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今回の展覧会のチラシには、英文による開催趣旨(上部)や展示説明(下部)があり、会場には英文のパンフレットも置いてあった。
日本人が多数訪れる外国の有名美術館では、日本語のパンフレットが置かれていて、日本語のホームページが完備しているところも少なくない。 これに対して、日本の美術館は、キャプションはともかく、国立西洋美術館の所蔵作品データベースが英文化されていたり、東京国立博物館に数か国語の簡単なパンフレットが置かれているのがせめてもの救いという「ガラパゴス状態」だったのであるが、今回、三菱一号館美術館が国際化へ一歩踏み出されたことに対して敬意を表する次第です。 日本全体のネガティブな経済財政状況が美術館の経営にマイナスの影響を与えつつある現在、「外国人観客とくにアジアの人々を呼び込む努力をしている美術館だけがこの21世紀を乗り切れる」と云っても過言ではないのではなかろうか。 アジアの若い人の英語力は素晴らしく上達してきている。最近の駅の案内には、英語の他に、韓国語や中国語もつけられている。歴史的な問題を抱えた近隣諸国の人たちに配慮することは良いことだが、若い韓国人や中国人は英語のガイドブックで日本国内を旅行しておられるということも事実である。 日本の美術館としては、まずはインターネット時代の国際語である英語から始めるという方向で良いのだと思う。 以下は、展覧会のメモ。 1.旅立ち-「地上の楽園」を求めて ウィリアム・モリスが、バーン=ジョーンズに依頼したクラフトデザインが何点か出ていた。後年の「いばら姫」シリーズもこういった装飾芸術からスタートしていたのである。↓左はギリシャ神話、↓右はアーサー王伝説の有名なシーン。後者は横須賀美術館で見た「ラファエル前派からウィリアムモリスまで」にも出ていた。 モリスはこういった神話や伝説を叙事詩にまとめ「地上の楽園」というタイトルの書物として出版する計画を立てていて、その挿絵をバーン=ジョーンズに依頼していたのであるが、結局、この本は挿絵なしの詩集として出版された。しかし、この挿絵のアイデアはバーン=ジョーンズの後年の作品に生かされ、結果として「地上の楽園」のビジュアル版とになった。 後年、バーン=ジョーンズは、物語だけでなく、登場人物の内面や永遠のテーマを表す象徴的な画を描くようになった。《慈悲深き騎士》はその一例で、騎士「聖グアルベルト」が兄弟の仇を許したため、木造のキリスト像が騎士に祝福を与えている。 前述の《迷宮のテセウスとミノタウロス》や《鍛冶場のクビド》はチョーサー(1343-1400)の著作から採られたものである。 「薔薇物語」をテーマにしたものとしては、ダラス美術館所蔵の《「怠惰」の戸口の前の巡礼》が出ていた。怠惰という名の美しい女性の家の戸口に立っている青年は、詩人チョーサー本人であろうとの説明がついていた。《夢見るチョーサー》という水彩も出ていた。 バーン=ジョーンズは世界三大美書のひとつといわれる《チョーサー著作集》の原画を描いている。 3.聖ゲオルギウス-龍退治と王女サブラ救出 バーン=ジョーンズは、ヴェネチア派のカルパッチョのファンとなり、その影響で《聖ゲオルギウス連作》を描くようになった。今回、シドニーのニュー・サウス・ウェールス美術館から出展されている《龍を退治する聖ゲオルギウス》は、連作全7作品中の第六。 4.クビドとプシュケ-キューピッドの恋 1865年にモリスは「地上の楽園」に、最初の叙事詩「クピドとプシュケ」を載せているが、その原典は2世紀のローマの詩人アプレイウスが書いた小説「黄金のロバ」の一挿話である。 クピドは、いつもは愛の脇役であるが、これはそのクピドの恋の物語。 お相手の王女プシュケはウェヌスの嫉妬をかうほどの美貌だった。彼女は、西風ゼフュロスによって谷間の宮殿に連れてこられ、人間の姿のクピドと夫婦になった。モリスは、当初、木版のイラストを載せるつもりでバーン=ジョーンズに依頼していた。これに応じて、バーン=ジョーンズは45点もの木版画を制作していたが、これらは、結局、「地上の楽園」には掲載されず、バーン=ジョーンズの原画は、1867年の水彩画展に出品された。 その後、バーン=ジョーンズの《クピドとプシュケ》はジョージ・ハワード邸の食堂を油彩フリーズとして飾ることとなり、今回展示されている11点一組の水彩習作も1872年に作られたが↓、バーン=ジョーンズが多忙のため、1876年に、この仕事はウォルター・クレインに委ねられた。 しかし、バーン=ジョーンズはその仕上がりに満足せず、最終的に手を入れた。結局、この油彩が完成したのは1881年、ハワードの注文を受けてから10年も経っていた。今回はこの「パレス・グリーン壁画」中の二点(↑の1と3に相当)が出展されている↓。こういう経緯で、プシュケ(魂)がクピド(愛)を探し求める象徴的表現がやっと完成したのである。 この画題も、元来「地上の楽園」のために準備されていたものである。1870年の夏に、バーン=ジョーンズは、中央に《パリスの審判》、左翼に《ヘレナの誘拐》、右翼に《トロイの戦火に包まれるヘレナ》を置くという奇妙な三連祭壇画を作成することを思い立った。そして、その下部には、7つの裾絵を置くという構想だった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-06-27 16:40
| 国外アート
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