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この和鏡の特集展示を見る前に、まず仏具の部屋で興福寺の国宝の金堂鎮壇具の中の唐鏡↓を拝見。花・蝶・雲のイメージを表した古拙の趣のある鏡。ここには自分で撮った写真をアップするが、東博のDBの中にも画像がある。
次いで、和鏡の特集展示へ。リストはこちら。 銅鏡は、鏡面を磨いて像を映し、背面にはさまざまな文様を鋳表すことが一般的で、8世紀から10世紀にかけては中国鏡を模した花や鳥獣を配したものが主流であったが、平安時代11世紀以降は和様の情緒にとんだ動植物や景物を表現する和鏡が作られるようになり、江戸時代まで続いた。室町時代の終わり頃には,鏡に柄をつけた柄鏡が出現した。鏡に柄がつくようになると,鏡背の中心にあった鈕(ちゅう)が不要になり,中心にこだわった対称形の文様でなく,さまざまな絵柄がつけられるようになった。 ここで写真を撮ったのは「天下一青家次《桐竹鏡鏡》」だけ↓。その画像もDBにある。 この写真を撮ったのは自宅に古い《天下一和鏡》↓が残っているからである。 ネットで調べると、「そもそもの始まりは、桃山時代、織田信長が手工芸者の生産意欲の高揚促進を目的として《天下一》の称号を許したことから、鏡に《天下一》の銘が施されるようになったのであるが、江戸時代になると鏡師のほとんどがこの銘をまねして使うようになった。 天和二年(1682)に、《天下一》が使用禁止となってからは,《石見守》、《肥前守》といった受領国名が使用されるようになった」とのことである。 美術散歩 管理人 とら (追 加) ちょっと旧聞に属するが、本年2月13日(日)に、本館13室(金工)で美しい《松竹双鶴八稜鏡》を見つけたので、写真↓を撮った。しかし不思議なことに、周囲にキャプションがない。帰宅してリストを見てみたが、それらしいものが載っていない。今回の和鏡の特集展示にも出ていないようである。 (追 加 その2) 上記の問題が解決しました。詳細は、拙ブログのこちらを参照されたい。 金工室で見たと思ったのが間違いで、漆工室で見たのでした。その日の漆工室の展示リストはこちらで、ちゃんと熱田神宮蔵の「蓬莱蒔絵鏡箱」が載っていました。
by cardiacsurgery
| 2011-05-19 12:18
| 国内アート
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