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ウィーン・ミュージアム(旧ウィーン市立歴史博物館)所蔵のコレクション展。このミュージアムはカールスプラッツ駅に近い便利なところにある。簡単な訪問記はこちらであるが、クリムトの初期の作品が多いので有名である。
章立ては、 1.装飾美術と風景画ーリアリズムから情緒印象主義へ 2.グスタフ・クリムトとそのサークル 3.エゴン・シーレ 4.分離派とウィーン工房 5.自然主義と表現主義 まずはマッチュの画。マッチュは1883年にクリムト兄弟と芸術家商会を結成し、装飾壁画を制作している。彼らの作品はブルグ劇場や美術史美術館のものは実際に見る機会があった。《テレーゼとフランツ・マッチュ》↓は自分の子供たちを描いた優しい画である。芸術家商会を解散した後の作品で、クリムト兄弟の桎梏から逃れたのびやかなタッチである。 彼の《ひまわり》は以前にもみたが、1909年、早い時期の作品である。ヒマワリを選んだのはゴッホやクリムトの影響が指摘されているが、クリムトの絢爛たるヒマワリ、ゴッホの明るいヒマワリにくらべれば、シーレのヒマワリはいかにも淋しげである。高く育った植物が萎れているのは悲観主義的であるが、下部に新しく育ち始めた生命を描いているのが救いであるといえようか。 彼の自画像は特異である。指を大きく広げている。会場でまねしてみたが、この形にはならなかった。背後の茶色の花瓶から、葉の付いた枝が水平に延びている。この花瓶には三つの顔が描かれている。自画像に壷を描きこむというのはゴーギャンの画に見られているが、シーレの自画像もゴーギャンと同じく自我の二重性を象徴しているのだろうか。背部の鮮やかな色の帯はウィーン工房の原図、左上部のそれはシーレの画の一部と説明されていたが、それほど仔細に分析する必要はないかもしれない。 シーレは、1918年、ようやく画家としての地位を確立しようとしていた矢先、当時パンデミックとなっていたスペイン風邪、すなわち当時の新型インフルエンザで急死。28歳の若さであった。なお、妊娠中であった妻のエディットはシーレの死の3日前に同じ病で没しているので、シーレのインフルは妻からうつったものであることは間違いなかろう。妊婦は胎児に対する拒絶反応を抑えるため、自然に免疫性が落ちている。現在流行中の新型インフルでも妊婦が重症化しやすいとされている。 こいうったことを考えながら、シーレの自画像に『新型インフル厄除け』をお願いした。もちろんマスクをかけて。これは江戸時代に『痘瘡厄除け』のため科挙に落第して死んだ鍾馗の絵にお願いしているようで、われながらおかしかった。 分離派の画家の作品が沢山出ていたが、ここではカール・モルの《庭のテラス》↓とコロ・モーザーの《麦わら帽子の娘》↓↓だけを上げておきたい。前者のテラスには、月桂樹の木々とゼラニウムの赤い花が装飾的に遠方まで描かれている。いわゆる「庭園芸術」に繫がるものなのだろう。後者は、平面的な造形理論とホドラーに影響された不思議な感覚の色彩で満たされている。 【参照】 〇オーストリア国立工芸美術館 ウィーンのジャポニスム展: 東武美術館 1995 〇ベルベデーレ宮 オーストリア絵画館所蔵 ー クリムトとウィーン印象派展: 富士美術館 1996 〇ウィーン世紀末展 クリムトの夢&シーレの愛 レオポルドコレクション: 安田火災東郷青児美術館 1997 〇ウィーン美術館 カールスプラッツ 2006 〇中欧美術散歩ー10(ウィーン第1日) 2006 〇中欧美術散歩ー11(ウィーン第2日) 2006 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-09-21 10:01
| 国外アート
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