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副題は「レンブランドからシーボルトまで」。フライヤーの紹介も「本展覧会は、17世紀から19世紀にかけての日蘭交流の歴史で重要な役割を果たしたオランダ東インド会社の活動や、日本とオランダが相互に与えた影響を、美術・工芸資料、歴史・考古資料を通して再認識していただくものです」という抑えたものであったので、それほど期待しないで見に行ったが、それは嬉しい誤算。
章立ては簡単なものだが、それぞれが細分されていた。ここでは自分がとくに興味を持った点にしぼって書くことにする。 プロローグ 南蛮の時代: 南蛮人(ポルトガル・スペイン人)は貿易・布教のため来日、一方「鎖国体制前」の日本人は朱印船貿易でアジア各国に出かけた双方向交流の時代である。 一方では《南蛮屏風》などの展示、他方では《安南国渡航免許状》などの展示で、この双方向性が示されている。 「東京駅北口遺跡」は、戦国末から近世初頭の江戸にもキリスト教徒が住んでいたことの証拠である。《墓坑》の生々しい写真が印象的。「長崎市内出土のキリシタン遺物」の中の《花十字紋瓦》の存在もはじめて知った。 第1章 VOCによる通商: 紅毛人のオランダ東インド会社(VOC)については、3分間のショート・ビデオをまず見ることをお勧めしたい。以下はそのサマリー。 VOCの建物はアムステルダムに残っている。アジアへ船を出すことが決まると、まず船乗りを募集する。冒険好きあるいは極貧の若者が多数応募してくるが、ある程度中庭に集まると、門が閉じられてしまう。個人面接はあるが、大体はパスする。喜望峰を越えてアジアに達する旅は苦難に富み、200年間に100万人に達するオランダ人がVOCの船員になったが、帰国できた者はその三分の一だけで、帰国者からの再応募はほとんどなかった。《VOC船タイルパネル》↓はアムステルダム国立博物館蔵のデルフト焼タイル。旗の記章「A・VOC」の「A」はアムステルダム支社のこと。 レンガの色で作られた場所が特定できるということが面白かった。黄=オランダ、赤=台湾、黒=日本!である。 今回この展覧会を見に行った一つの目的は北斎とシーボルトの仲立となったともいわれる出島出入絵師「川原慶賀」の作品を見るためだったが、ここに彼の《出島図》が出てきた。 ↓は川原慶賀が描いた《シーボルト肖像画》。二人が会ったときはシーボルト27歳、慶賀37歳である。 1階の講堂で、ビデオ「シーボルトの眼になった男 川原慶賀」を見た。約15分、これは必見。日本に現存する慶賀の作品は約100点だが、オランダに送られヨーロッパ各地に分散した作品数は6000-7000点ともいわれているとのことである。川原慶賀の作品については このサイトを参照されたい。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2010-05-10 10:02
| アート一般
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