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「尼門跡(あまもんぜき)」といっても知らない男性が多いのではなかろうか。尼門跡とは、皇室や将軍家など高貴な家柄の息女が住職となる寺院である。家内は京都でその一つを訪れたことがあるというから、女性では知っている人は多いのかもしれない。わたしは、恥ずかしながら、正確な読み方も今回覚えた次第。
また、この尼門跡寺院が、明治維新の神仏分離令で皇室や政府の援助が得られなくなり、衰退の危機にあったときに、応援されたのは昭憲皇太后であり、後水尾天皇の許に徳川家から入内された東福門院も尼門跡寺院のサポーターであったのである。 そういう意味で、ルーシュ氏は、「尼門跡は何百年間も、才能に恵まれた女性たちが発展させてきた世界に類をみないすばらしい文化。次の世代に伝える努力をしていきたい」と力説されているという。 というわけで、「尼門跡寺院の世界」展の初日に行ってきたのは、自分の知識不足を補うためである。 今回は、京都・奈良に残っている13の尼門跡、すなわち大聖寺(臨済宗)、宝鏡寺(臨済宗)、曇華院(臨済宗)、光照院(四宗兼学)、円照寺(臨済宗)、林丘寺(臨済宗)、霊鑑寺(臨済宗)、中宮寺(法相律宗)、法華寺(律宗)、三時知恩寺(浄土宗)、慈受院(臨済宗)、宝慈院(臨済宗)、本光院(天台宗)に関連する作品が展観されている。 会場に入ると、まずビデオがあり、法華寺の雛会の情景が流れている。美しい《散華》↑が尼僧の手で撒かれ、床に敷き詰められていくところが印象的であり、尼門跡寺院にちょっと入り込んだ気がした。 次には、法華寺の十一面観音が安置され、その前に善財童子↓と多くの姿の善知識の小ぶりの像が、7・6・7躯ずつ3列に分かれて並んでおられる。とても美しく、そして心優しい情景である。 尼僧の像が沢山掛っていたが、男僧の頂相とは違い、顔つきが柔らかく、衣裳も華やかである。生前着ていた着物を使って作った《打敷》も奇麗だった。 中宮寺の密教様式の荘厳様式のしつらえが再現されていたが、これもあまり大きくなく、穏やかなものだった。チラシとなっている《散華》の実物↑やこれを入れる《華籠》も透かし彫りの美しいものが出ていた。 中宮寺の信如尼は《天寿国繍帳》を発見したことで知られている。この繍帳は、国宝で、以前に東博で見たことがあるが、今回は、小さな三人の僧と四つの字が書かれた亀の部分だけの裂が出ていた。これも国宝とのことである。法華寺の開基とされる光明皇后の像(小堀鞆音筆)はとても奇麗だった。これはもちろん法華寺の所蔵。 書や画のたしなみのある尼僧が多いらしく、感心するものが多かった。照山元瑶尼の《法華経》や《達磨像》はとても良かった。徳巌理豊尼の赤い《達磨像》も落ち着いたものだった。 尼僧の間では観音菩薩信仰が盛んであったとのこと。円照寺の《厨子入如意輪観音坐像》が展示されていたが、いやらしさのないすっきりとした仏像だった。照山元瑶尼の黒地の《観音像》は見事な軸。同じ作者の墨絵《観音菩薩騎龍図》や墨書《南無観世音菩薩名号》も巧かった。このように、今回、照山元瑶という書画の名手の名前を覚えることができた。 毛髪を使って書のように仕立てた《南無観世音髪名号》、爪を使った《南無釈迦牟尼仏三尊》、血液で書いた《血書般若心経》が出ていて、驚いた。 霊鑑寺の上段の間が再現されていた。襖絵などはディジタル高精細写真であるが、実物大なので迫力がある。実際の襖絵も二つでていた。一つは霊鑑寺二の間襖絵の《官女唐子遊図》↓で、上記の「上段の間」との間の「二の間」側の襖絵であるので、再生像と比較することができた。もうひとつの霊鑑寺奥書院襖絵《紅葉狩図》には、二艘の筏をながめる公家の姿が描かれていた。 美術品も数多く展示されていたが、お気に入りとしては、狩野晴川院の《波に兔図団扇》、光格天皇拝領の《猩々》、大聖寺の《源氏物語図屏風》、徳巌理豊尼の《源氏香絵》、法華寺の《七草絵巻》、慈受院の《大織冠絵巻》↓があげられる。最後の大織冠絵巻は、藤原鎌足の次女「こうはく」が中国に嫁ぎ、興福寺建立中の鎌足に至宝を船で送ったところ、これが奪われてしまったので、鎌足が四国の海女を竜宮城に送って取り戻したというたわいのない話。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-04-14 22:02
| 仏像
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