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こういう寄せ集め展覧会はパスすることが多いのだが、ブロガーの評判が悪くないので覗いてみた。
入口の看板はネットになっており、庭園の木々が透けて見える。これぞ「森と芸術」。 ![]() ホールに集合。30人ぐらいも集まっている。講師は河村三枝子学芸員。森についての絵画・工芸を集めたので、観客それぞれが持つ森の記憶を想い出してもらうことがこの展覧会の目的とのこと。今年が「国際森林年」ということも関連しており、チラシやポスターにもそのロゴが入っているとのことだが、これにはまったく気付かなかった。 まずは第3章「風景画の中の森」から。 ・ロラン《小川のある森の風景》: 例の大きな風景。人物はオマケということで、本人以外が描いたのかもしれないとのこと。 ・ゲインズボロ《荷馬車のいる丘陵地帯の森の風景》: この小品は学芸員のお気に入りらしいが、私はイマイチ。オランダ風景画の影響ということが力説されたが、それならばライスダールでも持ってきたほうが良かったのではないか。 ・クールベ《オルナンの渓谷》: この画家が問題児ではなくなった後期の作品。大きな風景で緑の印象が強い。 ・バルビゾン派: 都会の喧騒を嫌い、産業革命以前の風景を崇拝して、理想的に描いた。個人的には、ド・ラ・ペーニャの《フォンテンブローの森の小径》の光が良かった。 ・コロー《サン・ニコラ・レ・ザラスの川辺》: 例の銀灰色の風景。 ![]() ここで、第4章「アールヌーヴォーと象徴の森」の部屋へ。 ・セリュジェ《ブルターニュのアンヌ女公への礼賛》: 今回の目玉作品。ポン・タヴェンで描いた《愛の森》(最近、新国で見た)がパリの友人の間で評判が良く、ナビ派を結成。彼らの画はタペストリーに見られるような装飾的・平面的なもので輪郭がはっきりとしている。 ![]() ちょっと脱線するが、置いてあった図録の「あとがき」に、この展覧会を監修した巌谷国士が、東日本大震災の後に孫を探して瓦礫の地に戻ってきた祖母が孫のために植えられた梅の木が蕾をつけているのを見て感動したという話を披露して、この画の若木と関連つけていた。 ・ドニ《聖母月》: これもナビ派。 ・ガレとドーム兄弟: 装飾性で共通するガラス工芸。 ここで第1章「楽園としての森」に戻ってくる。 ・デューラー《アダムとエヴァ》: 超有名なこの作品の前で、エヴァが食べたのは林檎ではないとの話をひとくさり。天国には普通の樹の他に、善悪の樹と生命の樹があり、エヴァが食べてアダムに勧めたのは善悪の樹の実。これが禁断の実である。神は怒って二人に生命の樹の実を食べさせて、人間の寿命が尽きるようにした。こうしてカインとアベルの物語に連なっていくのである。 アダムとエヴァが天国を去ったということは、人類が森を離れ、そして森に帰れなくなってしまったことと符合する。人間は、だれしも森に帰りたいけれども帰れないという気持ちを持ち続けるのである。 ・ゴーギャン《かぐわしき大地》: これは禁断の木の実を食べたエヴァ。蛇が登場する。楽園は異国にありということを表している。 ・アンリ・ルソー《エデンの園のエヴァ》: ポーラの有名作品。楽園はもはやヨーロッパにはなく、異国のジャングルの中にあるということを示唆している。アダムはもはやいない。 ![]() 別室に、ジョン・マーチンやドレの素晴らしい版画がいくつも出ていたのだが、このギャラリートークはすべてパス。個人的なお気に入りは、ドレの《碧玉色の空から天使の群れが楽園へと降り立つーミルトン「失楽園」》の白い天使たち↓。ドレの《悪魔は次第に迫っていき、高くそびえる杉や松、棕櫚の木立の下を横切っていったーミルトン「失楽園」》の黒い蛇も凄い。 ![]() ![]() 意図しないで作品を描くということ、すなわち無意識あるいは夢の世界を、コラージュ・フロッタージュ・アッサンブラージュ・デコルトマニーといった技法で表現していくのである。 ・マグリット: 異なるレベルのものたちを同一画面に描きこんで考えさせる。 ![]() ・ブルトン: シュルはひどく速く、無意識状態で作品を作っていく。ブルトンの「シュルレアリスムと絵画」には、「目は野生の状態で存在する」との言葉がある。この言葉についての解説はなかったが、われわれの中に野生が存在しているという意味なのだろう。もってまわった言い回しである。 ここで、第8章「日本列島の森」へ。第5章「庭園と聖なる森」には川田喜久治のイタリア・ポマルツォ怪物公園の写真が沢山出ていたが、ギャラリートークは完全にシカト。 ![]() ![]() 最後に、朝香宮邸周囲の庭園の1933年ごろの写真がいくつも出ている部屋に来た。ここは下屋敷だったが、写真の撮られたころには背丈ほどだったヒマラヤ杉が、80年たった現在では巨大な樹木に成長している。これは森のもつ再生の力である。ロビーに出て庭の木々をそういった目で眺めてほしい。これでトークは終わり。予定40分のところ、実際には55分の熱演、拍手! 大震災で沈みがちな魂のふるさとを揺さぶる好企画だった。しかし考えてみると、森はいまや芸術の中にのみ残っているといえるのかもしれない。 わが国では、縄文人が守ってきた森から弥生人が離れ、現代人は田舎から都市に移動して林業は衰退し、森は荒れている。われわれの魂のふるさとの危機なのである。国際森林年といってもほとんど盛り上がらない日本。このように考えると、このような展覧会で和んでだけいるわけにもいくまい。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2011-05-26 20:25
| アート一般
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