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「The ハプスブルク」展の記念講演会。演者はウィーン美術史美術館副館長兼絵画部長のカール・シュッツ氏。演題は「デューラー、ティツィアーノ、ブリューゲル、ベラスケスーハプスブルク家とその画家たち」ということであったが、内容的には「ハプスブルク家の美術コレクターたち」としたほうが良いものだった。
以前、カール・シュッツ氏のギャラリートークに参加したしたことがあったが、その時は分かりやすい英語を話されたのに、今回はドイツ語の原稿を早口で丸読み、それに続く和訳者も早口でまくし立て。いつものように頑張ってメモしたが、固有名詞などは聞き取りにくく、講演終了時には疲労困憊した。聴衆は寝込んでいる人が多かった。もうすこし何とかならないものだろうか。 1.皇帝ルドルフ2世: 今回の展覧会の冒頭にはアーヘンの《神聖ローマ帝国ルドルフ2世》↓の肖像画が飾られている。この画では、ルドルフ2世は、皇帝の服装をしておらず、スペイン風の衣服をまとっている。そしてその表情は幾分沈うつである。彼は少年時代を伯父のスペイン宮廷で過ごしたが、そこでフェリぺ2世が収集したティツィアーノやボッシュの作品やエル・エスコリアール宮殿建築から美術に対する理解を深め、「美術品収集は王の仕事である」と信ずるようになった。父の皇帝マキシミリアン2世の死によって、1576年、24歳で神聖ローマ帝国皇帝となったルドルフは、オーストリアに戻るやいなや宮廷をウィーンからプラハに移した。ケプラーをはじめとする学者や芸術家をこの地に招聘するとともに、美術品の収集を開始した。 彼は短時間に17世紀で最大規模を誇る絵画ギャラリーを築きあげたが、これはテニールスの《大公レオポルド・ヴィルヘルム大公のブリュッセル画廊》↓という「画廊画」に示されている。この画のなかに描きこまれた画の大部分はイギリスのハミルトン・コレクションからのものであるが、実際には異なったサイズのものである画を同じ高さに揃えて描いている。今回出展されているティツィアーノの《イル・ブラーヴォ》↓↓もこの中に描きこまれている。探してみてください。一番前の3枚のうちの右側の画だと思います。 彼は帝室に属する美術品をすべてウィーンに集め、シュタルクブルグに飾った。フェルディナンド・ストルファーは羊皮紙本↓にこの帝室画廊の各壁を正確に描いているが、これによると中央に大きな画、周囲に小さな画を木枠にはめて飾り、上部は楕円形に画が飾られている。こうするために絵画が切断されたりしている。 父の皇帝カール6世にも先帝である彼の兄の皇帝ヨーゼフ1世にも男児がないため、カール5世はオーストリアの皇位はスペイン国王が継ぐということになると、権力が集中しすぎると教皇に言わせ、さらに自分の娘のほうが兄の娘より継承権が先であるという規則を作ったのである。そしてマリア・テレジアの結婚相手には力のない家系の男子ロートリンゲン公を選んだのである。 カラヴァッジョの《ロザリオの聖母》↓はこの時期アントワープで購入されている。 美術史美術館の中2階のホールには、ベルガーの《学術文化を奨励したハプスブルク歴代皇帝の姿を描いた巨大な天井画》がある。↓と↓↓は画面の左半分であるが、左からルドルフ2世に冠を渡す金細工師、彫刻家レオ・レオーニ、塩壷を持ったヴェンヴェヌート・チェルニーニ、ティツィアーノとカール5世、その后イザベラ、妹マリア、背後には甲冑職人、武器職人を従えたチロルのフェルディナント大公が見られる。右側には、マキシミリアン1世とデューラー、カール6世、ルーベンス、レンブラントなども描かれている。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-10-02 00:01
| 国外アート
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