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聖徳太子1390年御遠忌記念と銘打った今回の展覧会には、法隆寺が所蔵する彫刻・絵画・工芸・染織・書跡など約130点が展示されていた。
![]() 聖徳太子は6世紀後半から7世紀にかけて実在した皇族の一人、厩戸皇子のことだと考えられている。当時の日本は、国の基礎が整っていない状態で、政治の中心は、天皇や皇族たち有力な豪族たちとの話合いによって決まっていた。豪族たちは、各々領地と民をかかえ独立した力を持つため権力争いが絶えず、天皇の地位も不安定なものだった。こういう時代に現れた厩戸皇子は、推古天皇の補佐役として後世、聖徳太子と讃えられる活躍をしたといわれている。厩戸皇子が亡くなってから100年後の歴史書「日本書紀」に記されている彼の業績をまとめると、以下の4点に絞られる。 A.憲法十七条の制定 B.冠位十二階の制定 C.仏教の導入 D.遣隋使の派遣 このうち、Aの憲法十七条については、文法上の誤りが多いので、日本書紀・推古記の作者が書いた疑いがあるとされている。他方、Dの外交上の業績については、かなりの証拠が揃っている。外交的事項を経年的にまとめると、以下のようになる。 1.外交の失敗(600年) 遣隋使の失敗は「隋書・倭国伝」に記されている。 朝鮮をバイパスした隋との直接国交を目的としたが、日本の政治・外交の未熟さのため、不成功に終わった。 2.国際都市の建築(601-605年) 飛鳥京より海に近い場所に斑鳩宮建設。(発掘調査で確認) 3.国際的知識の吸収: 高句麗の高僧・慧慈の招聘。 4.第2回遣隋使(607年) 「日出づる処の天子 書を 日没する処の天子に致す」に始まる国書を携えた遣隋使を派遣、当時高句麗に手を焼いていた隋の煬帝は日本と国交樹立。 厩戸皇子死亡(622年頃)後、日本書紀完成(720年)までの約100年間については、以下の3件が重要である。 1.厩戸皇子が天皇の軍勢の一員として参加した豪族との戦い 587年: 厩戸皇子の仏教の守護神四天王に祈願による勝利を呼び込んだとの日本書記・崇峻記の記載は後の加筆とされる。 2.乙巳(いっし)の変 645年: 厩戸皇子の協力者蘇我馬子の次の代になると天皇の一族と蘇我氏は決裂。中大兄皇子・中臣(藤原)鎌足たちが蘇我入鹿を殺害、その父・蝦夷も自害に追いこんだ。日本書紀の蘇我入鹿の非道を記した部分は別人が加筆した可能性がある。 3.大化の改新 646年: 天皇の一族と豪族が並び立つ従来の状況から、豪族とその土地や民を全て天皇の下におき、天皇を頂点とする国家へ新しく作りかえるという大改革。その勝利者の歴史書である「日本書紀」には厩戸皇子の業績が誇大に記され、その後の聖徳太子信仰のもとになっていった。 前置きが長くなってしまったが、今回の展覧会は法隆寺に伝わる文物を多数展示し、聖徳太子の後世への影響を改めて考えさせている。以下、記憶に基づいて記述するが、間違いがあるかもしれない。指摘していただければ、すぐに修正します。 会場に入るとすぐに《聖徳太子曼荼羅》。下部に聖徳太子と弘法大師が見て取れる。この手の絵は初見。なかなか面白い。 次に出てきたのは、《聖徳太子絵伝》。これは聖徳太子の季節ごとのエピソードを集めたもので、各年齢のものがそれぞれの絵に入っていた。 美しい刺繍があったが、これは《天寿国曼荼羅繍帳》のコピーらしい。本物はボロボロだそうだから、奇麗なコピーで見られるのはありがたい。 肝心の飛鳥時代のものはほとんどないが、しっかりと作られたコピーでその時代を感じ取ることができる。例えば、今回出ていた《聖徳大師像》は、江戸時代の幽竹法眼の模作であるが、宮内庁蔵の国宝の絶妙のコピーである。 《玉虫逗子》は、本物よりも色彩が濃くてよく見えたが、肝心の玉虫の翅の光は分からなかった。 仏像としては、チケットやチラシ↑に使われている平安時代の内刳なしの一木造《持国天像》・《増長天像》が出ていたが、古拙な感じのする飛鳥時代の《四天王立像》と比較すべくもない。 金色がよく残っている豪快な《十一面観音菩薩立像》はなかなか良かった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 《善光寺如来御書箱のうち漆蒔絵箱》が出ていて驚いた。これは、信濃善光寺の阿弥陀如来から聖徳太子に送られたとされる手紙を納める五重の箱のうちの最外側の箱で、見事な蒔絵で葵の紋が描かれていた。徳川綱吉の生母、桂昌院の寄進によるもとのこと。 傍のパネルには、五重の箱の写真が出ていたが、最内側の箱は美しい朱色の綾錦だった。展示品のなかに飛鳥時代にこれを包んだ木綿の袋があったが、この最内部の箱は開かずの箱となっていたはずなのに、明治時代に無理に開け、中に納められていた三巻の巻物のうち、一つを模写してしまったといういわくつきの箱を包んでいた袋ではないかと思った。ただし会場には、この点についての説明はなかった。 ![]() ![]() 近代の歴史画としては、安田靭彦や吉村忠夫ら有名画家の優品が出ていた。吉村忠夫の《多至波奈大女郎(聖徳太子妃の橘大郎女)像》↓はお気に入り。 ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-03-07 12:41
| 仏像
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