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ここのところ少し忙しかったので、気にはなっていたこの展覧会にやっと行けた。それも夜間開館の時間に滑り込んで、空腹をこらえての鑑賞。入場料が700円と超安価なのは助かる。
なんといっても「秘仏開扉」という言葉の誘惑には勝てない。 まずは、《智証大師像》が二体。一つは《御骨大師》←で内部に遺骨が入っていたらしい。もう一つは《中尊大師》で、これは安置されているお堂からとった名前。いずれも極端な尖頭である。ビデオではこの頭を「霊骸」と呼んでいた。さらに重瞳、すなわち瞳が二つある眼とのことであるが、これを確かめている時間がなかった。後期に単眼鏡で確かめよう。 平安時代の作品であるが、色彩がよく残っている。秘仏として公開時間が限られていたおかげなのだろう。それにしても会場は暗い。細かい字の作品リストも読みにくいし、キャプションの作品番号の字の小ささはイジワルとしかいえない。 このそばには、チラシの表紙に威張っている鎌倉時代の《不動明王立像(黄不動尊)》→。眉根を寄せ、目尻を吊り上がらせ、牙をむいた不動。持物や飾り、衣裳も素晴らしいが、なんといっても両脚を開いて立つその姿は迫力十分。 この時代の彫刻はルネサンスになぞらえられているが、この像もその好例といって良いだろう。 平安時代の《不動明王立像(黄不動尊)》は後期に登場とのことである。 どうせならば二つ並べたほうが良かった。これが観客に二度足を運ばせようとするサントリー商法ならば、サモシイ!とお不動さんに叱ってもらおう。 《新羅明神坐像》↓は、円珍が唐からの帰途に会った僧で、円珍と三井寺を結ぶ役割を果たしたとのことであるが、その異形の姿にドキモを抜かれる。 顔は白粉で真っ白に粉を吹いており、長い髭を蓄えている。しかしなんといっても面妖なのはその目つきである。こんな垂れ眼の人間は見たことがない。やはり、神格を有しているからなのだろうか。あるいはこれを作った平安時代の仏師が「奇想派」だったのであろうか。 円珍の自筆の文書が国宝として出ていたので、ありがたく拝見した。 「円珍ゆかりの神仏」としては、平安時代の《護法善神立像》の足元に手を伸ばす子供が添えられていて、可愛かった。これは女神「訶梨帝母」とのこと。 「円珍将来図像とその展開」のコーナーでは、禅覚の《胎蔵図像》、《不動明王八大童子像》、盛忠の《不動明王坐像》が良かった。 仏像彫刻が今回のハイライトの一つ。←の《十一面観音菩薩立像》は下半身がひどく短いが、なぜか存在感がある。下から見上げれば修正されるかと思って、腰をかがめてきてみたが、その程度ではやはり短足である。 平安時代の堂々たる《千手観音立像》、新発見のやはり平安時代の《不動明王坐像》、鎌倉時代の《不動明王二童子立像》も印象的だった。平安時代の《愛染明王坐像》や江戸時代の《菊慈童図》も良かった。 階下に降りると、三井寺の障壁画。狩野光信の《観学院客殿障壁画 四季花木図》↓は、繊細な筆遣いながら、父親永徳を思い出すととてもその迫力はない。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2009-02-19 21:50
| 仏像
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