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2017年9月10日には、午前中に千葉市美術館で開かれている「鈴木春信展」を見に行ったので、その日の日曜美術館「アンドリュー・ワイエス」は見たものの、ブロフ記事執筆は遅くなってしまった。
アメリカは建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて、国の活力を生み出してきた。 【ゲスト】岐阜県現代陶芸美術館館長・高橋秀治,バイオリニスト・五嶋龍,【司会】井浦新、高橋美鈴 また「丸沼芸術の森」から「アンドリュー・ワイエス生誕100年記念展&フォーラム:固く結ばれたオルソン姉弟とワイエス」の通知も自宅に届いていた。 ●アンドリュー・ワイエス水彩・素描展 @丸沼芸術の森 2006/05/19 ブログ 2006/06/09 ブログ 2006/05/27 ブログ ●アンドリュー・ワイエス展 2007/06/29 ブログ 2008/04/21 ブログ 2008/11/08 ブログ サイト #
by cardiacsurgery
| 2017-10-02 16:23
| 国外アート
松本楼・完熟トマトチキンカレー
【参考】レトルトカレー味くらべ 【参考】レトルトカレー食塩相当量比較 【価格】松本楼・完熟トマトチキンカレー 550円(税別)<br> 【松本楼の厳選美食】1903年創業の日比谷松本楼が創る厳選美食。明治・大正・昭和・平成と受け継がれた伝統の味と、厳選した素材を生かし完熟トマトの酸味が効いた濃厚な旨みのチキンカレー。 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-10-01 11:34
| アート一般
運慶による仏像は31体残っている。今回の「運慶展」にはそのうち22体が出陳された。ここでは残りの9体について述べることとする。
1.国宝 運慶《阿弥陀如来坐像》 願成就院 文治2年(1186) 2-4.国宝 運慶《不動明王二童子(制咤迦童子・矜羯羅童子)立像》 願成就院 文治2年(1186) 5.国宝付属 運慶《八大童子 阿耨達童子》 金剛峯寺 建久8年(1197) 八大童子立像で国宝に指定されているのは六躯、矜羯羅童子、制多伽童子、恵光童子、清浄比丘童子、恵喜童子、烏倶婆誐童子で、後の二躯、指徳童子、阿耨達両童子は国宝の付属となっている。彩色が施されていない両童子像の造立期は他の六躯より少し遅れる鎌倉時代後期~南北朝時代頃であると考えられている。これは火災など、何らかの理由により当初像が失われたためであると推測される。 6.国宝付属 運慶《八大童子 指徳童子》 金剛峯寺 建久8年(1197) 7.運慶・湛慶《梵天立像》 瀧山寺 正治3年(1201) ●8.運慶・湛慶《帝釈天立像》 瀧山寺 正治3年(1201) 吽形の胎内から出てきた「一切如来心秘密全身舎利筺印陀羅尼経」には、運慶の弟・定覚や長男の湛慶ら約200名の名前が書かれているのに、運慶の名前は見当たらなかった。 1991年に、阿形の部材から墨書が見つかり、一番初めに「建仁三(1203)年癸亥・七月廿四日始之・大仏師法眼運慶」と書かれていることが分かった。快慶の法名は後の方で、運慶の名前より一段低い位置に書かれていた。 このことから考えると、運慶は全体の統率責任者であり、快慶の阿形制作にも関わっていたと思われる。 さて、今回の運慶展に出ていなかった9点の運慶作のうち、再見マーク●が2体に付いた。そうなると、純粋な未見は7体に過ぎない。 もっともこのことは今回の運慶展の後期を見てからの話ではあるが・・・。 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-09-30 14:33
| 仏像
今回は運慶の作品以外をまとめる。ちなみに「その1」はこちら、「その2」はこちらである。
第1章 運慶を生んだ系譜‐康慶から運慶へ ●重文 康慶《地蔵菩薩坐像》静岡・瑞林寺 興福寺南円堂にある法相宗の6人の高僧の祖師像。善珠・玄賓・行賀・常騰・玄昉・神叡の6人で、文治5年 (1189) 康慶らが造像。治承4年 (1080) 造立の六祖像が焼失したので再建。 趺坐 (ふざ) ,跪坐 (きざ) ,左膝を立てた姿のもの各2躯ずつで、容貌は写実的表現が強調され、平安時代末期から鎌倉時代にかけての肖像彫刻の代表的傑作の一つ。 国宝《四天王立像》奈良・興福寺(南金堂安置) ●重文 運慶・湛慶《聖観音菩薩立像》愛知・瀧山寺 第3章 運慶風の展開‐運慶の息子と周辺の仏師 ●国宝 《重源上人坐像》奈良・東大寺 ●重文《四天王立像》京都・海住山寺 ●重文《神鹿》京都・高山寺 ●重文《子犬》京都・高山寺 明恵が座右に置いて愛玩した遺愛の犬らしい。 明恵が動物を慈しんだことは伝記に多く語られ、「夢記」にもしばしば動物が顔を出す。幼い日々、亡き父母を慕う明恵は、小動物を見てはその生まれ変わりかもしれないと思い、子犬をまたいでしまった後に立ち返って拝んだという逸話が残ている。 ●重文 湛慶《善妙神立像》京都・高山寺 天燈鬼像:2本の角と3つの目を持ち、口を大きく開き、やや横目で前方をにらみ、左肩に乗せた燈籠を左手で支えている。 龍燈鬼像:腹前で左手で右手の手首を握り、右手は上半身に巻きついた龍の尻尾をつかみ、頭上に乗せた燈籠を上目づかいに睨む。像内に建保3年(1215)に法橋庚弁が造ったとする書付がある。 ●重文《十二神将立像のうち亥神》東京・静嘉堂文庫美術館 以前に運慶作との説があったが、ファイバースコープで調べると、書かれた制作年が見え、それが運慶没後5年に相当するということで、運慶仏説は消滅した。 #
by cardiacsurgery
| 2017-09-29 10:14
| 仏像
前報では運慶作の可能性が高い出品作22体について述べたが、今回は、仏像以外の経巻・銘札・文書・納入品を中心に述べたい。
第1章 運慶を生んだ系譜‐康慶から運慶へ ●国宝《運慶願経(法華経巻第八)》寿永2年(1183) 第2章 運慶の彫刻‐その独創性 ●国宝《五輪塔形銘札》文治2年(1186)静岡・願成就院 しかし、この10年後の承元3年(1209)に冷泉局は、如意が契約に違背したとの理由で香庄を取り返し、新たに迎えた養子の僧尊浄に譲渡してしまう。本文書に墨線が三線横にひかれているのは、運慶の裏書が無効になったことを示している。 このように歴史上の舞台で繰り広げられた人間模様や時代背景などがこうした文書に如実に現われている。仏師・運慶の異なる側面がうかがえるこの資料は、ながく後世に伝えなくてはならない貴重な文化遺産である。 ●国宝《宝篋印陀羅尼経(金剛力士納入品)》建仁3年(1203) 第3章 運慶風の展開‐運慶の息子と周辺の仏師 ●十二神将立像(亥神)ファイバースコープ調査 鎌倉時代の仏師、運慶の作品ではないかと仏像ファンらの間で話題になっていた国の重要文化財「木造十二神将立像」(全12体、13世紀)の1体(戌神)から、運慶の没後5年後に当たる安貞2(1228)年とみられる墨書きの文字が見つかり、運慶作品と確定できなかったことが分かった。 転機は平成24年。12体のうちいずれかの像の内部に「上坊別当執筆、大仏師運慶」との銘文があったことを報じる明治35年の新聞記事を発見したとの論文が神谷祐太法政大学客員研究員によって発表された。 以来、専門家や仏像ファンの間で、運慶本人の作品かもしれないと話題になっていた。そうした中、静嘉堂文庫美術館は平成25年度から順次、所蔵する7体の損傷の修理に着手し、銘文の手がかりがないか、像内部の空洞にファイバースコープを入れて撮影するなどの調査を行った。 このうち28年度に修理・調査した「亥神像」の内部画像を合成、解析した結果、像内の頭部に「あんてい二ね八月」「あんてい二ね九月十七口(日)」と判読できる墨書が確認された。安貞2年(1228)は、運慶の没年である貞応2年(1223)から5年も経っているのでこの亥神像は運慶が制作したものではありえないのである。 墨書が制作年を示しているかなどの確実な情報がなく、運慶の関与も依然として判明しないが、論文を発表した神野祐太氏(現神奈川県立歴史博物館学芸員)は、「制作年代の特定に近づく資料の一つで、彫刻史的に意義がある発見」と評価している。 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-09-28 10:34
| 仏像
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