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東日本大震災のあおりで、西洋名画が来日する機会が著減してきている。横浜美術館の「プーシキン美術館展」や損保ジャパン東郷青児美術館の「セガンティーニ展」も中止になってしまった。その意味で、現在三菱一号館美術館で開催されている「ヴィジェ・ルブラン展」↓や国立西洋美術館の「レンブラント展」が、消える直前の線香花火のように輝いている。
![]() 出演者は、三菱一号館美術館館長の高橋明也氏とドイツ文学者・翻訳家の中野京子氏。高橋さんがルブラン、中野さんがダヴィットの担当ということで話が進行していった。以下、ルブラン=R、ダヴィット=Dとする。 1.出自 R: 平民の出。父はパステル画家。マリー・アントワネットと同年。 D: 平民の出。父は決闘で死。 2.若い頃: R: 早熟の画家。14歳の時に弟を描いた画は見事。 D: 親戚のロココ画家に倣った作品。 3.転機: R: 結婚後、画商の夫の浮気とギャンブルをよそに、ヴィジェ・ルブランは画にうちこんだ。 D: イタリア留学でカラバッジョの画を見たりして、自分の進むべき道を見出し、《ホラチウス兄弟の誓》↓を描きはじめた。 ![]() R: アントワネットの肖像画家となり、1778年にはヴィーンのマリア・テレジア送る彼女の肖像画を描いた(↓部分)。その後も《シュミーズを着た肖像》、《麦藁帽子をかぶった肖像》、《バラの花を持つ肖像》といった華やかなアントワネットの姿を描いている。 ![]() ルブランが描きたくなかったという画《アントワネットと3人の子供と空の揺りかご》↓には笑っていない母の姿があり、これは王妃がフランス国民の母でもあるというメッセージがこめられているのであるが、その時は遅すぎたのであった。 ![]() 5.革命時代 R: 1789年の暮れ、娘を連れてイタリアに亡命。ドイツーオーストリアーロシアへと亡命生活が続いた。しかし各地で、肖像画家として重用された。亡命先で娘やロシア皇帝の息子の嫁を描く画家の自画像は美しい↓(部分)。ルブランの描く人物はかすかに口を開いているが、ダヴィットの描く人物は口を閉じている。 ![]() ![]() ![]() R: 1802年、12年の亡命生活を経て、フランスに帰国した。その時の嘆願書にはダヴィットも署名している。帰国後描いた《スタール男爵婦人》↓には強い女性が描かれているが、これには亡命生活を生き抜いた彼女自身が投影されている。新古典主義にロマン主義の加わった作品であるといえる。1842年、ルブランは87歳の天寿を全うした。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2011-04-19 16:48
| 国外アート
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