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「白洲次郎・正子の世界」展を福岡アジア美術館で見たことがある(記事はこちら)。
私のその記事は、「激しい格差社会の上位を生きることができた夫妻の遺物を、高い入場料を払って見ている自分がおかしかった」と締めくくっている。こういった上流階級の人間に対するコンプレックスを拭い去れなかったのだろう。 今回の展覧会でも、白洲正子が 出版社の依頼で、西国三十三ヶ所の観音巡礼を取材した。日本中がオリンピックで沸いているのを尻目に、旅に出るのがいい気持ちだった。(中略) 近江の山の上から、黄金色の早稲の中を、新幹線が颯爽と走りすぎるのを見て、優越感にひたったものだ。お前さんはすぐ古くなるだろうが、こっちは数千年を生きた巡礼をしているんだ、ざまぁ見ろ。と書いているのを知って、このセレブの上からの視線に対する反感を抑えきれなかった。 この冬、郷里の家を整理していると、白洲正子の「私の古寺巡礼」(法蔵館 昭和57年2月25日発行の初版本)↓が出てきたので、東京まで持ってきた。親父は当時、仏像行脚を続けていたので、列車の中で読んでいたらしい。本の中に京博の観覧券と「他はこれ我にあらず」という道元の言葉のコピーがはさんであった。 ![]() ![]() 第1キーワード: 自然信仰 会場の入り口には、那智の滝の大きな映像がスクリ-ンに映し出されている。「私の古寺巡礼」には次のように記されている(p10-11)。 「那智」は滝がご神体です。わたしははじめて見てひどく心を打たれました。富士山と並ぶ絶景だと思ったのです。高い山の上から岩を割って落ちてくる滝の勢いと、雷のような水音は、私の心に強い衝撃を与えました。純真だった昔の人たちにとってはなおさらのことでしょう。それは美しいというより、恐ろしい風景で、自然というものの偉大さを目に物みせて教えるように感じました。(中略) 那智は、太古の昔から日本人の間に行われた自然信仰の一つで、人間にとって欠くことのできない水を与える源です。ひいては水をもたらす山も木も崇拝されたことは、今も残る「神体山」や「神木」によって知ることができましょう。別の言葉でいえば、山にも木にも水にも、神さまが宿ると信じられていたのです。会場には、《那智参詣曼荼羅図》が二つ並んで展示されていた。「補陀洛寺本」↓と「那智大社本」である。 ![]() ![]() 相撲人形(滋賀・御上神社、鎌倉時代)というものを初めて見た。国技といわれる大相撲も最近は不祥事の連続で少し怪しくなってきているが、相撲取りや行司がずいぶん古い時代から現在とあまり変わらぬ姿であったことを確認した。 大阪・金剛寺からは、《日月山水図屏風》(室町時代)↓が出ていた。 ![]() 中でも室町時代の「日月山水図屏風」一双は、絵画の中の逸品といえる。片方は、春から夏への風景で、重なり合った山の向こうに、日輪が輝き、もう一つの方は、雪の山に月がかかっている、大胆無比な構図である。一説には、那智を写したというが、一種の宗教画であることは確かだろう。日本の風景画は、自然を拝むことから発達したが、拝む心を持たないものに、このような崇高な景色は描けなかったに違いない。雪の山は、葛城であろうか。眺めていると、これはやはり那智ではなく、金剛寺に住んだ画僧が、自然と長い間つき合って、すっかり自分のものにした後、心の中の風景を描いたように思えて来る。桃山時代という説もあるが、そこにただよう静かな風韻、浪の描写の軽さなど、桃山の豪華さと押しつけがましさはなく、むしろ宗達の手本になったような気がしないでもない。もう一つの大阪・金剛寺からの出展品《野辺雀蒔絵手箱》(平安時代)↓については、次のように述べている(p101-102)。 ![]() 「野辺雀の手筥」も、私の好きなものの一つである。これは平安朝の蒔絵だが、蒔絵というよりざんぐりした漆絵の感触に近い。八条院の御料でもあったのか、それとも御村上帝の母后は、この寺で亡くなられたというから、その御遺品でもあろうか。何にしても、女人高野の名にふさわしい優雅な宝物である。第2キーワード: かみさま 国宝《家津美御子大神坐像、平安時代》(熊野速玉神社)↓も「祈りの道」以来の再会。これには仏像からの影響が見られず、俗体の神像に徹している。冠を被り、両手で笏を執っている。 ![]() ![]() この章で展示されていた和歌山・熊野速玉大社の《彩絵檜扇、南北朝時代》↓は、「祈りの道 @世田谷美術館」以来の再会。27枚の檜の薄板に描かれた山水花鳥の金銀の輝きと華麗な彩色が魅力的である。白洲正子は、いわゆる琳派の装飾美術はあまり好まないが、このようなそれ以前のものは美しさが自然で好きだとのことである。微妙な線引きであるが、辻惟雄のいう日本美術の「かざり」の伝統にも歴史的な変化が認められるのかもしれない。 ![]() 西国巡礼のスタートの那智については第1キーワードの章で述べているが、ここでは《道成寺縁起物語絵巻》や《粉河寺縁起絵巻》に再会した。さらに奈良・岡寺の小ぶりの《菩薩半跏像、奈良時代》もゆっくりと観賞できた。 長谷寺の国宝《銅版法華説相図(千仏多宝仏塔)》↓は初見。釈迦が説法していたところ、地中から巨大な宝塔が出現した場面を表現したもので、鋳銅の板に宝塔と諸仏が浮き彫り状に鋳出されている。千仏は、薄い銅板を型に当てて槌で叩き出して成形した、いわゆる押出仏を板面に貼っている。 ![]() この寺には有名な千仏多宝塔がある。正しくは「法華説相図銅盤」といい、奈良博物館に保管されている。三重の塔のまわりを多くの仏菩薩が取巻き、台座の下の方に縁起文が鋳刻してある。三尺に満たない小さなものだが、仏教美術史の上では重要な位置を占め、長谷寺の最初の本尊として、忘れることのできない遺品である。念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままの《空也上人像、平安時代》(六波羅密寺)にもお目にかかれた。 第4キーワード: 近江山河抄 《長命寺参詣曼荼羅図 長命寺十界図》(滋賀・長命寺)の他に、《大津絵(釈迦涅槃図)》(滋賀・月心寺)》、円空作《歓喜天像》(愛知・観音寺)などの庶民的な作品が出ていた。 第5キーワード: かくれ里 ![]() 滋賀・櫟野寺の《毘沙門天立像》↓は、ちょっと太めの堂々たる体躯だが、顔つきは何となく憎めないゆるい感じの仏さまである。 ![]() ここは十一面観音のオンパレードだが、それぞれに顔つきが違うから面白い。 印象に残ったのは、唐招提寺の《銅造十一面観音立像(押出仏)、白鳳奈良時代》、奈良・松尾寺の《焼損仏像残闕、奈良時代》などの特殊なものの他は、那智山経塚出土で日本最古例である東博の《金銅十一面観音立像、飛鳥時代》(↓左)と美形の京都・海住山寺の重要文化財《十一面観音立像、奈良~平安時代》(↓右)、三重・観音提寺の33年に一度の御開帳の重要文化財《十一面観音立像、平安時代》↓↓などであった。 ![]() ![]() ここで国宝《明恵上人座禅像》に再会した。これは明恵の弟子であった恵日坊成忍の筆とされるもので、上人が高山寺の裏山の松の二股で静かに座禅を組む姿が生きいきと描かれている。音声ガイドでは「目を凝らすと飛ぶ鳥や樹のリスが見える」とのことなので、一生懸命に探してみた↓。 ![]() ![]() 明恵上人は、鎌倉時代に、栂尾の高山寺を開いた名僧である。今年(昭和56年)は750年忌にあたるので、高山寺では盛大な法要が営まれ、京都の博物館では、上人にゆかりのある宝物の数々が展示される。有名な「鳥獣戯画」や「華厳縁起絵巻」をはじめとし、事物の「仏眼仏母像」、自筆の「夢の木」や書簡など枚挙にいとまないが、なかでも「明恵上人樹上座禅像」はみごとなもので、自然の中に没入しきった人間の美しい姿を描いている。そのほか、生前愛した石とか道具とか、犬の彫刻とか、上人の生活が身近に感じられるものばかりで、そういう点でも、このたびの展覧会は、普通の美術展や秘宝展とは、いささか趣が違うのである。なぜ違うか。それはほかならぬ明恵自身が、普通の高僧とは違っていたからである。上段の白洲正子の文に出てくる明恵が愛した高山寺の《狗児、鎌倉時代》↓は可愛い!のひとことである。 ![]() ここでは平等院の琴を弾いている《雲中供養菩薩像(北1号)》↓が絶品。意外に大きな像。まさに平安の宝である。定朝一派の力量が十二分に表れている。 ![]() 中でも魅力があるのは長押の上の白壁にかかっている52体の飛天である。正しくは「雲中供養菩薩像」といい、檜の一木つくりの群像で、或いはさまざまの楽器を奏し、或いは蓮華や宝珠をささげ、雲に乗って舞ったり歌ったりしている。創建当時は、華やかに彩られていたらしいが、今は漆も彩色も剥落して、美しい木目の生地を現しているのが却って趣がある。滋賀・聖衆来迎寺の国宝《六道絵 黒縄地獄、鎌倉時代》にも遭遇したが、この手の地獄絵は苦手である。 第9キーワード: 修験の行者たち 白山の修験者《泰澄大師像、1493年》(文化庁)に初めてお目にかかった。岐阜・日吉神社のあどけないお顔の《十一面観音坐像》↓や福井・大谷寺の《十一面観音坐像・阿弥陀如来坐像・聖観音坐像》はいずれも平安時代の素晴らしい仏さまたち。前者は30年ぶりの公開だそうだが、この観音菩薩について、白洲正子は次のように述べている(p169-170)。 ![]() その一つに、美しい木彫りの十一面観音がある。重要文化財などという、いかめしい称号には、およそ似つかわしくない可憐な仏さまで、大きさも30センチほどである。実際にはもっと小さいかもしれないが、今この世に生をうけたといったようなうぶなお姿で、胡粉や朱の彩色も程よく残っている。また奈良・櫻本坊の《役行者神変大菩薩像》↓は、鎌倉時代の作品であるが、そのにこやかな笑顔は忘れがたい。 ![]() 第10キーワード: 古面 面白い舞楽面や能面がたくさん出ていた。これは幼いころから能に親しんできた白洲正子の真骨頂を示す展示なのだろう。 親父が持っていた白洲正子の「私の古寺巡礼」に導かれて素晴らしい神さま仏さまに遭遇できた。今まで偏見を持って考えていた白洲正子のおかげで、これだけの名品に接することができたのである。白洲正子が突然私のミューズに変身したというほどでもないが・・・。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2011-03-22 11:34
| 仏像
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