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この展覧会のチラシをみると、プラド美術館から出品されている油彩画は25点で、それも既に見た画が多い気がして、この展覧会はパスしようと思っていた。国立西洋美術館など国内の美術館が所蔵する版画51点が含まれているということも、腰が引けていた理由だったかもしれない。
しかし、1月2日初日の北京故宮博物院展の目玉作品を見るため、当日午後遅くに東博に入ったほうが良いと考えて、時間調整のためこのゴヤ展をサット見ることにした。確かに油彩画はサット見られた。 ところが、プラド美術館から素描画が沢山来ていて、素描画の前では必ず足を止めることになってしまった。 普段日本国内でゴヤの油彩画をまとめて見るのは難しいが、多くの美術館がゴヤの四大版画集「気まぐれ Los Caprichos」、「戦争の惨禍 Los desastres de la Guerra」、「闘牛技 Tauromaquia」、「妄 Los DisParates」を所蔵しており、ゴヤの主な版画を国内ですべて見ることが可能であろ。さらにネットでも画像を閲覧することができる。今回の展覧会でもこれらの版画を沢山見ることができたが、もう少し厳選して展示した方が、観客の疲労が少なかったと思う。 一方、ゴヤの8つの素描帖(A-H)には、世界中に散らばっており、国内で見ることは非常に困難である。この点については、2001年にロンドンのヘイワード画廊で全550点中117点を集めた展覧会が開かれており、その記事が参考になる。今回の展覧会で素描帖 A, B, C, G, Hの一部を見られたことは幸いであった。 ということで、私は油彩画と素描に力を注ぎ、版画は流して見ることとなった。 Ⅰ かくある私―ゴヤの自画像 This is how I am-Self Portraits ・ゴヤにとっての自画像とは、アーチストとしての精神分析でありマニフェスト表現だったとのこと。だとすると、ゴヤの自画像は野心と自信のマニフェスト。 ・子供の時からの友人サバテール宛の1794年の手紙の中の顎の張ったマンガ的な自画像には”This is how I am”という言葉がついている。前年に重病によって聴覚を失っていながら、この手紙を書いた時には貴族や政治家から沢山の注文を受ける有名画家の頂点に達していた。 ・1799年に出版された第一の版画集「ロス・カプリーチョスLos Caprichos」の扉絵となっている自画像(↓)は、近代画家としてファッショナブルな服装に身を包み、斜めに構えた目つきをしている。 ・1815年の自画像(→)に描かれたゴヤはアトリエで仕事中。ボサボサの毛髪の天才画家のように描かれている。この時には70歳近くの高齢になっていたが、それでも創造力をうしなわない自分の姿を表している。この肖像画の署名"Goya, Painter/Aragonese"は、自己の天職と出自の誇りを示すものである。 Ⅱ 創意と実践―タピスリー用原画における社会批判 Invention and Execution ・故郷のサラゴーサで修業を受けた後、20代後半のゴヤは、マドリードに移り、宮廷のタピスリー原画(カルトン)を描きはじめた。カルトンの最初のシリーズは1775年に制作され、宮廷画家であったメングスならびに義兄バイェウの指導を受けたものだったが、翌年からゴヤは自分自身の考えに基づいた第2シリーズを発表したのだそうだ。このカルトン制作は1792年まで続くが、これによってゴヤはマドリードにおける画家の地位を確立した。 メングスの宮廷タピスリーの題材はスペインの理想的な日常生活だったが、ゴヤはこのような古い画家の優美かつ平穏なロココ的画風には満足せず、下層階級の視点からのより現実的な社会の姿を写したのである。宮廷を離れた街や田舎の状景を描き、マドリードのダウンタウンを歩くおしゃれな男女(マホやマハ)、労働者、子供、老人、金持ち、貴族が描かれた。このようなカルトンにも、ゴヤの人間に対する鋭いまなざしや現実に対する批判的な見方が表れている。 Ⅲ 嘘と無節操―女性のイメージ:「サンルーカル素描帖」から私室の絵画へ Falsehood and Inconstancy – Images of Women: from the Sanlucar Album to the Private Cabinet ・40代後半以降、ゴヤは合計8点の素描帖を制作しており、彼の画歴の重要な部分となっている。これらの素描帖にはゴヤ自身は名前を付けていなかったので、便宜上、アルファベット順にAからHと命名されている。 ・「サンルーカル素描帖」とも呼ばれるアルバムA(1794-95)とアルバムBには、女性たちが描かれている。多くは下層階級の女の姿で、日常の道徳感を表している。ゴヤは、彼女たちの魅惑的な姿だけでなく、彼女たちの行動の裏面に存在している誘惑・愛憎・欲望・悲しみといったものも描きとめている。これらが後の「ロス・カプリーチョス」や油彩の中の状景にも発展していく。 ・今回展示されている《着衣のマハ》はゴヤの代表作で、対となる《裸のマハ》から少し遅れて描かれた。この2つの画は、王の寵臣だったゴドイの住いに飾られていた。これらの画は、肉体的な美が古代の女神の姿から扇情的な姿で横たわる世俗の女性に転換していることを示している。これらが異端審問の対象となったという事実は、ゴヤの置かれていた厳しい状況を示している。 Ⅳ 戯画、夢、気まぐれ―「ロス・カプリーチョス」の構想段階における自由と自己検閲 Caricatures, Dreams and Caprices – Freedom and Self-censorship in the Creative Process of Los Caprichos ・版画集「ロス・カプリーチョス」の発想は、1796-97年に制作された「夢Suenos」と呼ばれる26点の素描に端を発している。caprichoという言葉は、伝統的な規約の束縛、すなわちリアリズムの限界から離れた創作行動を意味する芸術用語であり、すでに17世紀からcaprichoの例が見られている。 ・「夢」における最初の素描である《普遍的言語》には、これらのエッチングの目的は「未開な偏見を取り除き、真実を証明すること」というゴヤの註解が含まれている。この見解は、18世紀後期におけるスペインの政治家たちによって称揚されていた「啓蒙主義」の理念に関連している。愚行をユーモアで非難するというゴヤのスタンスは、合理性という力で社会を改革していくという啓蒙主義の考え方と一致していた。 ・ゴヤは、とくに聖職者の堕落を非難した。その代表例は《かっかしている》(↑)であるが、「素描帖B」の最初の準備素描、「夢」の準備素描、「ロス・カプリーチョス」の校正刷りや最終刷りに至るゴヤの校正過程を見れば、作品の形式や構成だけでなく、法規に触れるような軽率な表現がないように「自己検閲」していたことが分かるとのことである。 Ⅴ ロバの衆:愚鈍な者たち―「ロス・カプリーチョス」における人間の愚行の諷刺 Asnerias – Satires of Human Behaviour in Los Caprichos Ⅵ 魔物の群れ―「ロス・カプリーチョス」における魔術と非合理 The Metaphor of Wiyches – Witchcraft and Senselessness in Los Caprichos ・1798年、ゴヤはオスナ公爵夫妻のために6枚の魔女連作を描いた。その一つが《魔女たちの飛翔》↓である。これらとほぼ同時期に制作された版画集「ロス・カプリーチョス」の中にも魔女や悪魔がしばしば登場する。ゴヤはこの主題に関心を抱いており、啓蒙主義の立場から、社会における不合理や悪徳の象徴として魔女の図像を使用した。 ・しかし「ロス・カプリーチョス」の中には、こういった悪を追い払う希望を表した版画もあり、その場合には昼の陽光が夜の闇に隠れている悪魔を照らし出している。 この場合には、輝く光は人類を混迷から救い出す象徴となっている。18世紀後半のスペイン啓蒙主義者たちにとっては、合理主義の考えや科学の進歩は人間性にとっての救世主とみなされていた。 Ⅶ 「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」―心理研究としての肖像画 From the King and Queen Downwards – The Portrait as a Psychological Study ・1780年に、ゴヤはサン・フェルナンド美術アカデミー会員となり、肖像画家としての経歴を積みだした。最初の注文主はフロリダブランカ伯爵であったが、引き続きカルロス3世の弟ドン・ルイスやオスナ公爵夫妻などからの注文もあって、ゴヤは当時第一の肖像画家とみなされるにいたった。 ・1789年には宮廷画家に任命されたが、彼の肖像画は単に対象人物の社会的地位を表すだけでなく、小さなしぐさや表情をとらえて、相手の性格や気持ちまでも表現していた。啓蒙主義的な政治家であるホベリアーヌスの肖像画(↓)は素晴らしい傑作である。事務所で物思いにふけっている姿からその人格がにじみ出ている。 Ⅷ 悲惨な成り行き―悲劇への眼差し Fatal Consequences – The Tragic Gaze ・フランスのナポレオン・ボナパルト皇帝の野望によって、1804年、それまで平和だったスぺインは、突然戦争と混乱の惨禍に投げ込まれた。フランス軍侵攻後のクーデターによって、1808年に、カルロス4世は退位し、息子のフェルナンド7世が即位した。その後ナポレオンによって、この2人の王は収監され、ナポレオンの兄ジョセフ・ポナパルトが即位した。このフランス支配に対して市民の反乱が勃発し、独立戦争(半島戦争)に発展した。その後の数年間、スペインは戦争の恐怖とたたかわなければならなかった。 ・ゴヤの故郷サラゴーサは、1808年の戦闘で荒れ果てていた。ゴヤはこの地で実際に見た経験から、版画集「戦争の惨禍Los desastres de la Guerra」を制作しはじめた。その完成には数年を要したようであるが、これが版画集として日の目を見たのはゴヤの死後であった。 ・「闘牛技」の33点の版画は制作順に並べられ、古代からルネサンスに至る闘牛の歴史から始っている。次には、18世紀以後の闘牛士たちの偉業が示され、最後に、当時の人気闘牛士ペプ・イーリョの悲劇的な死が描いたている。ここでのゴヤの暴力と死の表現は「戦争の惨禍」の場合に似ている。人間は、自己の相手と理性を忘れて対峙し、不必要な死を招くのである。この版画集も人間の本性の深部に潜む暴力と非合理性をテーマとている。 ・また版画集「闘牛技」は、その時代の闘牛の合法性についての議論も反映している。啓蒙主義者は、この「国の祭り」を時代遅れで、野蛮な見世物であるとして非難していた。一方、ゴヤは若いころは闘牛の愛好者だった。版画集「闘牛技」は、ゴヤの他の作品と同様に、単一の動機から制作されたのではなく、当時のスペイン社会の構造と複雑に絡み合っているものであると理解すべきであろう。 Ⅹ 悪夢―〈素描帖C〉における狂気と無分別 Nightmares – Madness and Irrationality in the Drawings in Album C ・「素描帖C」は、1808-14年にかけて制作されたものであるが、これは半島戦争の勃発から紛争後に復位したフェルナンド7世の反動統治開始の時期に相当する。126点の作品の対象は広範であり、日常生活から夢幻、聖職者に対する非難、刑務所内部の状景に及んでいる。「素描帖C」は、混乱期の多様な面を反映しており、ゴヤ芸術の複雑性を表しているといえる。 ・大多数の素描はゴヤ自身が目撃した現実の姿を扱ったものだったが、9点の素描では、同一の夜に見た3つの夢に現れたグロテスクなものが表現されていた。ゴヤの時代の幻影は常に恐ろしい悪夢に関連していた。 ・これら9点の図像が、実際にゴヤの夢に出てきたものなのか、あるいは覚醒時におけるゴヤの経験の寓意だったのかは明らかではないが、当時の軍人、貴族、百姓、聖職者、若者、老人など社会各層の馬鹿げた行為を描いたものである。そしてこれらは当時の社会規範に対する批判の表れであるともいえる。 ⅩⅠ 信心と断罪―宗教画と教会批判 Devotion and Condemnation – Images of Piety, Images of Criticism ・ゴヤが近代美術の先駆者として教会に対しては批判的な立場であったという事実は彼の宗教画に対して影を投げかけている。しかしながら、実際にはゴヤは生涯にわたって宗教画を描き続けていた。《荒野の若き日の洗礼者ヨハネ》(→)はその一例である。 ・ゴヤの宗教画に対するアプローチは啓蒙主義的だった。彼の合理主義的な立場は人間の情緒的表現とは相いれなかった。聖人や神格は、その精神性を深く考慮して、簡潔かつ虚構なく表現されていた。 ⅩⅡ 闇の中の正気―ナンセンスな世界の幻影 Lucidity in the Darkness – Visions of a World of Folly ・これらの22点のアクアチント版画は、全体として薄気味悪い雰囲気で、非常に暗い。その主題は、恐怖、非合理性、男女関係などである。しかしここでは、社会を改革しようという重要な註解はなくなり、その代わりに、馬鹿な人間の本性や現実世界の非合理性といったことは教化不能であるとしているようである。しかしながら、一部の版画には、闇の代わりに光があり、多少の希望も残っていることを表している。 ⅩⅢ 奇怪な寓話―「ボルドー素描帖G」における人間の迷妄と動物の夢 Grotessque Fables – Human Folly and Animal Dreams in the Bordeaux Album G ・ボルドーで制作した「素描帖G」の全図には説明書きがついている。 ・ここではゴヤは醜悪に変形したものを追求しているが、これは写実と劇画が混合した「ロス・カプリーチョス」に端を発している。この異様な図像は、いまや高齢となったゴヤの記憶や想像から生まれたもので、観る者に人間の愚かさを想起させる。この「迷妄」でも、「悪夢」の場合と同様に、狂気と不条理が切られた首として象徴的に表されている。ゴヤの作品は常に人間とその生命に焦点を当てていたが、時には、欲望、残酷は動物の形を借りた寓意で表現されている。 ⅩⅣ 逸楽と暴力―「ボルドー素描帖H」における人間たるものの諸相 Leisure and Violence – Images of the Human Condition in the Bordeaux Album H ・《暴力》に関するテーマがこの最後の素描帖に再登場してきている。強者対弱者、夫対妻、男対女の際限のない暴力である。ゴヤは、拷問や犯罪者の処刑といった暴力さえも、人間社会に遍在する負の因子として表現した。 ・二つの「ボルドー素描帖」に含まれている作品は、ゴヤの人間に対する鋭い観察をまとめたものである。馬鹿な行為によって快楽や欲望を満たしている老人の図像が多いことも興味を引く。ゴヤが、愚かな人間に対して絶望し、人間の本性として受容した結果、これらの強烈かつ時に悲喜劇的な図像が制作されたのである。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2012-01-12 18:07
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