールデコ様式の建物である。現在の美術館とこの建物を道路の下のトンネルでつなぐ「マウリッツハイス建築計画」が進行中である。
地上から旧館地下の新しい玄関ホールに、エスカレーターあるいはエレベーターで下りていき、そこからトンネルで新館地下に連絡するのである。その断面図はHPに載っている(
こちら)。
これによって、美術館の全面積が2倍となり、明るい玄関ホール、二つのミュージアムショップ、小児教育施設、講堂が設置される。
もちろん、古い美術館部分は改装され、窓や照明も理想的なものになる。
この改装中は、収蔵品の一部が市立美術館で展示され、一部は日本と米国を巡回する。
工事は、6月3日に開始されており、2015年、すなわち2年後の再開を目指している。
エミリー・ゴーデンカー館長曰く、「
過去は変えられないが、現在は変えられる」。原子力発電所の議論の際に拳々服膺すべき至言であると思った。
美術散歩 管理人 とら