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鳥取県境港イカ使用「境港イカスミカリー」中辛 1人前200g
【原材料名】 【評価】美味さ=A、甘さ辛さ=B、具入り=A 【参考】レトルトカレー味くらべ 【参考】レトルトカレー食塩相当量比較 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2018-12-06 11:52
| アート一般
中野の都こんぶ入カレー 中辛 一人前 200g
昔ながらお馴染みの都こんぶを炊き込んだカレーができた。程よい都こんぶの風味ととろみが絶妙な美味しいカレーです。 【都こんぶヒストリ―】 【評価】美味さ=B、甘さ辛さ=C、具入り=B 【参考】レトルトカレー味くらべ 【参考】レトルトカレー食塩相当量比較 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2018-12-05 11:36
| アート一般
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by cardiacsurgery
| 2018-12-03 10:55
| アート一般
「ムンク 自我の叫び」
東京都美術館で開催されているムンク展。売りのひとつがムンクの自画像。そこには死の恐怖におびえ、精神をわずらい、そして女性とのいさかいも絶えなかったムンクの人生を投影するような表情が伺える。また有名な「叫び」は描かれた人物が叫んでいるのではなかった。 それでは何の叫びなのか?さらに同じ背景で、ある有名な哲学者の肖像もムンクは描いていた。それは誰なのか? 写真家の藤原新也がムンクの心情を読み解く。 【ゲスト】作家・写真家 藤原新也 【司会】小野正嗣 高橋美鈴 ・《叫び》1910年? テンペラ・油彩 厚紙 オスロ市立ムンク美術館蔵 手で両耳をふさぎ、口を大きく開いて立ち尽くす人物と、フィヨルドの果てに広がる鮮烈な日没。人間が内面に抱える不安や孤独などの感情が周囲の自然と共鳴しているかのよう。 鮮烈なフォルムと色彩によって人間の感情を生々しく描き出したムンクの絵画は、20世紀における表現主義の潮流の先駆けとなった。 ・《月明かり、浜辺の接吻》1914年 油彩・カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵 ・《森の吸血鬼》1916-18年 油彩・カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵 抱き合う男女は一つのかたまりのように表わされ、愛の曖昧さ、複雑さが象徴的に表現されている。 「吸血鬼」をはじめとするムンクの絵画には、いくつものバリエーションが存在している。記憶を反芻し、作品を世間に広めるために、また「子供たち」と呼んで慈しんだ作品を手元に残しておくために、ムンクは技法や構図、色彩を変えながら、同じ主題の絵画を繰り返し制作した。 ・《星月夜》1916-18年 油彩・カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵 この冬景色は、家の玄関先からの眺めを描いたもの。澄みきった夜空と、星あかりを受けて輝く柔らかな積雪。 丘の向こうには、煌々たる都会の灯りが帯となっている。 手前に描かれた横顔の影は、ムンク自身かもしれない。 ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの戯曲をイメージして描かれた作品とも言われている。 60代を迎え、各地で個展が開かれるなど、ムンクの画業は国内外での評価を高めていった。 ・《自画像》1882年 油彩・紙 ムンク19歳の自画像 オスロ市立ムンク美術館蔵 画面左下にムンク自身が描かれている。 赤、白、青、黒の色彩によって画面に緊張感が漂う。2人の女性が対照的に描かれ、右奥の暗い林に、もう一人の痕跡が残る。前景の2人は生涯の異なる段階、または性格を象徴している。画家がパリやベルリンの間を行き来していたころの作品。 この自画像を描いたのは40代半ば。神経衰弱に苦しんで入院生活を送ったのち、長きにわたるヨーロッパ各地での放浪生活に終止符を打って帰国したころだった。画家を志した若き日からここまで、長い曲折の日々があった。 諸国放浪の末にノルウェーに戻ったムンクは、祖国の自然と人々の暮らしに目を向けた。この絵では、雪を蹴り上げて接近してくる馬や、飛びのく人の瞬間的な動きを生き生きと捉えている。写真や映像といった新技術の影響を受けた可能性をうかわせる。 家族の死という実体験に根ざす《病める子》は、彼の芸術におけるひとつの突破口となり、その後に生み出す数多くの絵画の起源となった。 ・《病める子》1896年 油彩 オスロ国立美術館蔵 ・《夏の夜、人魚》1893年 油彩、カンヴァス オスロ市立ムンク美術館蔵 ムンクの作品には、ノルウェーの短い夏の白夜と森、そして月光の柱が輝く海の光景が、原風景のように繰り返し登場する。 《夏の夜、人魚》では、静かに寄せる波や湾曲した海岸線、海辺の丸石などの自然の風景が、物思いに耽る人物の孤独な感情と呼応するかのように描き出されている。 ・《フリードリヒ・ニーチェ》1906年 油彩、テンペラ オスロ市立ムンク美術館蔵 作品では、松など常緑針葉樹が生い茂る森林が描いている。クラーゲリョー(ノルウェー・テレマルク)の景観であるといわれる。ムンクは、鮮やかな黄色の丸太、紫色の木の幹を通して、「生」「死」を対比表現している。キャンバスの中央には、黄色の丸太がある。丸太の樹皮には、褐色の縦縞模様が描かれている。キャンバス前方の樹木は先端と根本は断ち切られ、幹のみが描かれることによって、奥行が生まれている。前方にある樹木の描写により、丸太の両側にある木々は後方にあるように見え、四方に無限に広がる森林が表現されている。合わせて、遠近法により丸太は強調されて長く見え、先端は天に向かうかのように後方にある背の高い樹木の根本まで伸びている。 本作品は、アールヌーボーの影響を受けて描かれている。アールヌーボーは流動的な曲線が特徴的な芸術様式であり、19世紀末から20世紀初めに掛けて、フランスを中心としたヨーロッパにて流行した。ムンクはアールヌーボー様式にて複数の森林風景画を制作しているが、他の作品と比較すると、「黄色の丸太」は自然主義表現が強い作品である。合わせて、情緒的な色遣い、強調された対象の描写は、表現主義表現の特徴も兼ね合わせている。 ・《自画像》1895年 リトグラフ オスロ市立ムンク美術館蔵 写真から制作された油彩画。 ・《マドンナ》1895-1902年 オスロ市立ムンク美術館蔵 「参考」トゥラ・ラーセンとムンク(↓) ムンクは精神不安定な状態に陥り、アルコール依存となった。 そのため、1908年から1909年に掛けて精神病院にて療養生活を送っていた。作品では、1902年に起きた発砲事件が描かれている。 作品名は、フランス革命において殺害されたジャン・ポール・マラーに基づく。マラーは、シャルロット・コルデーによって暗殺された。裸体のトゥラは殺人行為を成し遂げ、正面を見据えて直立不動の姿勢をとっている。 トゥラの後方では、裸体のムンクはベッドに横たわり、怪我を負った腕から血が滴り落ちている。ムンクの死は、マラーの死を代替している。 また作品全体は白色にて塗られ、その上から細長いい縦縞・横縞模様が描かれている。縞模様は緑色、青色、茶色など多彩な色であり、隙間からは白色が見える。 ムンクは、縞模様の描写にて、自身の不安定な精神状態を表現している。特に、1907年に制作された作品は、ムンクの心情を反映するように縞模様が描かれている。この頃、ムンクは妄想、不安、対人恐怖症、アルコール依存症などによって精神状態は限界に達していた。 ・《「マラーの死」の前の「セルフポートレート」》1930年 写真 オスロ市立ムンク美術館蔵 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2018-12-02 16:28
| 国外アート
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by cardiacsurgery
| 2018-11-29 08:49
| アート一般
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