記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
これは「キリスト3つの名画の謎 -その誕生に隠された真実」という番組の「第3部」。
フレスコ画《キリストの復活》↓は、画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの生地サンセポルクロにある。ここは、イタリア南トスカーナの小さな街で、10世紀に二人の巡礼者が作ったところである。 番組では、美術の授業中にこの話を聞いたサンセポルクロの小学生が、「その人は世界中の画を見たのですか?」と質問して、先生を絶句させていた。 第二次大戦の末期、サンセポルクロはドイツ軍に占領されており、イギリス軍が間近に迫っていた。このイギリス軍を指揮していたのは、将校トニー・クラーク(Tony Clarke)だった。彼は、攻撃命令を受けて、実際にサンセポルクロに向かって砲撃を開始したが、しばらくして以前に読んだことのあるハックスリーの「世界最高の画」のことを思い出して、砲撃を中止した。サンセポルクロの街が砲火を免れたのはこの画のおかげだった。 将校トニー・クラークらのイギリス軍がサンセポルクロに入った時には、ドイツ軍はすでに撤退していた。幸いにこの「世界最高の画」は無傷だった。 戦後になってこのことが知られて、サンセポルクロが有名になり、多くの観光客が訪れるようになり、クラークは表彰され、多くのアーティストがこの画に触発された作品を制作するになった。 「キリストの復活」については、聖書に十分に書かれていないので、これをテーマとした絵画も少ない。ピエロの《キリストの復活》は、イタリア語でサンセポルクロが「聖なる墓」を意味しているため、町のアイデンティティを象徴する絵画として描かれたのであったが、番組ではそのことには触れられなかった。 画の前景には、4人の兵士が寝込んでいる。ピラトに石棺の番をするように命じられていたのであろうが、これではキリストに気付くはずもない。のけぞったように寝ている兵士はピエロ自身だとのこと。いずれも傾いた姿勢で描かれているが、、よく見ると、一人の兵士の脚が描かれていない。 背景はトスカーナ地方の眺望だが、丘のラインがキリストの肩のラインにつながっている。左手には冬の枯れ木を、右手には生い茂る緑樹を配して、キリストの復活を象徴している。 キリストは、ピンクの死装束を身にまとい、左足を石棺の縁に置き、右手に死に打ち勝ったことを象徴する白地に赤の十字架が描かれた旗を持って、力強く立ち上がっている。 キリストの脇腹からは血がしたたり落ちている。キリストの顔はは理想化して描かれておらず、生身の人間のようである。眼は左右不対照で、髭は粗い。寝ていないためなのかもしれない。 キリストは正面をまっすぐに見ている。その証拠には、鼻の孔が描かれていない。この画を見る者はキリストを直視ことができる。聖書のいうように、「めざめている者」だけが復活したキリストを見られるのである。 この画に駆使されている透視画法はルネッサンス初期の革新的なもので、ピエロはフィレンツェで学んだ。彼自身、遠近法の解説書を3冊書いているが、この作品ではそれを実践しているのである。 その後、この画はレオナルドらの動きのある画に押され、のんびりとしたつまらない画として人気がなくなり、あろうことか石膏で壁ごと白く塗りつぶされてしまった。 19世紀になって、この画は剥がれ落ちた石膏の下から「自力で復活」し、イギリスの有名な旅行家・考古学者・楔形文字研究者・美術史家・美術品収集家・作家・政治家・外交官であったヘンリー・レヤード(Sir Austen Henry Layard 、1817- 1894年)が、15世紀フレスコ画家としてのピエロを称揚したことによって、再び人気を取り戻した。 この件については、ニコラス・ペニー(Nicholas Penny)の「アレッゾへの旅 Journey to Arezzo」に書かれてあり、その内容は次のように紹介されている。 Above all, in Sansepolcro there was the fresco of the Resurrection – ‘No painter has ever so painted the scene!’ Later, as the leading force in the Arundel Society, which was devoted to recording old Italian frescos, Layard commissioned copies of some of Piero’s works. The Resurrection was published as a chromolithograph. But, Layard himself insisted that Piero’s easel pictures ‘afford but a faint idea of his originality’: his greatness lay in public work, which made him an example not only to artists but to patrons. かなり行きにくそうな場所なので、自分で実物を見る機会はほとんどないと思われるだけに、この番組はありがたかった。 「キリスト3つの名画の謎 ~その誕生に隠された真実」の第1部は、レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》、第2部はサルバドール・ダリ《十字架の聖ヨハネのキリスト》である。そして、これらの番組の紹介は、優れたアーカイヴス(第1部、第2部、第3部)としてネットに残されていた。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-03-02 14:02
| ルネサンス
|
ファン申請 |
||