記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
一年ぶりで横浜美術館を訪れた。「みなとみらい」駅の美術館出口付近工事のためかなり迂回させられた。美術館の前の人通りは非常に少なく、灰色の葬祭場のような雰囲気であり、一瞬「今日は休館日だったかな」と同行の家内にむかってつぶやいたほどだった。
![]() チラシによると、「この展覧会は、現在、その活動が最も注目される画家のひとり、松井冬子(まつい・ふゆこ)の、公立美術館における初の大規模な個展です。横浜美術館では、2006年に「日本×画展 しょく発する6人」において、日本の古典絵画が受け継いできた美意識や主題、様式、技法などのうち、近代になって「日本画」の概念が成立する過程で捨て去られたものに、新たな価値や創作のてがかりを見いだし制作にとりくむ若手のひとりとして松井冬子をとり上げました」となっている。 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻の卒業制作《世界中の子と友達になれる》が今回のチラシのヴィジュアルとなっており、本個展の副題ともなっている。 上記のチラシを再び引用すると、これは「芸術表現が呼び起こす精神的肉体的な『痛み』を始点として、恐怖、狂気、ナルシシズム、性、生と死などをテーマに挑発的とも言える作品を制作してきた松井冬子の原点と言える作品です」となっている。 藤の花を凝視すると、無数のスズメバチがおり、女性の足や手から出血までしている。右奥には空のゆりかごが置かれているが、その意味は一見不明。本人の弁によれば「堕胎」を暗示しているとのことだが、こういう謎解きは困る。 とにかく、この非現実絵画あるいは幻想絵画に意味を求めること自体がむなしい。感覚的には美と醜の対比、それも「主体の醜を強調するために従属している美」ととらえてみた。 題名の《世界中の子と友達になれる》とは、松井が画家を志した子供の時の気持ちのようだったが、この画を描いた際にもこの画で《世界中の子と友達になれる》と信じていたとは思いたくない。 幽霊画のように、足がなく、長い髪を強調した女性の絵がいくつも出ていたが、円山応挙の幽霊画のような品格がなく、例えば《夜盲症》では幽霊の女性が死んだ鳥をぶら下げている。この鳥で靉光の作品を想起したが、これはあくまで個人的な感想。 若い女性の身体を割って、内臓を露出させた絵が、《浄相の持続》以下、沢山出展されており、そのデッサンや下絵も出ていた。このことは、内臓を醜悪なものと捉え、これを若い女性の裸体の美をアクセントとして強調するという計算に基づいて制作されたものであれば、まことにおぞましい。 内臓のデッサンや本絵をしっかり観察してみたが、これは医学の解剖図を引き写したもので、実際の臓器を見て描いたものではない。これは「《圧痕は交錯して網状に走る》のための写生腑分け図:卵管」の女性生殖器のスケッチを見れば明らかだった。 本来、正常人の解剖は医学の進歩のために行われ、人類の福祉に役立ってきているものである。解剖に付される遺体は、生前の本人の意志に基づいて大学医学部に寄付され、故人のその芳志に基づいて医学部学生が解剖を行っている。病気の人に対して行われる病理解剖も、医学の進歩のために家族の芳志によって許可されて初めて実施されている。解剖を開始するにあたって、実施者が遺体に対して敬意を表して深く頭を下げるのはこのためである。 解剖図を描いた画家としては、まずレオナルド・ダヴィンチがあげられるが、彼の場合にはあくまで科学者としての解剖であって、その画稿のなかの心臓弁などは現在の医学水準からみても素晴らしいものである。ミケランジェロも解剖のスケッチを残しているが、これは筋肉を正確に制作したいという芸術家としての気持ちに沿ったものであった。レンブラントの局所解剖図もあくまで医学者たちのアクティヴィティの表現の一部であった。 これに対して、前述したように、松井冬子の臓器は実見されたものではなく、美術解剖学の教科書あたりからとったものであると考えられる。 美術解剖学会のホームページを参照すると、「今日の美術解剖学は、このような骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうかたちの変化、比較解剖学、発生学からのかたちの由来を学ぶ芸用解剖学を教育的側面としてもっています。同時に、研究分野としての広がりが加わりました。芸術表現として人のすがたがもつ美しさや、生物のかたちがもつ意味を考察すること、人体とかかわるものの関係を研究する応用解剖学的研究もあります。人間、そして人体に関わる関連諸学との有機的な関わりの中で、美術解剖学の研究範囲は広範なものとなっています」となっている。 この美術解剖学会の役員を調べると、松井冬子が含まれていたので驚いた。そうだとすると、現在の美術解剖学には、遺体を提供していただいた篤志者への感謝の気持ちはなく、生前その篤志者の一部であった内臓は「醜悪なるもの」として扱うことを許容していることにもなる。 入場してきた際には、会場は閑散として、寒々とした作品だけが並んでいた。ところが、途中から大勢の高校生の団体が入ってきた。皆、驚いたようで、声も立てずに見入っていたが、高校生の美術の演習に松井冬子展が適切であるとは思えない。高校生や中学生の興味本位の刃物殺人が多発している現況では、むしろ問題があるのではなかろうか。 これは学校の問題であるが、だといって学校や担当教師を責めるのは酷である。問題はこのようなこのような問題を引き起こしかねない現在の「公立美術館」の在り方であろう。 現在、公立美術館には強い逆風が吹いている。横浜美術館でも「指定管理者制度」が導入されたが、当時の横浜市長・中田宏氏は、「この美術館も工夫が足りているとは言えない。改革のために刺激が必要だ」と述べている。 このため、積極的な美術館では企業のように「経営改革」を掲げて「個性化」や「独自性」を意識した取り組みで動きだしている。「横浜美術館」では、明確な「目標」のもとに、「具体的な取り組み」や「指標」を掲げ、「企画展」の来館者の達成数字目標までもはっきりあげている。そして「横浜美術館」では、地元のショッピングセンターやホテルと一緒に多数のイベントを行っている。 今回の「松井冬子展」もこのような「イベント性の強い企画展」である。出展作の所蔵先を見ると、成山画廊がもっとも多く、今回の展覧会イベントの協力者となっていた。それよりも驚いたことは、所蔵先の個人名が沢山リストに記されていたことである。例えば、月や枯葉が描きこまれた幽霊画《咳》の所蔵者は今を時めく「山下裕二」氏である。この辺にも、新しいビジネスマインドが感じられるが、その正体は知りたくもない。 松井冬子の作品の題名が難解なのは、ダリの前例があるから「まあ良い!」としよう。しかし、キャプションの精神分裂的表現は、本人に任せたものではなかろうか。この点においては、横浜美術館はその教育的任務を放棄していた。 結局のところ、会場でストンと胸に落ちた作品は、穏やかな《盲犬図》、タイムリーな《陸前高田の一本松》、ヤゴから《生れる》トンボぐらいだった。才能のある画家だけに・・・と思った。 この会場を出てほっとして、椅子で休んだ。続いて、コレクション展の会場に移ったが、こちらは良い企画があり、大勢の観客が松井冬子の桎梏から解放され、①横浜開港から昭和までの洋画、②タゴールと三溪ゆかりの日本画家たち、③写真展などの企画を楽しんでいた。 これらについては写真も撮ってきたので、別報とするが、「美術鑑賞は自分が楽しむためのものである」ということを再確認した。 美術館は visiter-oriented のものでなければならない。bisiness-oriented の美術館は消えてほしいし、早晩消滅するであろう。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-02-01 14:10
| 現代アート(国内)
|
ファン申請 |
||