|
最新のコメント
最新のトラックバック
カテゴリ
全体
国外アート ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 現代アート(国内) 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 戦争画 アート一般 浮世絵 東洋アート 講演会 仏像 書籍 音楽 映画 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 以前の記事
お気に入りブログ
外部リンク
ファン
|
本館1階14室に東博選り抜きの青磁が並んでいる。素晴らしいパンフレット↓は本館受付で頂けるし、HPからpdfで見ることもできる。
![]() 部屋に入ってすぐに、国宝《青磁下蕪瓶》-南宋時代ーが鎮座ましましている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら 【同日記事へのリンク】 1) 東洋の青磁 2) 平治物語絵巻 六波羅行幸巻 3) 仏画鑑賞 4) 絵巻鑑賞 5) 屏風・掛軸鑑賞 6) 浮世絵鑑賞 7) ボストン美術館 日本美術の至宝(再訪)
「日中国交正常化40周年記念」という副題で、昨年5月に東京を皮切りに全国各地で開かれる予定の展覧会だったのだが、東日本大震災の影響で東京での開催は 2012年にずれ込んでしまったのである。
![]() 内容的には、東博展は故宮の皇帝展であったが、今回の富士美展は故宮の后妃展である。自分の頭から離れない浅田次郎の「蒼穹の昴」が、再びよみがえってきた。 ![]() 展示内容はこちらに詳細に掲載されているので、この記事では、この展覧会で見た多数の清の后妃たちに視線を向けた各論的な文章にしてみたい。 1.后妃章 @《女孝経図》 海外初公開の国家一級文物である《女孝経図》は、儒教思想に基づく女性の徳と教育をテーマに九つの場面を描いた、南宋時代の名画。その一つの《后妃章》↓は「后妃が実践する孝は天下の模範であること」について記したもの、また《三才章》↓↓は「一家の尊敬と礼儀」について述べたものである。こういった発想は、現代の男女機会均等社会の常識からはひどくかけ離れたものであるが、徳川幕府の「大奥」でも同様な規範で女性が律せられていたのである。 ![]() ![]() ![]() 3.考儀純皇后(魏佳氏) 乾隆帝の第15皇子、後の嘉慶帝の子供時代とその母親・魏佳氏↓。肖像部分はカスティリオーネが描いている。 ![]() ![]() 《乾隆帝及妃威弧獲鹿図》すなわち「乾隆帝の鹿狩り図」(部分)↓で、帝に矢をわたしている妃は、髪型や顔の特徴からみて西域から嫁いできた容妃、すなわちで香妃である可能性が強いとのこと。↓↓は台北にある香妃の像の部分。こちらも勇ましい軍装である。 ![]() ![]() 元来は満州族の出自である清朝の皇帝も、初代・順治帝の母は蒙古族の孝荘文皇后、二代・康熙帝の生母は漢族の孝康章皇后というように満州族・蒙古族・漢族の血が混ざってきていたが、五代・乾隆帝は、さらにチベット仏教を信奉し、西域との関係を深め、回教も容認していた。容妃を大切にしたことについても、このような乾隆帝の考え方が基盤にあったのだろう。容妃が乾隆帝の子供を産まなかったことは、まことに残念なことであった。 5.孝貞顕皇后(東太后慈安) ![]() 6.孝欽顕皇后(西太后慈禧) 満州族出身の西太后は、病弱の夫「咸豊帝」を意のままに操り、人望の厚い 孝貞顕皇后(東太后慈安)や咸豊帝の弟の恭親王奕訢を抱き込んでいた。夫の死後、6歳のわが子を帝位につけ、垂簾政治の実権を握った。 西太后の思惑が外れたのは、成人した同治帝が皇后に選んだのは、東太后が推した女性だったことである。同治帝の急死後、西太后の復讐を恐れたこの孝哲毅皇后(嘉順皇后)は、断食により、胎児とともに衰弱死したとのことである。 同治帝死後の皇帝選びの際には、同治の妹の子を強引に押して、第九代・光緒帝を誕生させた。 やがて、東太后の急死事件が起こる。公式発表は病死であったが、西太后が関わったとする毒殺説もある。また、清仏戦争敗北の責任を恭親王に被せて失脚させた。このように、東太后の死去と恭親王の失脚によって、西太后は清朝において絶対的な地位を確立した。 光緒帝の成年に伴い、3年間の「訓政」という形で政治の後見を行う事を条件に、光緒帝の親政が始まる。 光緒帝の皇后には、自分の姪を強引に押し付けた。これが「孝定景皇后」である。ちなみに、彼女は光緒帝から敬遠され、西太后の影のような立場だったが、6歳の宣統帝溥儀の退位の詔勅を自分の名前で公布し、封建制へのピリオドを打つという歴史的な役割を果たした。 光緒帝の即位以降、西太后は宮廷内政治に手腕を発揮する一方、表の政治においては洋務派官僚を登用した。しかし洋務運動は日清戦争により挫折し、体制的な改革を主張する変法運動がまきおこった。光緒帝は変法派を登用して、体制の抜本改革を宣言した。袁世凱が変法派の西太后幽閉計画を密告したことにより、西太后はこれに先んじてクーデターを仕掛け、変法派の主要メンバーを処刑し、さらに光緒帝を幽閉した。 ![]() 1900年に、義和団の乱が発生。清朝内には義和団を支持し、この機会に一気に諸外国の干渉を排除しようとする主戦派と、義和団を暴徒と見做し、外国との衝突を避ける為討伐すべきという和平派が激しく対立した。当初義和団を優勢と見た西太后は主戦派の意見に賛同し、諸外国に対して「宣戦布告」した。しかし、八ヶ国連合軍が北京へ迫ると、西太后は光緒帝を伴い北京を脱出、西安まで落ち延びた。 この際、同行を拒否した光緒帝の側室珍妃を紫禁城内の井戸へ投げ捨てるよう命じた。この珍妃の印鑑↓が今回展示されていた。またこの井戸は現在も紫禁城内にあり、その写真も出ていた。 ![]() 最後に、西太后の毒気の口直しとして、明代の国家一級文物のお気に入りを一点。仇英の娘、仇珠の《女楽図》↓(拡大↓↓)である。ハープのような楽器(箜篌-クゴ)の弦が一本一本正確に描かれていることを双眼鏡で確認した。少女が持っているのは打楽器の拍板(パイバン)らしい。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
東洋文庫は長年、専門家だけの聖地であった。この文庫のことは、高校時代、漢文の清田清先生から聞いていて、一度は訪ねてみたいと思っていた。ところが、どういう風の吹き回しか、2011年11月に東洋文庫ミュージアムが一般公開されることになった。寒い時期の開館記念展はパスして、暖かくなってきた今日、この東洋文庫ミュージアムを覗いてみた。
![]() ミュージアムの入口ではA4のカラー地図をもらう。これはなかなかの出来である。チケットをもらえなかったので、聞いてみると、入場券のレシートで代用しているとのこと。小中学生は美術館のチケットを大切にしているので、淋しがるだろう。チケットの通し番号をモギッテおくのは、納税のためと聞いていたのだが、最近は問題がなくなったのだろうか。 閑話休題、「オリエントホール」に入る。ここにはアジアの海賊関係の書籍が並んでいる。展示品のリストは受付ではいただけなかったが、HPに載っているので帰ってきて参照した。 チラシには海賊という字が大きく書かれているので、さぞ沢山の展示品があるかと期待していたのだが、それほどでもなかった。このホールで「東の海の海賊たち」に直接関連しているものは、以下の7点ぐらい。 《東の海の海賊たち》、《マラヤの海賊》、《東インド諸島での海賊行為》、《中国の海賊に捕われたフランス女性》、《トンキンの海賊に捕われて》、《南中国沿岸の海賊たち》、《中国海賊と過ごした日々》↓(この写真は女性海賊。著者は一緒に過ごしたとのことだが、ひょっとするとヤラセかも・・・) ![]() ネットで探してみたら、「俺たちゃ海賊」というサイトを発見した。タイトルはユニークだが、中身はひどく濃いようだ。 並んで出ていた↓のユルキャラにま思わず笑ってしまった。これは中国・夏王朝の伯益の「山海経」(せんがいきょう)に出てくる伝説上の人物「形天」。 この絵には「形天 無首 操干戚 而 舞、以乳目為 以臍為口」という文が付いている。ネットで調べると、「形天は帝と争った。帝はその首を切り、彼を常羊の山に葬った。すると乳が眼となり、臍が口となって、干戚(盾と斧)を操って舞った」との説明がついていた。 ![]() 自分で20ケぐらいの画像を選ぶと、ソフトでそれを並べ、国立情報研究所のサーバーにアップロードされ、それを受付でダウンロードしてオリジナル絵葉書としてプリントアウトしてくれる仕掛けらしい。 私「とら」の作品《No 1》は、↓である。右下には日付けと作者「とら」の名前も印刷されていたが、読みにくいので、私が画像処理で左下に付け加えたように、もう少し大きな文字にし、タイトルも入れた方が良いと思う。 ![]() ![]() ![]() ![]() 《中国海賊の歴史》、《香港の海賊》、《海賊艦隊撃破》↓、 ![]() ![]() 教育的なパネルがいくつもあったが、その中では「おてんばコルネリア」が面白かった。「おてんば」の語源はオランダ語(ontembaar)。この言葉は、長崎のオランダ人が、日本人女性の御しがたい性格を表したものらしい。 コルネリアは、平戸のオランダ商館長を父に、日本人を母に生れ、幼くしてバタヴィア(現、ジャカルタ)へ追われた混血娘。17世紀最強の商業国オランダのアジア植民地社会における隷属的な地位にあらがった「おてんば」女性である。 平戸の松浦史料博物館(記事はこちらとこちら)のことを思い出すとともに、「長崎物語」の唄がよみがえってきた。 ♪♪ 赤い花なら曼珠沙華、阿蘭陀屋敷に雨が降る。なぜに泣いてるジャガタラお春、未練な出船の、ああ鐘が鳴る、ララ鐘が鳴る ♪♪ 孫を連れてきたら、この唄を歌わなければならない。 ちなみに、「ジャガタラお春」とは、鎖国によってジャガタラ(ジャカルタ)へ追放された長崎生まれの混血女性。父はイタリア人航海士ニコラス・マリン母は日本人のマリア(洗礼名)。 このセクションには次のようなものも出ていた。 《アジア図》↓。東インド会社のブラウの作。地図両端には民族衣装に包まれたアジア人、上部には東インド会社が進出した主要都市が描かれている。ただし地図上、まだ北海道は存在していない。 ![]() ![]() ![]() ![]() デジタルブックの《リンスホーテン航海記》と《シーボルトNIPPON》は拡大表示だけで面白くない。 次は「回顧の道」。廊下が「クレバスエフェクト」のあるガラスで、落ちそうな感じがするので、壁面の作品はおちおち見ていられない。 ![]() ![]() ![]() 《国宝 文選集注》は大したものらしいが、孫を連れてくるとすれば、それまでに勉強が必要。「もんぜんしっちゅう」という読み方からして難しい。展示替の予定は、Ⅰ期《 文選集注 巻五十九の二》 平安中期書写(3月7日~ 4月2日)、Ⅱ期《 文選集注 巻六十八》 平安中期書写(4月4日~ 4月30日)。 調べてみると、「文選」とは南北朝時代の梁の昭明太子(501-531)が編纂した詩文集で、過去1000年間の100人以上の文人の詩文約800首が含まれている。文選の日本伝来は7世紀頃で、平安朝にはさかんに読まれたとのこと。 英雄、栄華、炎上、解散、禍福、家門、岩石、器械、奇怪、行事、凶器、金銀、経営、傾城、軽重、形骸、権威、賢人、光陰、後悔、功臣、故郷、国家、国王、国土、国威、虎口、骨髄、骨肉、紅粉、鶏鳴、夫婦、父子、天罰、天子、天地、元気、学校、娯楽、万国、主人、貴賎、感激、疲弊という熟語はすべて「文選」から出ているというから驚く。 「文選集注」は、もともと国内に120巻あったといわれるが、現在はその多くが失われ、東洋文庫、金沢文庫、東博などに全20巻が残っているだけとのことである。 浮世絵は大好き。サクラにはまだ早いが、摺りの良いものが2点出ていた。東洋文庫の浮世絵の保存状態が良いのは、今まで公開されてこなかったため。今回の公開にあたって、「① 1つの浮世絵は、3年間に28日間のみ展示、②連作ものについては、必要に応じ実物と精密複製を併用して展示」という原則を定めたとのことである。ボストンのスポルディングコレクションのように原則非公開でないだけ良かったと思うことにしよう。 《 御殿山花見駕籠》↓: 三枚続のうち、右のみ本物、中・左は複製。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
第2章 韓国陶磁
韓国陶磁コレクションのうち12世紀(高麗時代)から19世紀(朝鮮時代)に至る作品65件と2件の日本陶磁。第1章の「中国陶磁」の記事はこちら。 1)青-高麗青磁 ・青磁陽刻牡丹蓮花文鶴首瓶 高麗時代 12世紀(76): ![]() ・青磁象嵌葦芦水禽文 陶板 高麗時代 12世紀(83): ![]() ・青磁象嵌雲鶴文碗 高麗時代 12世紀: ![]() ・青磁鉄地象嵌詩銘瓶 高麗時代 12世紀(94): ![]() 2)白-白磁 ・白磁瓜形水注・承盤 高麗時代 12世紀(110): ![]() ・白磁扁壺 朝鮮時代 16世紀(112): ![]() ・白磁壺 朝鮮時代 17-18世紀(115): ![]() 3)白をめざして-朝鮮粉青 朝鮮時代前期(15〜16世紀)を代表する粉青は、韓国で「粉粧灰青沙器」と名づけられたものの略称で、日本では「三島」(時に「三島」と「刷毛目」)と呼んでいる。 鉄分をふくむ灰青色の胎土で成形し、青磁釉に似た釉薬をかけて焼成する点は高麗青磁の伝統を引き継いでいるが、粉青では、釉下に白泥による化粧がけをほどこし、そこに象嵌・印花・掻落・線刻・鉄絵・刷毛目・粉引といったさまざまな手法で文様をあらわしているのが特徴である。16世紀末には白磁に吸収されていった。 ・粉青印花菊花文壺 朝鮮時代 15世紀(99): ![]() ・粉青鉄絵魚文深鉢 朝鮮時代 15-16世紀(105): ![]() ・粉青粉引瓶 朝鮮時代 16世紀(109): 「粉引」とは胎土を白土で覆った後に透明釉を掛けた焼成した白色陶器。変った形が日本で珍重されたとのこと。 4)黒-黒釉陶器 ・黒釉瓢形瓶 高麗時代 12世紀(95): ![]() 5)藍-朝鮮青花 白磁のバリエーションとして発達してきたものである。 ・青花草花文面取瓶 朝鮮時代 18世紀(130): ![]() ・青花辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀(133): ![]() ・鉄砂虎鷺文壺 朝鮮時代 17世紀(118): ![]() 6)紅-朝鮮辰砂 これも白磁のバリエーション。 ・辰砂蓮花文壺 朝鮮時代 18世紀 (121): ![]() 美術散歩 管理人 とら ![]() 一方、今回の展覧会に同行した家内は自宅で茶道教室を開いており、茶陶を見る眼も肥えているらしい。私の好きな青磁は水指や花入れには使われるが、茶碗としては使われない。抹茶の緑と青磁の青緑が同系統色なので、折角のお茶の色合いが映えないためだとのことである。そのため、今回の家内の興味はもっぱら黒陶で、ベストは国宝《油滴天目茶碗》、セカンド・ベストは《木葉天目茶碗》である。家では朝鮮の三島茶碗も大切にしているのに、なぜか朝鮮の粉青には興味を示さなかった。 今回の展覧会は大阪市東洋陶磁美術館の出張展。この美術館は2012年に開館30周年を迎えるが、これに伴い2011年12月26日-2012年4月6日の間、空調・照明等の設備工事のため休館しているため、今回の展覧会が実現した。 東洋陶磁美術館の全収蔵品は約4,000件に達するとのことだが、 今回は国宝2件、重要文化財13件のすべてを含む約140件が展示されていた。 私も家内もこの美術館に出かけており、有名な作品にはすでにお目にかかっているが、都内でゆっくりと再見できたのはまことに眼福であった。実際のところ、同じものも東京で見ると大分印象が違っていた。美術館の立地条件の違いのせいなのか、あるいは展示方法の差なのだろうか。 第1章 中国陶磁 国宝2件、重要文化財11件をはじめとする合計69件。今回の展示は、色彩別に緑・白・黒・藍・紅・彩というキーワードで並べてあった。 1)緑-緑釉陶器と三彩 ・緑釉楼閣 後漢時代 2-3世紀(1): ![]() ・三彩貼花宝相華文壺 唐時代 7-8世紀(3): 六弁の大きな宝相華のメダイヨン(貼花)が付いた唐三彩。素地に白い化粧土を掛け、緑釉と褐釉を蝋抜き技法を使いつつ流している。そういえば、2004年に、赤坂見附時代のサントリー美術館で唐三彩の展覧会がありましたね(記事はこちら) ・三彩壺 奈良時代 8世紀(6): 奈良三彩。緑釉・白釉・黄釉の彩色ながら、すっかり風化してしまっている。銀化して一種の風合も出ているが、残念。重文に指定されているのだから、科学的調査に基づいて、復元してもらいたいものだ。 2)青-青磁 ・青磁六耳壺 越窯 五代時代 10世紀(13): 越窯といえば「秘色青磁」という澄んだ緑灰青色を想像するが、この展示品↓は不透明で艶があまりない黄土色の日常生活器。貿易陶磁として日本に来たものだらしい。 ![]() ![]() ![]() ・青磁水仙盆 汝窯 北宋時代 11-12世紀(17): ![]() ・青磁八角瓶 官窯 南宋時代 12世紀(18): ![]() ・青磁鳳凰耳花生 龍泉窯 南宋時代 12世紀(19): ![]() (脱 線) このブログを書きかけで、NHKの大河ドラマを見た。若い清盛が博多の街を歩いていると、宋からの密貿易品が沢山並んでいる。その中に、なんとこの「青磁鳳凰耳花生」が並べられているではないか。もちろんこれは現代のコピー製品だろうが、砧青磁はまさにこうやって日本に渡来したのである。 ・飛青磁花生 龍泉窯 南宋時代 12世紀(21): ![]() 3)白-白磁 ・白磁刻花蓮花文洗 定窯 北宋時代 11世紀(26): ![]() ・白磁銹花牡丹唐草文瓶 定窯 北宋時代 11-12世紀(28): これは徳川美術館の「王者の華 牡丹展」でも見たお気に入り。白磁胎に薄く鉄泥を掛け、その鉄泥を掻き落として白地を見せる方法で文様を描いているのだそうだから、ウルトラCである。 4)黒-黒釉陶器 ・黒釉刻花牡丹文梅瓶 磁州窯 北宋時代 11-12世紀(31): 黒釉の上から掻き落とし、さらに白化粧・白釉も使った超ウルトラC。 ・木葉天目茶碗 吉州窯 12世紀(34): ![]() ・油滴天目茶碗 建窯 南宋時代 12-13世紀(35): ![]() 5)藍―青花 ・青花蓮池魚藻文壺 景徳鎮窯 元時代 14世紀(39): ![]() 【追 加】「答=オコゼくん」というコメントがあったので調べてみた。「オニオコゼ 市場魚貝類図鑑」のホームページの写真は似てますね。 ・青花花鳥文盤 景徳鎮窯 明時代 永楽(1403-1424) (42): 余白が十分にとられていて、モダンな感じがする、高台内の「大明成化年製」の立派な銘を見て、郷里にあった「成化年製」の下手な銘(記事はこちらを参照)を思い出して納得した。 6)紅-釉裏紅 ・釉裏紅牡丹文盤 景徳鎮窯 明時代 洪武(1368-1398)(49): ![]() 7)彩-五彩と金襴手 ・五彩牡丹文盤 (「大明萬暦年製」銘) 景徳鎮窯 明時代 万暦(1573-1620) (60): ![]() ・法花花鳥文壺 明時代 15世紀(52): ![]() ・三彩龍文大壺(「大明萬暦年製」銘)景徳鎮窯 明時代 万暦(1573-1620)(64) 第2章 韓国陶磁 長くなってきたので、第2章は別記事とする。 註: 青磁に関する記事 1.器物参観(常設展+企画展) @国立故宮博物院 2.特別展:絲路傳奇+常設展+企画展 @国立歴史博物館 in 台北 3.青磁 @東京国立博物館 東洋館 4.青磁の誕生 by 三笠景子研究員 @東京国立博物館 5.青磁 @東京国立博物館 東洋館 6.日本の”美術”の愛し方 @徳川美術館 7.伊藤郁太郎: 「中国宋代の青磁」雑考 メモ 8.「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」― 行けなかった展覧会 9.王者の華 牡丹 @徳川美術館 10.南宋の青磁 @根津美術館 11. 幻の名窯 南宋修内司官窯-杭州老虎洞窯址発掘成果展 @大阪市立東洋陶磁美術館 12. ミュージアムウィークス大阪2010 @大阪市立東洋陶磁美術館 13.北京故宮博物院200選‐その1 @東京国立博物館 美術散歩 管理人 とら
今日の日曜美術館の放送は、今回の「北京故宮博物院200選展」の続報といっても良い。ちょうど連休だから、さぞ混雑するだろう。
この番組のゲストは、このブログの前々報・前報でも述べた浅田次郎氏。まさに適材適所の人選である。 以下に、この番組の内容を紹介させていただく。 北京故宮博物院の中から門外不出の名品およそ200点が、日本で初公開。特に名品中の名品といわれるのが12世紀初頭に描かれた「清明上河図」。春の清明節の一日、北宋の都「開封」の賑わいと、庶民の日常の様子を克明に描いた絵巻。これほど当時の人々の姿をいきいきと描いた絵は、世界でも類を見ない傑作である。 ここでこの絵巻の細部にわたる紹介がなされたので、その順序に従って画像をアップしていく。 1.清明節の花の運搬 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 浅田氏のこの神品に対する感想は、「1.案外小さかった。2.微細な線に驚いた。3.面白くて、楽しくて、寝付かれなかった。4.橋の上の人間のそれぞれのドラマを感じた。5.本店と支店の描き分けがおもしろかった。6.突然終わっているが、初めが緩やかに始まっていることを考えると、これには続きがあったと思われる」といったものだった。 徽宗の時代は、中国史上最も華やかな芸術の黄金時代だった。宮廷内に画院がつくられ、中国最高の汝窯青磁を生み出した。NHKのこの青磁の写真は、図録と異なり、正確な色調が再現されていた。まさに雨後天晴色である。 その後も、芸術を愛する皇帝たちが、故宮の名品を集め、また名品の誕生に力を注いだ。13世紀に景徳鎮で生まれたコバルトを使った「青花磁器」。その華やかな装飾は、西アジアにまで広がる大帝国を創り上げ、東西文化の融合を成し遂げた元の皇帝フビライ・ハンの功績によって生まれたものだった。銅の紅を組み合わせた「釉裏紅磁器」もこの時代に開発されたもので、青磁と釉裏紅を組み合わせたものもある。これらによって、「絵柄が自由に表現できる」という磁器の革命がおこったのである。 浅田氏によると、「宋から清までの間の支配6民族のうち、漢民族は2つだけで、異民族が4つを占めていた。異民族の持っていた文化コンプレックスが漢民族以上のものを作り出す原動力となっており、外来者はそれまでの文化を客観的に見て、新しいものを作り出していった。また定住していなかった異民族の行動や発想に自由度が高かった」とのことである。 また、故宮コレクションの礎を築いたのは、18世紀清の時代の皇帝・乾隆帝。少数民族が、多民族国家中国を支配するために、歴史的な芸術作品の収集に情熱を燃やした。さまざまな古典を集めるだけでなく、宮殿内に工房「造弁処」まで作り、さまざまな工芸品を生み出した。象牙で編み上げた作品、宝石をちりばめた盆栽、ヨーロッパの技術を取り入れた琺瑯などがこれにあたる。 さらに、養心殿のこと、《是一是二》図のこと、コレクションリスト《石渠宝汲》のこと、王献之の書を見るための小部屋のこと、趙孟頫の《水村図巻》が気に入っていたことなどの紹介もあった。 浅田氏によると、「乾隆帝は、自分で十全老人といっていまうほどのパーフェクトな人であった。中国生まれではありながら、出自の満州族に欠けていた中国美術に対する憧れを持ち続けているという微妙な時代の人間だった。中国の美術の良さを十分に理解していながら、自分だけのものとはしなかった」とのことである。 いずれにせよ、これら3人の皇帝が情熱を注ぎ、生み出した悠久の美が今回の展覧会の魅力である。 美術散歩 管理人 とら
第1報、第2報に続き、いよいよ最終第3報。
この展覧会の目玉は何といっても《清明上河図》。中国でも公開されることはめったにないほどの超一級文物。「神品」といわれている。東博では、ブログまで作って宣伝に努めている。 初日の2日は待ち時間が多く長蛇の列だったのであきらめて他のものを見て、4日に出直して、約1時間行列してようやく見ることができた。 縦24cm、長さ5m程の絵巻には、北宋の都開封の都城内外に住む人々の生活が、克明に生き生きと描かれている。家の中の人物、店で買い物をしている人、橋を渡っている大勢の人、旅人、食堂、酒宴をしているところなど・・・。人物は2cmくらいなのだが丁寧に衣装や顔が描かれていて驚く。700人くらいいるそうだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 作者の「張択端」なる北宋の画家、よほど目が良かったのだろう。まさに天才画家の描いた「神品」。 この張択端《清明上河図》は北京・故宮博物院所蔵のものであるが、描かれたのは北宋・徽宗の時代とのこと。徽宗は政治的にはダメ皇帝で、1126年に起きた「靖康の変」に際には「金」の捕虜となってしまうが、自分自身で書画を良くし、もっとも豊かな北宋文化の頂点に立っていた。 明代、清代には数多くの模本が作られ、乾隆帝も《清院本 清明上河図》↓を作らせている(1736年に完成)。皮肉なことに、この清院本」は現在、台北・故宮博物院に伝来するもので、私自身、直接見る機会があった(記事はこちら)。台北では、バーチャル‧マルチメディアエリアに展示されており、今回のような混雑はなかった。台北の画像は、こちらで見ることができる。 ![]() 蛇足を少々・・。東博西門で、約束していた旧知のブロガーTakさんたちと新年のあいさつを交わしたのち、家内ともども、タクシーで自宅へ帰った。あたりはすっかり暗くなっていた。 そのタクシーの運転手に行き先を告げると、「どうしてこんな淋しいところでクルマを拾うのですか?」という質問。「展覧会を見おわったところだ」と答えると、納得したようだったが、この場所でクルマを捕まえる客はめったにいないらしい。 「お宅の営業所はこの辺?」と聞くと、「足立区」との答え。よく見ると、その運転手は、白髪で、相当な歳。「お宅は何年生まれ?」と聞くと、私の1年後輩。「終戦の時は国民学校2年生だね」というと、「疎開したのですか?」と逆に聞いてくる。ひとしきり戦争中の話をした後、運転免許証の話になった。 昨年夏に更新を済ませたばかりだった私は、「高齢者になると痴呆テストが入ってくるし、ゴールドでも3年で更新だ」とぼやくと、運転手君は突然「最近、高齢の個人タクシーが事故で何千万も請求されたという報道があり、自分もこの3月でタクシーから降りることになった」と話し出した。 そこで、「止めたあとの趣味は?」と訊くと、「スポーツ」という答え。「どういうスポーツ?」と重ねて訊くと、「狩猟です」という思わぬ答え。「旦那さん(私のこと)、狩猟には案内人が必ず要るので、結構物入りなんですよ」と懇切丁寧な解説が始まった。 その間、クルマは上野ー後楽園ー外苑ー渋谷という経路で走っていたが、これは私が以前によく通っていた道で、ひどく懐かしい気がした。 自宅の前まで、クルマをつけてもらって、「お元気で」と声を交わして別れたが、家内は『完全に浅田次郎のシュールな世界だった』とひとしきり感心していた。 浅田次郎の「メトロに乗って」という小説のような「タクシーに乗って」の世界だったというのだ。 ![]() 【追 加】 浅田次郎氏出演の本展の日曜美術館メモはこちら。「清明上河図」の詳細図をアップした。 美術散歩 管理人 とら
前報に引き続いての第2報。
第2室の途中から、第Ⅱ部「清朝宮廷文化の精粋ー多文化のなかの共生」。 まずは、第1章 「清朝の礼制文化ー悠久の伝統ー」 カスティリオーネが描いたと思われる《乾隆帝像》は、即位して間もない25歳の像。出自である満州族の服装である。漢族の2%しかいない満州族が、中國を直接支配したのであるから、漢族に対する並々ならぬ配慮が必要であったが、正式な場面では、この肖像のように満州の礼装をつけている。 ![]() ![]() 第2章は、「清朝の文化事業ー伝統の継承と再編ー」 この章は《乾隆帝像ー是二図軸》から始まる。 ![]() この画には中国伝統の服装の乾隆帝が紙と筆を持って座っているが、後ろの衝立には同一人物の肖像画が掛けられており、周囲の卓上には沢山の骨董品が載せられている。すなわち、この画は古代からの中国の美術品を鑑賞している乾隆帝を、肖像画の乾隆帝がこのような美術鑑賞に溺れることの無いように見張っているという自戒的な内容をふくんでいる。 この画の中に登場している美術品がすべて展示されていた。とても良い考えであり、感心した。 《乾隆帝古装屏》の乾隆帝も漢民族の高士の姿であった。 ![]() 有名な「三希堂」が、内部の文物そのまま会場に再現されていたのには、驚いた。前室のカスティリオーネの《だまし絵》にも驚いた。 第3章は、「清朝の宗教ーチベット仏教がつなぐ世界ー」 《乾隆帝文殊菩薩画像》がまず登場し、後期密教であるチベット仏教関連品が多数故宮に保存されていたことが分かる。 ![]() 第4章は、「清朝の国際交流ー周辺国との交流ー」 まずは《乾隆帝大閲像軸》。西洋風の画。ヴァン・ダイクの《チャールス1世騎馬像》などを知っているはずのカスティリオーネが描いたのだろう。 ![]() 余談になるが、昨年秋に読んだ浅田次郎の大作「蒼穹の昴」を思い出した。清朝末期の西大后の時代に、春児という貧しい農村の少年が宦官となって出世していく物語であるが、その前半には乾隆帝やカスティリオーネのことも出てきていたのである。この物語は、その後NHKでドラマ化されたようで、こちらにその詳細が載っている。 次ぎは最終回の第3報。 美術散歩 管理人 とら
1月2日と4日の2回に分けて見ることとなった。この展覧会には、「中国が世界に誇る至宝、ついに国外へ 神品《清明上河図》」という大げさなキャッチフレーズがついており、初日の正月2日から大行列。混雑情報をみて、初日は閉館時間に近い午後3時ごろに平成館に行った。館前には行列はなく、しめしめと思ってエスカレータを上ると、そこには「神品」コーナーへの大行列。これを見て、神品以外の一級文物を見ることにした。それでも時間が足りなくて、最後は駆け足になってしまった。
この展覧会の「神品」以外の見どころは、次のようになっている。 1.門外不出の宋・元時代の書画全41件のうち。39件が日本初公開 2.知られざる名品。空前の規模の北京故宮展。出品作品の約半数が国宝級(一級文物)。 3.皇帝コレクションの粋。宮廷美と壮大な世界観。 ![]() 北京は仕事で3回行っているが、最初に行った2002年に、「紫禁城」の観光をした。その時の案内書は→であるが、なるほどこの本は「故宮博物院内紫禁城出版社」の刊行となっている。この時には、良い美術品はほとんど台北に行ってしまったといわれたが、まだまだたくさん残っていたのである。 まず第1会場に入ると、第Ⅰ部は「故宮博物院の至宝‐皇帝たちの名品-」。 その第1章には、書画が並んでいる。 図巻のお気に入りは多数で、とても書ききれないが、中国絵画の至高の時代といわれる北宋時代の燕粛の《春山図巻》↓は華北山水画。 ![]() ![]() ![]() ![]() 書では、北宋の蘇軾、蔡襄、米芾、黄庭堅、徽宗、南宋の呉琚、元の趙孟頫、鮮于枢などが印象的。とくに黄庭堅(↓)の狂草は完全なアートであり、徽宗(↓↓)の痩金体は性格を表した細い楷書。 ![]() ![]() 第Ⅰ部、第2章は、工芸。 まずは青銅器や玉器は軽く流して、 陶磁器へ。大好きな青磁が2点出ていた。実物の色あいが図録の色と大分違っている。↓(左)は汝窯青磁(雨後の天青色(伝世品は世界で74点のみ。うち台北・故宮博物院に21点、北京・故宮博物院に15点)。図録の青過ぎる写真をちょっと修正してみたが、完璧とはいえない。↓(右)は大阪市立東洋陶磁美術館の「北宋汝窯青磁」の図録からとったものであるが、これほど極端ではないが、このように少し灰色がかっている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 【註】 第2報、第3報 美術散歩 管理人 とら
中国から舶来した唐以降の書画の傑作が並んでいる。11月14日までの前期に間に合った。後期は絵画だけの入れ替えだが、12月12日まで。なかなかすっきりとした展示であった。
1.中国絵画 ・伝夏珪《山水図》 夏珪は南宋中期の画院画家。山水画をよくし馬遠とともに「馬・夏」と並称された。本図は唐絵の最上のものとして珍重された。本来向かって左方にさらに景観が展開していたことが探幽縮図によりわかっている。近衛家旧蔵。 ![]() この猿図は写実を越えた表現をもっており,宋画の中でも名品として知られている。中国の猿ではなく日本猿といわれ、水墨のみならず金泥を用いた毛描きはきわめて繊細で自然である。南宋の画院画家である毛松の作の伝承は狩野探幽にはじまるものと思われ,その根拠は乏しい。武田信玄より曼殊院覚如に寄進された由緒がある。 ![]() 蘿窓は南宋末の禅僧。水墨画の名手の牧谿と画意が等しいといわれた。本図は、文・武・勇・仁・信の五徳を備えるといわれる午前四時頃の鶏を描いたもの。大悟した禅僧の姿のようにも思われる。浅野家旧蔵。 ![]() 文伯仁(1502-73)は、文徴明の甥。林泉に清遊する文人の姿を白描風の清逸な筆致で描いている。万壑松風・万竿烟雨・万頃晴波・万山飛雪という「万」字を冠する自題があるため《四万山水図》と総称されている。↓は万壑松風の部分。 ![]() 黒田家に伝わった唐絵手鑑。宋元明の画家たちの作品が2帖に収められている。夏珪は馬遠の「筆」に対し、「墨」といわれ、滋潤な墨色の美しさが特徴とされる。樹林の間に「夏珪」とみられる落款がある。 ![]() 蕭雲従は明末清初の個性派の文人画家。文徴明に代表される呉派の画風を基礎に董其昌以後の奇想と幻想を摂取した作品を描いた。清の乾隆帝旧蔵品。 ![]() 2.中国書跡 ・国宝《世説新書巻第六残巻》 後漢から東晋に至る逸事を収録した『世説新語』の唐時代の写本。本文には平安時代における博士家の乎古止点と訓が朱書きされている。現在は個人2名・京都国立博物館・東京国立博物館に分蔵されている。 ![]() 北宋四大家の一人として知られる黄庭堅(1045-1105)が,王ソウと史扶のために起草した墓誌銘二篇の合装したもの。王ソウと史扶は,それぞれ1086、1099年に亡くなっているから,前者は黄庭堅が42歳前後、後者は55歳前後の揮毫。文中に加筆訂正の跡が著しい。 ![]() 南宋時代のもの。京都・東福寺伝来。豪快な筆致である。梅原龍三郎旧蔵。 ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||