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大阪市立東洋陶磁美術館で開かれているこの国際交流特別展については自分のブログでも告知し、是非行きたいと思っていたのであるが、どうしても行けなくなってしまった。美術館にファックスして図録は送ってもらっている。また美術ブロガーのmemeさん(この展覧会記事はこちら)からは、3月14-15日に開催された国際シンポジウム「北宋汝窯青磁の謎にせまる」の100ページを超すテキストのコピーも頂いている。展覧会は本日が最終日なので、「行けなかった展覧会」という不思議なタイトルでメモを残しておくことにする。
今回の展覧会は、河南省宝豊県清凉寺の北宋汝窯青磁窯址の出土資料約80点を紹介するものである。また本展では近年汝州市内で発見され注目されている張公巷窯址の出土資料の一部も併せて紹介されているとのことである。展覧会の画像は Asian Art の英文紹介記事に載っている。 汝窯とは、宋代「五大名窯」の筆頭で、他は官窯・哥窯・定窯・鈞窯である。汝窯青磁の特徴は上述したような純粋な天青色の釉色を有することである。この色は法門寺の「秘色青磁」→五代・柴窯の「雨過天晴」の系譜であるともいわれている。その他の特徴としては、きわめて小さな支釘による焼成技術を使っているため、3-5の目跡があり、さらに美しい氷裂文の貫入があるものが多い。これが宝豊清涼寺汝窯址で焼かれていたことが確認されたのは、中国河南省文物考古研究所が2000年まで続けていた発掘調査の結果である。 汝窯青磁の伝世品は、世界で約74点、18種類の器型である。所蔵先は、台北故宮21、北京故宮15、大英博物館(ディヴィッド・コレクション12点を含む)16、上海博物館8、天津博物館2、スウェーデン・ルッスカ博物館2、日本個人所蔵2、以下 中国国家博物館、V&A美術館、セントルイス美術館、クリーブランド美術館、フィラデルフィア美術館、大阪東洋陶磁美術館、香港芸術博物館、香港沐文堂が1点ずつとなっている。日本にも3点存在していることになるが、その一つは今回展覧会が開かれている大阪東洋陶磁美術館の《水仙盆》↓である。ついでに大英博物館の《盞托 cup stand》↓↓、ディヴィッドコレクションの《撇口碗》↓↓↓、北京故宮の《三足樽》↓↓↓↓の画像もアップしたが、それぞれ微妙に色合いが違っている。 発掘品の焼成と年代については、馬蹄形窯から楕円形窯への進展がみられ、石炭ではなく薪が使用され、色彩も初期段階の赤褐色から成熟期段階の天青色へと発展している。 しかし伝世品の釉色と出土品の釉色がかなり違っているという事実はきわめて重要である。出土した天青釉と呼ばれる陶片の60%は月白色、25%が淡青色、天青色と呼ばれるものは15%のみであると報告されているとのことである。(「宝豊清涼寺汝窯址報告書」2008,p125および彩板190) このように天青釉にばらつきが多いことが窺われ、目指した釉色が伝世品にみられる天青色だったと考えられるのである。廃棄坑に多数の落選品が捨てられているのは目指した釉色の選定基準が厳しかったことを示している。 例えば今回の出土品(↓左)と上述の台北故宮の伝世品(↓右)とをくらべてみると、同じ形の《蓮花碗》であっても、色は明らかに違っている。 釉薬には瑪瑙が使用されており、一層にうすくかけられた釉では、粉青色・月白色・卵青色をした乳濁色の半透明のものとなっているのに反し、厚くかけられた釉あるいは2度がけされた釉では天青釉が中心で、天藍色を呈し、碧玉のような質感であるとされている。 天青色を出すには比較的低い温度で焼成することが必要で、高い温度では青緑色になってしまうという。成熟期で貫入が出現してくるのは、この低い温度と関係があるとのことである。 図録の中のマイ・ベスト・カラーは《青磁洗》↓である。見込みに土がくっついてしまったため落選品となったのだろうが、釉色は深みのある天藍色で、伝世品にひけをとらない。 今回のシンポジウムでも汝窯の性格に関しては論争が続いていることがわかる。宝豊清涼寺汝窯址発見前には、民窯と官窯が共存していたのではないかとの説もあったが、宝豊清涼寺汝窯址発見後には、もともと純粋な民窯であったものが官中貢納用の窯に変化していったのではないかとの説が有力になってきているようである。 今回の出土品の類似品が高麗青磁にあることで、汝窯と高麗青磁の関係がクローズアップされてきている。例えば今回出土した《鴛鴦形香炉》↓は高麗青磁にも類例がある。 汝窯と同じような目跡のある高麗青磁は、旧来の玉璧底碗系の器種がなくなる地層で突然現れている。それまで銅器が主流であった民間の器物が11世紀末に磁器に変わってきている。これらのことから、11世紀末に宋の文物が入ってきた可能性が高く、汝窯と類似の青磁を造った窯が高麗にできたのであろうとの説が有力になってきている。 ただし高麗青磁の「翡色」という中国での表現が高麗の記録には存在していないという点は興味がある。たまたま東博で見た高麗青磁の色は天青色とは決していえないものばかりだったので、汝窯と高麗青磁の関係について疑問を持っており、事実今回の出土品の中に東博の高麗青磁と同じような濃い青緑色の青磁がいくつもみられた。 一方、2006年に台北故宮で開かれた「北宋汝窯特別展」のページには、大阪市立東洋陶磁美術館から出品された素晴らしい釉色の青磁の画像(①高麗青磁 彫刻鴛鴦蓋香炉、②高麗青磁 花口碗)が載っている。数は少ないものの中国宮廷に納められた天青色の汝窯青磁と同等のレベルの高麗青磁も存在しているということのようである。 シンポジウムでは、「張巷窯」や「北宋汴京官窯」についても熱心な発表があった。 張巷窯は汝窯の近くであるが、その焼造年代はおそらく金代以降であり、北宋末期の北宋官窯に比定するとの説は少数意見のようである。その釉色は淡青、青緑、灰青、卵青でガラスの質感が強いもので、全体の性格は汝窯から南宋官窯へは継承されているが、汝窯から張巷窯への継承はそれほどではなく、両者の間には多くの差異が見出されているとのことである。 北宋官窯が実際に存在したか否かについては、現在のところ推論の域を出ないようである。これは徽宗時代に首都に存在していたといわれる官窯であるが、これを支持する考古資料は存在していないのである。しかし南宋官窯へ継承される北宋の官窯的な窯として、ある時期、汝窯と北宋官窯が共存したとも考えられるとのことであった。 展覧会に行けないとなるとかえって勉強する。これを「天邪鬼」というのだろう。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2010-03-28 11:14
| 東洋アート
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