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名古屋ボストン美術館の同名展は出展数38点、油彩はボストン4点、ポーラ3点、その他の国内館各1点、合計13点という淋しいもので、目玉の《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》のみが光っていた。
近美のこの展覧会は目玉作品は同じであるが、内容ははるかに充実していた。ゴーギャンだけの個展をみたのは初めてのような気がするほど立派な展覧会となっていた。出品目録には全53点、油彩合計24点が載っているから、名古屋とはまったく異なる規模の展覧会である。章立ても、↓のように明快。 1882年の《オスニー村の入口》↓は名古屋でも見たが、ピサロの影響を受けた印象派的な作品。 興味をひいたのは、MOMAの《洗濯する女たち》↓。ゴッホの《アルルの跳ね橋》と似たモチーフであるが、構図はかなり違う。左下には二人の頭部だけが大きく描かれている。 ここでは、個人蔵の《パレットを持つ自画像》↓とシュトゥットガルト州立美術館の《エ・ハレ・オエ・ヒア(どこへ行くの?)》↓↓が印象的だった。後者は石膏像《オヴィリ》↓↓↓の基になっているとことだったが・・・。 第3章 漂泊のさだめ: ここには《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》が展示されているが、その前室の壁面には説明動画があり、実際の展示室の壁には詳しいパネル表示がされていて親切だった。 肝心の《我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか》↓は、画のスグ前を移動しながら見る列と後から見る列に分かれていて、スムースに見ることができた。 名古屋では画を掛けた壁面が紫色であり、東京では内側が白・外側が黒となっていた。恐らくこのためか、名古屋で見た際には「青」が強調されていたが、東京では人体の「黄」が目立っていた。これには照明の影響があるかもしれないが、名古屋で感じられた「鬱」は東京ではそれほどは感じられなかった。自分としては名古屋の壁面や照明がこの画を描いた際の画家の心情に近いのではないかと思った。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-08-02 08:22
| 印象派後期
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