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昨年、平戸の松浦(まつら)史料博物館を訪れ、歴史のロマンを味わったことがある。その時の記事はこちら。その史料が「平戸・オランダ通商400年記念特別展」として東京にやってきた。早速、初日に出かけてみた。
2.松浦家とオランダ: 1585年に松浦鎮親が書いた《シャム国主宛書状》が出ていた。通商を求めたものである。イギリスやオランダの商館が平戸に置かれ、平戸は「西の都」といわれるほど賑わった。一方、会場には、秀吉の《キリシタン禁制定書(1587)》や《朱印状(1589)》も出展されていて、当時の状況の複雑さを物語っている。 松浦家28代の《松浦隆信肖像》があった。そしてその隣りには狩野安信筆の三幅対↓が出ていた。中央に松浦隆信こと正宗院像、右に母親の松東院像、左に妹の清浄院像。隆信がキリシタンでないことを証明するため自分で参禅し、キリシタン大名・大村純忠の娘である母親が棄教することを拒んだため江戸に送ったとされている。賛を書いた江月宗玩は津田宗及の子で大徳寺住持。彼が島原の乱後、キリシタンの疑いをかけられていた松浦家を救ったとされている。1637年の島原の乱の際の《原城攻囲陣営並城中図》には、オランダ船も描かれている。 日本こいしやこいしやかりそめにたちいでてもう一つのジャガタラ文は《ふく消息》↓。これはルイス後家ふく(カタリーナ)の手紙。漢字混じりで、近況や白木綿・砂糖・ふとんさらさ・小刀などの送り先が書かれている。この頃には手紙も書きやすくなっていたのだろうか。 松浦清著の《甲子夜話》は凄い。1821-411年の20年間に書いた随筆。正編100、続編100、三編73というから驚く。河童の画とラクダの画が描かれたところが開いてあったが、これはさしずめ江戸時代のブログ。 4.鎮信の茶: 29代の松浦鎮信(天祥)は茶人として有名である。金森宗和や片桐石州に習い、自ら鎮信流をうちたてている。鎮信の書や画、沢山の茶道具が出展されていた。ちょうどお茶会が終わったところらしく、和服の女性客が多かったが、うるさくて困る。さすがに全館放送で注意されていたが、最近のお茶人の教育には問題がある。 5.中興の祖 心月: 37代の詮(あきら)は在京の茶人の集まり「和敬会」を作っている。《中山一位局手製茶碗》が出ていた。中山慶子(よしこ)の母は39代松浦清の十一女であるが、孝明天皇の典侍となり、明治天皇を生んでいる。この茶碗には松浦詮の箱書がされていた。 6.鎮信流の道具: 《百菓之書》には、結構洋菓子もあり面白かった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-05-17 00:29
| アート一般
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