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12年前に来た時は、時間に追われての不満足な鑑賞。そこで今回は、十分な時間的余裕をもって出かけた。カフェでの昼食を入れて5時間の滞在。ホテルとの往復もタクシーを使って時間の節約。2年前に改装した故宮博物院は美しい。丑年なのでひっくり返っている牛が設置されているが、色は建物とミスマッチ。
まずはオリエンテーション・ルームの「8千年歴史帖長河」を見て、アウトラインをとらえた後、3階に上がって時代順に常設展を鑑賞していく。 1.文明の曙光-新石器時代(会場:303): 中国では、5000-6000年前から特殊な礼制を有していた。このための具象的な礼器としては玉器が用いられていたが、展示されていた沢山の玉器の中でもっとも印象深かったのは、山東龍山文化晚期の《玉圭》である。この中央部に彫られた人面は神祖像で、青銅器時代の「饕餮(とうてつ)紋」の原形であると考えられている。 2.古典文明-銅器時代(会場:305): 中国の青銅器時代は夏晩期に始まり、商代から漢代までの2000年間続いている。画像は、商晩期の《蟠龍文盤》である。「蟠龍(ばんりゅう)」とは空へ昇れぬ龍。銅器、玉器によく見られる獣面文、鳳鳥文および夔龍紋は、天神と祖先の霊と通じるための媒介とされている。 展示されていた大小8点の鐘《子犯編鐘》↓は、春秋中期の楽器であるが、上部には文字が、下部には「饕餮紋」のような紋様が、刻されていることに気づく。また、鐘には沢山の突起が付いている。「これは何のためか?」という質問がガイドからあったが、だれも答えられなかった。ガイドは「多分アクセサリーだろう」といっていたが、本当かな??? 正解は古代人に聞いてみなければ分からない。ガイドとは気楽な稼業! 3.古典から伝統-秦~漢(会場:307): 《玉辟邪》が面白い。辟邪(ひじゃ)とは西域に生息し、鹿に似ているが、尾が長く、両角を持った動物ということだが、一体どんな動物だったのだろうか。文字通り「邪を辟(避)ける」神獣だったのではあるまいか。故宮博物院で制作された3Dアニメ《国宝大集合》のキャラクターになっていたのは愉快千万。 【番外】 玉燦珠光(会場:308): この部屋の逸品はここに説明されている。お気に入りは、もちろん《翠玉白菜》。大きめの緑のキリギリスと小さめのイナゴを何回も眺めてきた。これは清時代、19世紀の作品で、「清清白白、多子多孫」という意味がこめられており、嫁入り道具であった。 上述した3Dアニメ《国宝大集合》では、夜、閉館後、展示室の書画や器物が目を覚ますのだが、3人の主役(嬰児枕・玉鴨・辟邪)が遊んでいる際に、翠玉白菜の上のキリギリスをなくしてしまい、キリギリス探しの旅に出ることになっている。 ここで、2階に下りて、さらに歴史を辿っていく。 4.繋がりと融合-六朝・隋・唐(会場:201): 画像は唐の《灰陶加彩仕女俑》。 この時代、中国は幾度もの分裂や統一を経たが、宗教や信仰が盛んになった結果、洗練された脱俗的な味わいの芸術が盛んになった。 また、北アジア・中央アジアの草原民族が続々と中原に入り込み、新しい文化の潮流を生み出した。 唐三彩に代表される雄渾な美術がその面影をとどめている。画像に示したような下膨れの唐美人はあまりにも有名。マイタイプとはいえないが・・・。 5.新しい典型の建立-宋・元(会場:203): 宋代には儒学を中心に教育が普及し、朝廷は礼を重んじ復古の風潮が生じた。文士たちは礼器を深く学びその古典的な趣を味わった。 質素な生活をよしとする美学が重んじられ、それが装飾や文具などの器物に反映され、過度の彫刻を避け自然を強調する文人の趣が尊ばれた。 お気に入りは、《北宋 汝窯 青瓷水仙盆》↓左と《北宋 汝窯 青磁蓮花式温碗》↓右。いずれも素晴らしいスカイブルー。とくに前者は、表面にヒビワレ(貫入)がまったくみられない世界唯一の青磁ということだった。 《北宋 定窯 白磁嬰児枕》↓も面白く、ショップで販売されているお菓子の紙箱に利用されていた。これも上述の3Dアニメのキャラの一人。 7.官民が技術を競う時代-明代後期(会場:207): 明代晩期には、 政治腐敗が進行したが、商業は発展し、美術市場は活況を呈した。 明代中期以降、職人は銀を納めることで官窯での労役を免れることができるようになり、民間の工芸が大きく発展した。 文人の制作参与や外国技術の導入によって明代晩期には多元的な芸術が形成された。 画像は、《明 16-17世紀 彫玉鰲魚花挿》。 8.盛世の工芸-清代 康熙・雍正・乾隆(会場:209): 清代初期の康煕(1662-1722)・雍正(1723 -35 )・乾隆(1736 -95 )三朝では、文化芸術が大きく発展するとともに、収蔵品が皇室に集まった。西洋や周辺地域との文化交流が促進され、文物にもその影響が表れた。 画像左は、乾隆二年の《彫橄欖核小舟》。超精緻な細工で、拡大鏡で見て初めて舟の中の人間や扉が分かる。画像右は、雍正の《銅胎畫琺瑯蟠龍瓶》。牡丹・桃・コウモリなどの図案が色鮮やかで、輪郭線も丁寧に描かれている。中国の画風と西洋から伝わった画琺瑯の技術の融合である。 9.現代に向かう―清代後期(会場:211): 18世紀の乾隆年間末期より、清は国力を徐々に失い、19世紀中期には外患内乱に見舞われた。多くの官営工房は閉鎖され、職人たちが民間に移ったため、民間の工房が活性化した。外国からの衝撃は、中国産業の現代化を促し、大衆向け工業製品が量産された。創作の方向性も大きく変わり、華麗で、技巧的、装飾的な大衆向けの手工芸が発展した。 画像は《清 十九世紀 珊瑚魁星点斗独占鰲頭盆景》。これは現在、受験の神様として崇められているという。 器物の特別展としては以下のものが開かれていた。 A.華麗な彩瓷―乾隆洋彩特別展(会場:306): 清代に製作された琺瑯彩には磁胎画琺瑯(琺瑯彩)と磁胎洋彩の二種類があり、いずれも乾隆帝にこよなく愛された。これらは紫禁城の中心であった乾清宮に収蔵され、皇帝の賞玩に供されていたため、今や極めて高価な美術品として扱われている。 素晴らしい展示品をこころゆくまで眺めることができた。まさに眼福! B. 碧緑-明朝の龍泉窯青磁(会場:304): 龍泉窯では、宋時代に伝統を確立し、元代・明時代にも制作が続けられた青磁は、海外でも広く人気を集め、ヨーロッパでは劇中の美男子(celadon)と称されていたほどである。 しかし前述の《北宋 汝窯 青瓷水仙盆》に比べると、純粋なスカイブルーではなく、緑がかった碧緑色である。そういえば日本や韓国でみられる青磁にも緑や灰色が混ざったものものが多い。 龍泉窯の青磁は明代朝廷が朝貢貿易を掌握するために、外国へ賞賜し、これが世界各地においてそのコピーを作る原動力ともなったとされている。日本や韓国でみられる明代以降の「青磁」の色調もこのことで説明できるのかなと思った。 美術散歩 管理人 とら 【註】 「書画参観」はこちら。
by cardiacsurgery
| 2009-03-11 21:08
| 東洋アート
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