|
最新のコメント
最新のトラックバック
カテゴリ
全体
国外アート ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 現代アート(国内) 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 戦争画 アート一般 浮世絵 東洋アート 講演会 仏像 書籍 音楽 映画 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 以前の記事
お気に入りブログ
外部リンク
ファン
|
著者の多田茂治氏から、「松本英一郎画伯の評伝」が恵送されてきたので、早速読んでみた。
本の紹介の前に、多田氏と筆者との不思議な出会いについて、いささか触れておきたい。 このことについては、以前のブログ記事「没後30年 高島野十郎展」の一部を引用するのが早道である。 会場入口のミュージアム・ショップのカタログの横に、「野十郎の炎」という本が積んであったので、ちょっと覗いてみた。そしてカタログのほうに戻っていると、一人の老紳士が先ほどの本を買っておられた。不思議なことにこの方は「これは自分が書いた本なんですがね」といわれる。ショップの係りも驚いて「よろしいんですか?」と聞きながらレシートを渡している。このことがご縁になって、その後、いくつかのブログ記事を書いている。①高島野十郎のシュールな世界、②青柳喜兵衛‐玉葱の画家、③母への遺書―沖縄特攻 林市造、④「野十郎の炎」増補新版。したがって今回の記事は最初の出会いの記事を含めると6本目ということになる。 さて、今回の本のことである。これを読まれる美術ブロガーの面々にお伺いしたい。「松本英一郎の画を見たことがありますか?」 正直言って、私としては初めて聞いた名前の画家である。 そこで松本英一郎の略歴から始めることとする。 ・1932年: 久留米市で出生 ・1945年: 福岡県立中学明善校(学制改革で明善高校)入学、美術部所属 ・1953年: 2年間浪人後、東京芸大油絵科に入学。指導教官は林武 ・1957年: 東京芸大卒業、3年連続で独立賞受賞 ・1961年: 都立駒場高校美術教諭、結婚 ・1968年: 多摩美大講師 ・1972年: 多摩美大助教授 ・1978年: 肥大型心筋症発症 ・1983年: 多摩美大教授 ・1993年: 脳梗塞 ・1999年: 左片麻痺 ・2001年: 永眠、享年68歳 本書は、7章で構成されているが、著者の多田氏が高島野十郎や松本英一郎と同じ「久留米・明善校」の出身なので、そううちの2章は久留米出身の洋画家のことや明善高校美術部といった背景の説明にかなりの紙数が割かれている。 「筑後・明善校」出身の洋画家は多士済々で、青木繁・坂本繁二郎・古賀春江・高島野十郎・松本英一郎・清田英作などの名前をあげられるが、いずれも筑後平野の保守性と泥臭さを有しており、「じゅうげもん」(へそ曲りの頑固者)である。この点は、海に近い「筑前・修猷館」出身の吉田博・和田三造・児島善三郎・中村研一・中村琢二らの開放的な明るさとは対照的である。 松本英一郎の画歴をみると、初期には抽象表現主義絵画《二尺の誤差を持つ進行》などを描いていたが、1965‐70年には高度成長期の幔幕をテーマにした「平均的肥満シリーズ」、1971年からは15年間の長期にわたって独自の「退屈な風景シリーズ」を描き続け、1978年の心臓検査の際に、造影剤で全身が熱くなり、ピンク色の世界を体験し、さらに病室の窓から満開のサクラを見たことをきっかけに「さくら・うしシリーズ」をさらに15年間描き続けた。 ![]() 英一郎はコンスタブルの《オールド・セーラム》、フェルメールの《デルフトの眺望》、ヤコブ・ロイスダールの《ハールレムの遠望》といった空を強調した風景画が好きだったらしい。英一郎の「退屈な風景画シリーズ」にもこれらの先人が好んだコバルト色の空のある風景が描きつづけられている。 評伝の著者多田氏は、松本英一郎の「地球が壊れていく時代には、変わりない平明な風景が意味を持つようになる」という文章を引用して、「高度経済成長期においてなされた自然破壊や原発推進といった愚行が、東日本大震災によって反省させられている現在において、英一郎の画は今日的な意味を持っている」というように断じておられるが、まことにもって同感である。 「さくら・うしシリーズ」について、私の個人的な感想を述べれば、これらの作品たちからは静かな音楽が聞こえてきそうな気がする。クレーの画を想起させるところがある。夫人が音大卒で、一緒に音楽会にも出かけておられたことと関係があるかもしれない。 思うに、英一郎は非常に幸せな人生を送ったのではあるまいか。「うり絵」は描かないという「じゅうげもん」精神を貫けたのも、大学教員としての安定した収入があり、家族の非常に強い支えに恵まれていたからである。その点では、野十郎の人生とは対極的だったというべきではないだろうか。 美術の大学教員は定年後も作品の収入があるという強みがあるが、英一郎の場合には「うり絵」を描くつもりはさらさらなかったのであるから、定年前に人生を終えたこともまんざら不幸だったとは言えないのかもしれない。 このように書いてはきたものの、松本英一郎の作品の実見していないことが気になってきた。よく出かけている東京都現代美術館や府中市美術館で松本英一郎の画に邂逅した際には、かならず本書を思い出すことになるであろう。 ご一読をお勧めする。出版社は弦書房、発行日は2012年2月25日である。 美術散歩 管理人 とら ©2012 reserved by TORA
第2章 韓国陶磁
韓国陶磁コレクションのうち12世紀(高麗時代)から19世紀(朝鮮時代)に至る作品65件と2件の日本陶磁。第1章の「中国陶磁」の記事はこちら。 1)青-高麗青磁 ・青磁陽刻牡丹蓮花文鶴首瓶 高麗時代 12世紀(76): ![]() ・青磁象嵌葦芦水禽文 陶板 高麗時代 12世紀(83): ![]() ・青磁象嵌雲鶴文碗 高麗時代 12世紀: ![]() ・青磁鉄地象嵌詩銘瓶 高麗時代 12世紀(94): ![]() 2)白-白磁 ・白磁瓜形水注・承盤 高麗時代 12世紀(110): ![]() ・白磁扁壺 朝鮮時代 16世紀(112): ![]() ・白磁壺 朝鮮時代 17-18世紀(115): ![]() 3)白をめざして-朝鮮粉青 朝鮮時代前期(15〜16世紀)を代表する粉青は、韓国で「粉粧灰青沙器」と名づけられたものの略称で、日本では「三島」(時に「三島」と「刷毛目」)と呼んでいる。 鉄分をふくむ灰青色の胎土で成形し、青磁釉に似た釉薬をかけて焼成する点は高麗青磁の伝統を引き継いでいるが、粉青では、釉下に白泥による化粧がけをほどこし、そこに象嵌・印花・掻落・線刻・鉄絵・刷毛目・粉引といったさまざまな手法で文様をあらわしているのが特徴である。16世紀末には白磁に吸収されていった。 ・粉青印花菊花文壺 朝鮮時代 15世紀(99): ![]() ・粉青鉄絵魚文深鉢 朝鮮時代 15-16世紀(105): ![]() ・粉青粉引瓶 朝鮮時代 16世紀(109): 「粉引」とは胎土を白土で覆った後に透明釉を掛けた焼成した白色陶器。変った形が日本で珍重されたとのこと。 4)黒-黒釉陶器 ・黒釉瓢形瓶 高麗時代 12世紀(95): ![]() 5)藍-朝鮮青花 白磁のバリエーションとして発達してきたものである。 ・青花草花文面取瓶 朝鮮時代 18世紀(130): ![]() ・青花辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀(133): ![]() ・鉄砂虎鷺文壺 朝鮮時代 17世紀(118): ![]() 6)紅-朝鮮辰砂 これも白磁のバリエーション。 ・辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀 (121): ![]() 美術散歩 管理人 とら ![]() 一方、今回の展覧会に同行した家内は自宅で茶道教室を開いており、茶陶を見る眼も肥えているらしい。私の好きな青磁は水指や花入れには使われるが、茶碗としては使われない。抹茶の緑と青磁の青緑が同系統色なので、折角のお茶の色合いが映えないためだとのことである。そのため、今回の家内の興味はもっぱら黒陶で、ベストは国宝《油滴天目茶碗》、セカンド・ベストは《木葉天目茶碗》である。家では朝鮮の三島茶碗も大切にしているのに、なぜか朝鮮の粉青には興味を示さなかった。 今回の展覧会は大阪市東洋陶磁美術館の出張展。この美術館は2012年に開館30周年を迎えるが、これに伴い2011年12月26日-2012年4月6日の間、空調・照明等の設備工事のため休館しているため、今回の展覧会が実現した。 東洋陶磁美術館の全収蔵品は約4,000件に達するとのことだが、 今回は国宝2件、重要文化財13件のすべてを含む約140件が展示されていた。 私も家内もこの美術館に出かけており、有名な作品にはすでにお目にかかっているが、都内でゆっくりと再見できたのはまことに眼福であった。実際のところ、同じものも東京で見ると大分印象が違っていた。美術館の立地条件の違いのせいなのか、あるいは展示方法の差なのだろうか。 第1章 中国陶磁 国宝2件、重要文化財11件をはじめとする合計69件。今回の展示は、色彩別に緑・白・黒・藍・紅・彩というキーワードで並べてあった。 1)緑-緑釉陶器と三彩 ・緑釉楼閣 後漢時代 2-3世紀(1): ![]() ・三彩貼花宝相華文壺 唐時代 7-8世紀(3): 六弁の大きな宝相華のメダイヨン(貼花)が付いた唐三彩。素地に白い化粧土を掛け、緑釉と褐釉を蝋抜き技法を使いつつ流している。そういえば、2004年に、赤坂見附時代のサントリー美術館で唐三彩の展覧会がありましたね(記事はこちら) ・三彩壺 奈良時代 8世紀(6): 奈良三彩。緑釉・白釉・黄釉の彩色ながら、すっかり風化してしまっている。銀化して一種の風合も出ているが、残念。重文に指定されているのだから、科学的調査に基づいて、復元してもらいたいものだ。 2)青-青磁 ・青磁六耳壺 越窯 五代時代 10世紀(13): 越窯といえば「秘色青磁」という澄んだ緑灰青色を想像するが、この展示品↓は不透明で艶があまりない黄土色の日常生活器。貿易陶磁として日本に来たものだらしい。 ![]() ![]() ![]() ・青磁水仙盆 汝窯 北宋時代 11-12世紀(17): ![]() ・青磁八角瓶 官窯 南宋時代 12世紀(18): ![]() ・青磁鳳凰耳花生 龍泉窯 南宋時代 12世紀(19): ![]() (脱 線) このブログを書きかけで、NHKの大河ドラマを見た。若い清盛が博多の街を歩いていると、宋からの密貿易品が沢山並んでいる。その中に、なんとこの「青磁鳳凰耳花生」が並べられているではないか。もちろんこれは現代のコピー製品だろうが、砧青磁はまさにこうやって日本に渡来したのである。 ・飛青磁花生 龍泉窯 南宋時代 12世紀(21): ![]() 3)白-白磁 ・白磁刻花蓮花文洗 定窯 北宋時代 11世紀(26): ![]() ・白磁銹花牡丹唐草文瓶 定窯 北宋時代 11-12世紀(28): これは徳川美術館の「王者の華 牡丹展」でも見たお気に入り。白磁胎に薄く鉄泥を掛け、その鉄泥を掻き落として白地を見せる方法で文様を描いているのだそうだから、ウルトラCである。 4)黒-黒釉陶器 ・黒釉刻花牡丹文梅瓶 磁州窯 北宋時代 11-12世紀(31): 黒釉の上から掻き落とし、さらに白化粧・白釉も使った超ウルトラC。 ・木葉天目茶碗 吉州窯 12世紀(34): ![]() ・油滴天目茶碗 建窯 南宋時代 12-13世紀(35): ![]() 5)藍―青花 ・青花蓮池魚藻文壺 景徳鎮窯 元時代 14世紀(39): ![]() 【追 加】「答=オコゼくん」というコメントがあったので調べてみた。「オニオコゼ 市場魚貝類図鑑」のホームページの写真は似てますね。 ・青花花鳥文盤 景徳鎮窯 明時代 永楽(1403-1424) (42): 余白が十分にとられていて、モダンな感じがする、高台内の「大明成化年製」の立派な銘を見て、郷里にあった「成化年製」の下手な銘(記事はこちらを参照)を思い出して納得した。 6)紅-釉裏紅 ・釉裏紅牡丹文盤 景徳鎮窯 明時代 洪武(1368-1398)(49): ![]() 7)彩-五彩と金襴手 ・五彩牡丹文盤 (「大明萬暦年製」銘) 景徳鎮窯 明時代 万暦(1573-1620) (60): ![]() ・法花花鳥文壺 明時代 15世紀(52): ![]() ・三彩龍文大壺(「大明萬暦年製」銘)景徳鎮窯 明時代 万暦(1573-1620)(64) 第2章 韓国陶磁 長くなってきたので、第2章は別記事とする。 註: 青磁に関する記事 1.器物参観(常設展+企画展) @国立故宮博物院 2.特別展:絲路傳奇+常設展+企画展 @国立歴史博物館 in 台北 3.青磁 @東京国立博物館 東洋館 4.青磁の誕生 by 三笠景子研究員 @東京国立博物館 5.青磁 @東京国立博物館 東洋館 6.日本の”美術”の愛し方 @徳川美術館 7.伊藤郁太郎: 「中国宋代の青磁」雑考 メモ 8.「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」― 行けなかった展覧会 9.王者の華 牡丹 @徳川美術館 10.南宋の青磁 @根津美術館 11. 幻の名窯 南宋修内司官窯-杭州老虎洞窯址発掘成果展 @大阪市立東洋陶磁美術館 12. ミュージアムウィークス大阪2010 @大阪市立東洋陶磁美術館 13.北京故宮博物院200選‐その1 @東京国立博物館 美術散歩 管理人 とら
宮廷の首席画家たゴヤが1年がかりで描いた国王一家13人の集団肖像画。
![]() ![]() 王は愚鈍でお人好しに描かれているが、本人はこれで満足していたらしい。ふと、現在の防衛大臣を思い出した(失礼)。 いずれにせよ、容赦のないゴヤの描写である。 ![]() ![]() この画の左側には、将来、王に背く皇太子やスペインの長期にわたる戦争の原因を作ったその弟の姿がある。 さらに、人選が終わっていなかったために後ろ向きに描かれた「皇太子の未来の花嫁」もいる。 後ろには、カルロス4世の姉マリア・ホセファ。 背景には、ゴヤの自画像も描きこまれている。《ラス・メニーナス》のベラスケスをまねたのだろう。 この画の右側には、国王カルロス4世の弟アントニオ・パスクアル・デ・ボルボーン・イ・サホニアが小さく描かれ、その隣にはカルロータ・ホアキナ、国王と王妃の2番目の娘でポルトガル王ジョアン6世の王妃。 右端にいるのがマリア・ルイーザ。これは国王と王妃の成人した7人の子供たちのうちの3番目。抱いているのが息子カルロスで、後ろには背が高くブロンドの旦那パルマ公ドン・ルイス。 カルロス四世の時代のスペイン王室は、フランス革命の恐怖をを知り、その後、実際にナポレオンの侵略を受けるという歴史の渦中にあったのであるが、そのことについてはゴヤ展の記事に書いた。以下に当該の文章を引用しておく。 ・フランスのナポレオン・ボナパルト皇帝の野望によって、1804年、それまで平和だったスぺインは、突然戦争と混乱の惨禍に投げ込まれた。フランス軍侵攻後のクーデターによって、1808年に、カルロス4世は退位し、息子のフェルナンド7世が即位した。その後ナポレオンによって、この2人の王は収監され、ナポレオンの兄ジョセフ・ポナパルトが即位した。このフランス支配に対して市民の反乱が勃発し、独立戦争(半島戦争)に発展した。その後の数年間、スペインは戦争の恐怖とたたかわなければならなかった。ところで、この画の背景に掛けられている大きな画には何が描かれているのだろうか。今回の番組でこの点に触れられなかったのはまことに残念だった。自分で、画像をいじってみると、ぼんやりと複数の人物像が浮かび上がってくる↓。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
大分暖かくなってきたので、そろそろ「TV美術散歩記事」から卒業しようと思いつつも、良い番組があると、つい・・・。昨夜の番組では「バーゼル市民が守ったピカソとホルバイン」という副題に惚れてしまい、またもや書いてしまった。
Ⅰ.バーゼル市の歴史 バーゼルはアイルランドから移住したケルト民族によって作られた町であるが、4世紀にローマの支配下に入り、7世紀には司教都市となり、10世紀にはハンガリー騎馬民族に蹂躙された。しかし、15世紀にイタリアから紙の製造法が伝えられ、グーテンベルグの印刷機の発明後には、ルターの「95条の論題」やエラスムスの「改訂版新約聖書」がこの地で印刷され、16世紀には医学書も盛んに造られた。このような印刷出版業者が芸術の庇護者となっていった。 Ⅱ.バーゼル市立美術館 1671年に開設された欧州最古の公共美術館。バーゼルで印刷業などで財を成したアマーバッハ家(Amerbach)がコレクションした美術品をバーゼル市が購入し公開したものが基となっている。アマーバッハ家の後援を受けたハンス・ホルバインのコレクションをはじめ、西欧絵画のコレクションが充実している。HPはこちら。 Ⅲ.収蔵品の概観 メムリンク《懺悔する聖ヒエロニムス》: 背景に風景が描かれ始めた最初の頃の画。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 17世紀、ホルバインの画を収集していたアマーバッハ家の没落によって、ホルバインの作品は海外流出の危機にさらされた。これに対して、1661年、バーゼル大学が立ち上がり、大学が3分の2、市が3分の1を拠出して作品流出を防いだ。これを契機にバーゼル市立美術館が設立されたのであるが、これはルーヴル美術館ができる100年以上も前のことだから驚く。 ホルバイン《ボニファチウス・アマーバッハの肖像》: 有名なヨハン・アマーバッハの息子。 ![]() ![]() ホルバイン《窓の際にある2つの骸骨》: だまし画。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2人の兄弟: 1906年、バラ色の時代。フェルナンド・オリヴィエとの幸せな時代の作品。 ![]() ![]() このようにアマーバッハ家によってその基礎がつくられた芸術愛好の心はバーゼル市民によって引き継がれているのである。 美術散歩 管理人 とら
北のヴェネツィアと呼ばれるベルギーの古都ブルージュ。運河を有するこの街は、13世紀から地中海と北海をつなぐ交易で大いに繁栄し、芸術文化の花が開いた。しかし15世紀末、この街は突如、歴史の表舞台から消えてしまった。このためこの街には中世の面影が色濃く残っている。
ドイツ生まれのフランドル絵画の巨匠メムリンクは、この街で制作を続け、市民権をとっている。街の中のメムリンク工房跡、マルクト広場、市庁舎、エルサレム教会、レース・センター、聖母教会なども紹介されていたが、途中で寝てしまった。ここではしっかり起きていた2か所の美術館についての記事とする。 Ⅰ.グルーニング美術館 Groeningemuseum こちらは、15世紀フランドル美術の傑作を中心におさめた市立美術館。 まずは、ヤン・ファン・エイクの豪華な《ファン・デル・パーレの聖母子 The Madonna with Canon van der Paele》1436↓。 ![]() もう一点のヤン・ファン・エイク作品は奥さんの肖像画↓。この髪型は当時の流行のもの。額縁に33歳と書きこまれているとのことだが、結構老けて見える。冷酷なリアリズム絵画である。 ![]() ![]() ![]() ![]() メムリンクはドイツ出身の15世紀の画家だが、ブルージュ市民となり、神秘的で明るい宗教画を残した。 番組では、この美術館に所蔵されている6点のメムリンク作品のすべてが紹介された。 1.《聖ヨハネの祭壇画 St John Altarpiece》1474-79 ![]() ![]() 中央画では、聖カタリナに指輪をはめている幼子イエス。マリアのモデルはマリー・ド・ブルゴーニュだとの説がある。絨毯の質感が素晴らしい。メムリンク自身が描き込まれているとのこと。左翼には洗礼者聖ヨハネの首が、右翼には福音書記者聖ヨハネが描かれている。 2.《ヤン・フロレインスの三連画 Triptych of Jan Floreins》1479 ![]() 3.《若い女性の肖像 Portrait of a Young Woman》1480 ![]() 4.《アドリアーン・レインズの三連画 Triptych of Adriaan Reins》1480 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
またまた言い訳になるが、ここのところ多忙でブログを書く時間もなかった。今日になってやっと時間ができたので・・・。
NHK BSプレミアムの再放送「額縁をくぐって物語の中へ」に時々遭遇する。今週は「北斎と富士」のシリーズである。今日は、富嶽三十六景の《尾州不二見原》と《遠江山中》の物語。 A.《尾州不二見原》 Part 1: 有名な「桶屋の富士」 ![]() ・桶の下、向かって左寄りに描かれた棒を外すと、桶が動き出して職人が倒れそうになる(アニメ)。なるほど、この棒はストッパーだったのだ。 ・左に描かれた緑色の帯状のものは「箍(たが)」。すでに桶の外側に巻かれている。そういえば「箍が外れる」という言葉があったが、この漢字を読める平成人は少ないだろう。今や「桶」と「樽」の違い(こちらのコラム参照)さえ知らない人が多くなっているのだから無理もない。 ・「セン」というものが描かれている。木を削る刃物である。漢字では「銑」と書くらしいが、これは知らなくて当然だろう。番組でもこの漢字は出てこなかった。アニメではナビゲータがこの「セン」を振り回していた。〇〇〇に刃物とは言わないが・・・。安養寺屋さんのHPで借用した画像は↓。 ![]() ・「この画には鉋屑がないのはどうして?」という質問が追い打ちをかけてくる。ここでおもむろに次の版画が登場する。 B.《遠江山中》: ![]() ・「子供をおぶった母親の向こうでこちらに背を向けて坐っているこの子の兄さんは何をしているの?」 (答)たき火で木屑を燃やしている。そうです《尾州不二見原》の鉋屑もこうやって焚いて、きれいにしたのですね。 ・アニメでは、手前中央でお弁当を広げだしたが、もちろんこれは空想の世界。 ・富士山がA字形に組まれた支え棒の間に描かれている。この支え棒は鳥居の見立で、富嶽信仰を表しているとの説明。信ずる者は救われん! A.《尾州不二見原》 Part 2: 富士山と桶との関係 ・名古屋あたりのこの地は桶造りでとくに有名だったというわけではない。 ・ここは富嶽三十六景の中では一番富士山から離れた場所で、富士山は晴れた日でなければ見えないし、見えてもその姿は小さい。 ・この画には朝焼けが描かれている。太陽が昇る寸前の景色である。「丸い桶は太陽を象徴していると考えるのは深読みだろうか」という大胆な仮説まで登場した。 ・いずれにせよ、この画は北斎のフィクションらしい。1812年、北斎53歳の時に関西旅行した際に名古屋の門人牧墨僊の家に逗留しており、「北斎漫画」も1814年に名古屋の永楽屋からその初編が刊行された。「この画はそういった北斎の個人的な思い出に関連しているのだろう」というのがこの放送の〆であった。 なかなか面白かった。 美術散歩 管理人 とら 【参考】 今までの「額縁」の記事 ・2011.6.24 ドニ《セザンヌ礼賛》 ・2011.6.25 スーラ《ポーズする女たち》 ・2011.6.26 ヨハン・ゾファニー《ウフィツィ美術館のトリブーナ》
今年はチョット寒すぎる。こうなると「美術散歩」変じて「美術番組鑑賞」となる。BUNKAMURAの「フェルメールからのラブレター展」は行ってきたが(記事はこちら)、銀座でのフェルメール原寸大デジタル画像展への自分の足がフリーズしている。
というわけで、昨晩の「美の巨人たち」のメモ。 ![]() フェルメールはオランダ黄金期を代表する巨匠だが、資料が少なく、自画像もない。また、現存する作品も30数枚だけ。 ここで「フェルメール愛好会」の副会長と名乗る若者が登場。さらに、「芸術家・写真家・デザイナー・センター銀座」には作品37点の原寸大画像が展示されているというPR。 フェルメールの手紙をモチーフとした作品は多く、6点もある。「フェルメール愛好会副会長」に対する第1の質問: 手紙をモチーフとした作品が多いのはなぜか? フェルメールは、1632年、デルフトで生まれ、亡くなるまで同じ街で過ごし、風俗画を描いた。その日常の中で新たに見つけたモチーフが手紙だった。 17世紀、オランダは7つの海を制覇。世界的な金融、商業の中心地として発展した。その中で近代的な郵便制度が生まれた。手紙の文例集(季節の挨拶文・支払い猶予願い・交際相手への断り文・結婚相手を決めるときの文など)まで販売されていた。ここで《手紙を書く女》のまっすぐな視線、《手紙を書く女と召使い》の封蝋と投げ捨てた手紙と今回の《手紙を読む青衣の女》が相手からの手紙を引き寄せて熱心に読みふける姿が紹介された。 フェルメール愛好会副会長に対する第2の質問:女性が読んでいる手紙の内容は? フェルメールは、画の中にそのヒントをちりばめている。ブランカート博士は、①背景の17世紀北オランダ地図に注目し、愛する人が遠くにいることを表している。②椅子が2脚あり、1脚が閉じられていることから、愛しい人の不在を表していると解説した。 机の上の首飾りはお出かけの準備中だったととを表しているが、女性はそれをそっちのけにして、手紙に読みふけっている。その内容は「嬉しい知らせ」なのだろう。 第3の質問:この女性の服の鮮やかな青の意味は? 女性が着ている服の青は「ラピスラズリ」を原料とした顔料ウルトラマリン・ブルーで、金と同じくらい高価なもの。国立アムステルダム美術館長のローキン氏は「フェルメールには貿易で富を得た顧客がいて、高価なブルーもふんだんに使えた」と話していた。 実際に、手紙をテーマとした6枚の画のうちラピスラズリが使われているのはこの《手紙を読む青衣の女》1枚だけである。フェルメールはこの女性にある人物を重ねあわせていた。 この女性に、目を奪われたのはゴッホだった。ゴッホはこの女性について「とても美しい身重のオランダ婦人」と書き残している。 ローキン氏は、この女性はフェルメールの妻カタリーナとも考えられていると話す。彼女は14人もの子供を身ごもっていた。すなわち、大概妊娠していたともいえる。 フェルメールが妻を青で包んだのは、ラピスラズリが古代より幸福をもたらすといわれていた。フェルメールは我が子を宿した妻、やがて生まれてくる我が子の幸福を願っていた。この静かな画には、愛する家族への想いと祈りが込められている。 そうなるとこの画の高価なラピスラズリのスポンサーあるいは最初の所有者は誰だったのだろうか。今回の放送のように、家族のための画だったとすれば、フェルメールは自分の妻に贈っていたとしてもおかしくないのだが、どうもそういう証拠はないようだ。 BUNKAMURAの展覧会図録には、この画は1663-64年頃に描かれたものであるが、1712年のアムステルダムのPieter van der Lip sale に出ていたらしいということが記載されているのみで、家族が所蔵していたという示唆はない。 一方、「フェルメール展ー光の天才とデルフトの巨匠たち」展のカタログに載っているピ-ター・サットン氏の論説「フェルメールとデルフト・スタイル」を参照すると、《手紙を書く女と召使》の場合には、画家没年の翌年の1676年に画家の寡婦カタリーナが所蔵していたが、パン屋のヘンドリック・ファン・バイテンに600ギルダーという莫大なパン代の借金にあてるために、引き渡されたという。 さらに、この論説では「《絵画芸術》はカタリーナが死にもの狂いで債権者から守ろうとしたが、無駄だった」と書いているが、《手紙を読む青衣の女》の行方については記載がない。 そうなると《手紙を読む青衣の女》は、ローキン氏のいう「貿易で富を得た顧客」の手に渡っていたのではないかという気がしてくる。 もちろんこれによってモデルが妻であるという仮説が否定されるものではないが、この画については、まだまだ研究すべき余地があると思われる。 美術散歩 管理人 とら ![]() ここのコレクションの「印象派とエコール・ド・パリ展」は、以前に見て、感心したことがあるが(記事はこちら)、今回の展覧会はそれに負けず劣らず素晴らしかった。 以下、お気に入りを列挙する。 ![]() ・横山大観の代表作の一つ《菊慈童》(↑左)、迫力のある《龍光萬載》。 「官展の三美人画家」 ・上村松園の絶品《青眉》(↑上中)、髪が櫛が描きこまれている《美人書見》、珍しい《母》、足立美術館に類似作のある《深雪の図》。 ・鏑木清方の仇っぽい《肌寒》。 ・伊東深水の《長夜》の雪洞にとまるキリギリス。 「院展の三羽烏」 ・安田靫彦の筆を持つ上品な《行成卿》・弟橘比売命の死を悼む日本武尊を描いた《吾妻はや》。 ・小林古径のやわらかい《羅浮仙》。 ・前田青邨の《鵜飼》、《紅白梅》、大倉集古館にも類画のある《洞窟の頼朝》(上左)。 ![]() ![]() ・東山魁夷(官展)の《白暮》、《山峡雪》、《宵桜》(↑↑↑チラシ表)。 ・杉山 寧(官展)の色彩豊かな《還》、《麗》(↑↑下左)。 ・髙山辰雄(官展)の《緑の朝》(↑上左)、《白い道》。 ・加山又造(創画会)の絶品《白鷺》(↑下)、類画をみたことのある《微風》(↑上中)、迫力のある《若い猫》、モダンな金銀の近代琳派《月光山嶺》(今回のマイベスト↓)。 ![]() 「その他の院展画家」 ・速水御舟《水郷潮来》の微妙な光の表現(今回のマイ・セカンドベスト↓)。《双鳩》も出ていた。 ![]() ・片岡球子の《西湖の富士》(↑↑下中)。 ・奥村土牛の《不二》。 「その他の官展画家」 ・奥村元宋の《妙義湖秋燿》。 この展覧会は、明日2月6日(月)で終了。新潟展は終了しているので、このコレクションは寄託先の天童美術館以外では当分見られそうもない。日本画愛好者はお急ぎあれ! 美術散歩 管理人 とら
北陸の田舎の蔵を整理していたところ、古い木箱の中に収められた、それぞれ5客揃いの3種類の皿が出てきた。箱は立派な漆塗で、3段に仕切られていている。
皿の表面写真は↓。 ![]() 底をみると、↓。 ![]() ![]() ![]() いつの時代に入手したものか不明であるが、少なくとも明治生まれの祖父や父の時代以前のもののようである。よく見ると実際に使われていた跡が残っている。決して立派な美術品とはいえないかもしれないが、雪深い北陸の地で長年にわたって、大切に使われてきたものであることには間違いがない。 これらの古伊万里らしき皿を見ながら、豪雪の故郷を想った。 美術散歩 管理人 とら < 前のページ次のページ >
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||