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「シャガールはもう沢山!」という向きも多いだろう。しかし「シャガールは何度見ても良い!」というファンも少なくないと思う。わたしはその中間。今回はちょっと迷ったが、長ったらしい上記の副題の意味を知るために出かけてみた。ちなみに主題は「ポンピドー・センター所蔵作品展」。↓は入口の立看板。これは1952-54の《日曜日》。故郷の回想、結婚の歓び、当時の巴里などが万華鏡の内部のように描かれている。
Ⅰ.地下第1室: ロシアのネオ・プリティヴィスム シャガールの作品は、1908年の《自画像》と《死者》から始まる。後者の構成は確かに伝統的なロシア美術の影を引きずっている。1910-11年の《アトリエ》や1911年の《父》もユニークである。同時代のゴンチャローワとそのパートナーのラリオーノフの作品が多数同じ部屋に並んでいたが、平面的で濃密な色彩は初期のシャガールの画と共通する土俗性を備えている。 ゴンチャローワの《収穫物を運ぶ女たち》↓は、「葡萄の収穫」という組作品の1面であるが、まるでイコンを見ているような気がする。 《ロシアとろばとその他のものたち》↓は、1911年パリに出たシャガールが制作した最初の大きなコンポジションである。屋根の上の赤い「牡牛」の乳を飲むのは人間の子供。バケツを持った女性の首は体を離れて、天の「啓示」を仰いでいる。 この部屋には、アルキペンコ、リプシッツ、ザッキンなどの立体派ブロンズ像のみならず、ゴンチャローワやラリオーノフの作品も出ていた。この二人も当時の西欧美術の影響を受け、最終的にはパリに出てきたのである。 Ⅲ.地下映写室: 狭い角部屋で椅子の数はそれほど多くないが、ビデオ「シャガール」が上映されていた。とてもお洒落で内容豊富な2003年フランスの作品。52分と長いが、それだけの時間をとって観る価値が十二分にある作品。 Ⅳ.3階第1室: ロシアへの帰郷 1914年一時帰郷のつもりであったが、第一次大戦の勃発のため長期滞在となり、ロシア革命の影響をもろにうける。 1916-17年の《緑色の恋人たち》(↓左)や《灰色の恋人たち》といった歓びにあふれた有名作品が並んでいた。《立体派の風景》(↓右)のようなキュビスム丸かじりの作品もあったが、その中にも故郷のモチーフが隠れている。 Ⅴ.3階第2展示室: 歌劇「魔笛」の舞台美術 1967年2月19日にNY新メトロポリタン歌劇場こけらおとしのモーツアルトの歌劇「魔笛」の舞台衣装、背景幕、舞台デザインはシャガールが手がけた。 そのデザイン原画が展示されていた。お気に入りは、黄色の《モーツアルトへのオマージュ》、青色の《夜の女王》、赤色の《フィナーレ》↓。 Ⅵ.3階第3室: シャガール独自の世界へ ここにはポンピドー・センターの誇るシャガールの代表作が並んでいた。 1935/1947年の《家族の凝視》は、ヒトラーによるユダヤ人狩りを逃れて渡米したシャガールがアメリカに持ち込むことに成功し、戦後まで手元に置いて繰り返し手を入れていた歴史的作品。 1945年の《彼女を巡って》↓は、前年に愛妻ベラを失い一時筆を折った後に画業を再開した際の作品。大きな画えを半分に切り、その左側を描き直したといういわく付きの作品。シャガールの首はひっくり返り、画全体が淋しい青に包まれている。 それにしても、展覧会の副題の意味はよく分からなかった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2010-07-08 09:33
| 国外アート
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