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![]() 現在の東京ミッドタウンは、江戸時代には、毛利家の下屋敷があった場所だとのこと。 毛利家は、源頼朝の側近の大江広元の第四子・季光が相模国毛利荘に住んで以来、毛利姓を名乗っていたが、季光の孫・時親が安芸国吉田郡山城に移り、安芸毛利氏の祖となった。 1533年に毛利家の家督を継いだ毛利元就は、幾多の戦いを乗り越え、西国最大の戦国大名となった。↓は、尼子氏との中国制覇をかけた合戦前の元就66歳の画像。直垂には「一に三ツ星紋」があしらわれている。 ![]() 歴史的価値の高い文書がいくつも出ていた。その一つは有名な毛利元就自筆の書状《三子教訓状》。元就が、1557年に、三人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に宛てたもので、そこには兄弟の結束を求める言葉が並んでいた。「三矢の教え」自体の記載はないそうであるが、心のこもった行き届いた文章だった。 《毛利元就自筆起請文》・《村上元吉外十四名連署注進状》・《毛利氏織田信長対策書》などは、ひどく生々しい文書で、おもわずパネルの現代語訳を読んでしまう。そのためか、このあたりの観客の流れは緩やか。 《豊臣秀吉自筆書状写》・《徳川家康誓紙》・《井伊直政・本多忠勝連署起請文》などは歴史の証言。「戦国の世における文書上の誓いはかくも危ういものだった」とは、今だからいえる言葉なのだろう。 《銅印通信符》↓が面白い。 ![]() 《木印日本国王之印》↓もはじめて見た。 ![]() 毛利氏の重要な財源であった石見銀山から産出した《灰吹銀》もあった。ピカピカに磨かれていた。 お目当ての国宝、雪舟の《四季山水図(山水長巻)》は全長16mの大作で、広い一室にデンと鎮座ましましている。 大きな画で、観客の動きもそれほど遅くないため、しっかりとみられる。さっと見て、もう一度、四季のうつろいを楽しんだ。 ![]() ・「夏」には、帆掛船、七重塔、楼閣などが描かれ、再び美しい水面に終わる。 ・「秋」は、漁村、円橋、田圃などで、収穫祭に続く。 ・「冬」は雪山。淋しくなっていく楼閣や枯木。最後の緑の木々は廻りくる春への輪廻の徴。 この複本《四季山水図》が2点出ていた。伝雲谷等顔は描いた国宝も狩野古信の模本も素晴らしい。このような秀品に摸本を作っておくというのは先人の優れた知恵である。 国宝の大江家国の《史記呂后本記第九》、《古今和歌集巻八(高野切)》が素晴らしかった。これらによって、大江家という学者の血筋を引く毛利家の伝統が実感できた。とくに後者は、現在完本の形で残る高野切は3巻のみであるだけに貴重である。 ![]() 保存状態の良い華やかな衣装がいくつも出ていた。茶道具もいろいろあったが、目についたのは、南宋の天目茶碗、明の天目台、利休の茶杓などである。 東京ミッドタウンが現在建っている場所、すなわち江戸時代の毛利家麻布屋敷から谷文二が見た《江戸麻布邸遠望図》が出ていた↓。この画には、遠くに江戸城や海まで描かれている。昔の人は目が良かったのだ。私には、ここでは単眼鏡が必須アイテムだった。 「毛利家の至宝」は、5月28日まで。お勧めの展覧会である。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-05-05 14:02
| 国内アート
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