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![]() サラリーマンが休みの日曜のせいなのか、近美の展覧会の人気がないせいなのか、竹橋の辺りは閑散としている。昼食をとる場所も皆閉まっている。 展覧会のリストは字が小さくて、薄暗い会場では判読困難であり、さらに都合5セクションに細分された合計3章の名前も書いてないので、メモしてきた。この辺り、近美はきわめてcustomer-unfriendly。 ・第1章 模索の時代会場に入るなり、京都・方廣寺の巨大な天井画《神龍》1911年↓に驚かされる。巨大な4本爪の龍であるが、あまり迫力があるとはいえない。 ![]() 左手に柳の枝、右手に水瓶を持った1892年の《楊柳観音像》や1904年の《美人弾琴》(→)は、本当に上品な大和絵で、霊華が明治時代から優れた才能を発揮していたことが見てとれる。スケッチ帳、千字文、冷泉為恭の模写など、霊華の努力の跡をしっかりとうかがうことができた。絵や書がすごく巧い画家であり、しかも努力家であることがよく分かる資料だった。 こんなに巧い画家が、大正5年、1916年に結成された金鈴社の他の同人の鏑木清方、平福百穂、結城素明、松岡映丘ほど大成しなかったのはなぜなのだろうか? 第2章以降は、この疑問を念頭に置いて見て回った。 ここでは吉川霊華の絵の3典型として、↓左に、紺地金泥の《南極寿星》1925年・個人蔵、↓中央に、彩色の《香具耶姫 竹取物語》1920年・個人蔵、↓右に、淡彩の《藐姑射之処子》1918年・東京国立近代美術館蔵を並べてみた。 ![]() 上掲の中央の図《香具耶姫昇天 竹取物語》や、《聖徳太子》、《伝教大師》、《羽衣翻飜》、さらにポストカード原図《太平楽図》などの彩色豊かな大和絵は、単純ではあるが、それなりに楽しめた。 美術館の看板に使われていた《清香妙音》↓ー能・謡曲「東北」の梅を愛でている旅の僧の前に現れた「和泉式部」の霊ーもその一つ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 右図(↑)の「浄穢不二」には、聖に続く餓鬼たちや毘沙門天・善財童子、中図の「無為供養」には、亡くなった母親の墓の傍に草庵を建てて喪に服する聖、左図の「大山府君」には、母親の延命を願う法師の姿が描かれており、左図⇒中図⇒右図と逆順に見るべきものである。(宇治拾遺物語の「清徳聖奇特」はこちらを参照してください)。 中國や日本の古典の物語は、1枚の人物像ではなく、こういった絵巻物に仕立てて分かりやすくすればよかったと感じた。霊華の博識と技量をもってすれば、《鳥獣戯画》のような人気作品を遺すこともできたのではあるまいか。 落ちついた《山水》↓、《鷺》、《八橋》などは茶掛には良いと思った。本人も夫人も茶道を嗜んでおられたたらしい。いわゆる「売り絵」としては十分すぎる技巧が発揮された作品たちである。 ![]() ![]() ![]() ①市田氏が最初に買った霊華の《新粧》を手放してしまったこと、②霊華のコレクターが茶道具を買うために「吉川霊華美術館」を作る計画が成就しなかったこと、③画伯亡きあと奥様が「白豪庵主」として箱書の題をつけ、書は弟子の狩野良四郎が書いていたこと、などが記されていた。 館内はひどく寒い。外に出たら、暖かい日差しでホットした。渋谷に戻って、空腹を満たして帰還した。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-06-24 22:16
| 国内アート
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