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現在、ボストンから東博に来ている曽我蕭白の《雲龍図》はインパクトが強い作品なので、TVでも何回か紹介されているし、自分でも2度見に行ってきた(第1回、第2回)。
最近、またまた良いTV番組があったので、忘れないうちにメモを残しておく。 1.墨の濃さが異常に強く、漆黒ともいうべき濃さであることについて: 日本画家・中野嘉之画伯 ・すって使う「松煙墨」よりもはるかに濃い。提灯などの文字に使う「削り墨」である。 ・蕭白は、この龍の目の周囲にこの削り墨を幾重にも塗って、メダマを浮き上がらせている。背景にも、この濃い黒を使っている。 ![]() ・龍の顔の向きや空気の流れなど、構図が似ている! ・京都の画家であった蕭白が見ている可能性が大。蕭白の《雲龍図》はこの画に触発されたのだろう。 3.「狩野光信《蟠龍図天井画》@相国寺」との比較: 狩野博之同志社大学教授+ARATA(井浦新)さん ・大きさは3mと大きく、蕭白の画と同サイズ。迫力があるが、蕭白と構図は違い、威圧感のある霊獣として描いている。蕭白の龍のナサケナイ滑稽な顔とはまったく違う。蕭白の龍は、巨大でありながら、人間を圧倒しない。蕭白には、権威を笠にきた高僧の使いを追い返してしまうという気概があったが、蕭白の雲龍図はそのような彼の気概を写している。 4.現代の《雲龍図》制作: DOPPELのお二人 ・本気でフザケテイルという態度と自分のセンスを大切にするという蕭白へのオマージュとして制作。 5.グラフィックアーチストの感想とCM制作: タカタノリユキさん ・現実とは全く違うインパクトを感じる。ぶっ飛んでいる。非日常の世界に連れて行ってくれる。 ・アウトラインで形を明確にしてキャラクターを作っている。 ・雲龍図のマンガ的要素をモチーフとしたCMを作ってみた。 6.蕭白《雲龍図》を、当時のロウソクの灯りで見ると・・・: ・眼の周囲が落ち込み、メダマが出てくる。鼻や胴体も同じ。すなわち、立体感が出てくる。 ・異空間へ誘う幻想的効果によって、龍が別世界に連れて行ってくれる。 7.蕭白の描法について: 日本画家・中野嘉之画伯 ・排筆(はいひつ、18本の毛筆を連ねたもの)を使ったかすれた線によってスピード感を出している。爪の後方および前方に描かれている大気は、その濃淡によって切り裂かれている。 ![]() ![]() 8.蕭白の他の「龍図」について: 狩野博之同志社大学教授+ARATA(井浦新)さん ・滋賀県のお寺にあるものを含めて3点の《龍図》の掛軸の紹介。細かいウロコ、細い線、丸い眼、下がった眉、威厳のない顔の龍たちだった。 美術散歩 管理人 とら
静嘉堂文庫美術館で「雲峰・文晁・閑林~齋田家ゆかりの南画」のハガキ大のチラシを見つけた。そのヴィジュアルは、谷文晁模写「佐竹本三十六歌仙絵巻」上巻より小大君である。これは行かねばと心に決めた。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() まずは、お目当ての谷文晁模写「佐竹本三十六歌仙絵巻」のケースへ。 大正8年12月20日の益田鈍翁たち当時の数奇者の悪名高い分割によって、現在はバラバラの断簡となって各所に分蔵されているこの絵巻上下2巻の模写、それも名だたる谷文晁の絵で見ることができる機会は貴重である。 丁寧な説明パネルによると、藤原真実絵・後京極良経書のいわゆる「佐竹本」は、江戸時代末期に佐竹家に移る前には下鴨神社にあったとのことである。すなわち、谷文晁たちが写した時には、まだ「下鴨神社本」だったのかもしれないのである。 今までにみた断簡は大分退色が進んできていたが、こちらは鮮やかな色彩で、のびやかな明忠の書も読みやすい。虫食いまでも正確に写されているとのことだったが、最近制作された作品のように保存状態が良いと思った。 開かれていた「谷文晁模写本」は、上巻の後半で、下巻と違って錯簡はないとのことである。 順序は、9.源公忠、10.斎宮女御、11.源宗于、12.藤原敏行、13.藤原清正、14.藤原輿風、15.坂上是則、16.小大君、17.大中臣能宣、18.平兼盛の8首8人。この他に、軸装の佐竹本複製《9.源公忠》が出ていたが、多少汚れがあった。 このうち、絵としては斎宮女御が圧倒的にゴージャスで、籤で坊主を引いた鈍翁が裏工作してこの斎宮女御を手に入れたのも分からないではない。館内は撮影禁止なので、↓は佐竹本《斎宮女御》の参考図像。 ![]() その歌は、「琴のねに峯の松風かようらし いずれの緒よりしらべそめけむ」、「音はどちらから奏でているのであろうか」という意味である。 マイ・セカンドベストはチラシやポスターに使われている「小大君」。やはり女性の絵はカラフルで美しい。衣の文様も良く見える。そして、何よりも細く流れる黒髪が魅惑的である。歌は「岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神」。 ![]() ![]() ![]() その他に、東京国立博物館本館の特集陳列「浮世絵と歌仙絵」で、住吉明神・小野小町・壬生忠峯・藤原興風の4断簡とその江戸時代・中山養福の模本を見ている(ブログ記事はこちら、HP記事はこちら)。 館内のパネルによると、分割時の田中親美模本(100部)のほか、田中訥言本、土屋秀禾木版本があるという。 このブログのタイトルが三十六歌仙になってしまったが、齋田家の住宅で調度品として使われていた大岡雲峰の画が沢山出ていた。大岡雲峰は、鈴木芙蓉(谷文晁門下)高弟の南画家。広重が師の豊広の没した後に、この大岡雲峰から南画を学んだとも云われている。 中央のケースには、《鯉図》、《梅図》、《木瓜に小禽図》の横長の掛軸。 側面の《風炉先屏風》の画は、もともとは天袋に使われていたものらしく、翡翠などの鳥が描かれている沈南蘋風の画である。 《深山楼閣図》は、遠景は従来画法だが、近景には洋画の影響がありそう。 《山水唐人図》のテーマは、東晋の謝安が芸妓を連れて、東山にやってきたところ。縦長の軸だが、上部が遠景、中部が中景、下部が近景という構図が大きい。 《漁樵問答図》は、屈原が漁師と話しているところが、薄墨を主として描いた静かな画で、わたしのお気に入り。 《聖賢図》は、沈南蘋風の画だが、色彩がきつすぎて、あまり気に入らない。 谷文晁の《胡蝶夢図》はありふれたテーマだが、力を抜いたユルキャラ風の画で、なかなか良い。これなら茶掛けにもいいのではないか。落款からみて「烏文晁」は確かなのだが、板橋区立美術館の「谷文晁とその一門」展で見た烏文鳥はもっと黒い墨絵だったような気がする。(ブログ記事はこちら、HP記事はこちら) 谷文晁は、松平定信編「集古十種」85巻中2巻(名物古画、法帖)の画を描いているとのことで、中央のケースに陳列してあった。名物古画は東福寺の仏画《呉道子三幅対》を写したものだった。なかなか上手。 谷文晁の高弟の岡田閑林の《藤雀図・薔薇菊図・水仙叭々鳥図》はなんてことのない三幅対。 こういった江戸南画がお好きな方が、齋田家におられたのだろう。 三十六歌仙絵巻の上の壁面に、館蔵《製茶絵画》があった。おそらく絵巻なのだろう。お茶を生業にしていた齋田家に相応しいもので、パネルの解説が上手なので、十分に理解できた。画家は、狩野甫信。画の最後の署名が「松本隋川甫信」となっていることの説明もあった。 狩野甫信は、木挽町狩野二代常信の三男。兄が浜町狩野を作った時には、将軍から松本姓を賜っていて、江戸狩野のトップの地位にあった。兄が早世して、甫信が浜町狩野二代目となったころ、朝鮮に贈る屏風が狩野でないとまずいということで、松本姓が狩野となり、江戸狩野のトップは木挽町狩野になったのだという。 学芸員の女性に、朝鮮に贈られた屏風をサントリー美術館の展覧会で見たと話したら、羨ましがられた。(サントリー美術館の「BIOMBO展」のブログ記事はこちら) 会場入り口に床の間がしつらえてあり、軸は北斎の弟子の蹄斉北馬の肉筆画《桜花図》、香合は二代真清水蔵六の《色備前牡丹蝶香合》で蓋に蝶が乗っていた。 会場は1部屋だけであるが、ゆっくり見たので1時間半かかってしまった。学芸員とちょっとお話ししたが、楽しかった。 余計なことまで書いたが、とにかくこの展覧会・記念館は素晴らしい。7月25日(水)までとのことなので、無理してでもご覧になることを強くお勧めします。 一般に土・日・祝日は休館だが、5月26日、6月23日は開館。 開館時間は10:00-13:00と14:00-16:30(入館は16:00まで)。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
快晴の日曜日、上記展覧会・前期の最終日に駆け込んだ。
![]() ![]() ![]() そして、テーマ別に次の5コーナ-に分けて展示されている。それぞれのおおよその特徴と代表的なお気に入りを以下に記すこととする。なお「人物画くらべ」はすべて後期となっていた。 第1テーマ 三都を旅する ・京: 歴史と文化ー比喜多宇隆《やすらい祭り・牛祭図巻》 ・大坂: 商人たちの活気ー中村芳中《盆踊図》 ・江戸: 新しい町ー歌川豊広《両国夕涼ノ図》 第2テーマ 花と動物 ・京: 優雅 ![]() ![]() ![]() ちなみに、わたしの第1室のお気に入りは、京=3、大坂=3、江戸=4で、三都一線であるが、実際には大坂の画家の知名度がイマイチなので、そのことを勘案すれば、大坂が健闘しているともいえるのだろう。 第3テーマ 山水くらべ ・京: 画外へ拡がるー長沢蘆雪《遠見富士図》 ・大坂: 中国絵画への傾倒ー蔀関月《雪中訪戴図》 ・江戸: 狩野派⇒洋風画ー司馬江漢《相州江之島児淵図》 第4テーマ 和みと笑い ・京: 奇抜ー長沢蘆雪《なめくじ図》 ![]() ・江戸: 明確ー英一蝶《投扇図》 第5テーマ 三都の特産 ・京: 奇抜ー狩野山雪《寒山拾得図》・伊藤若冲《垣豆群虫図》 ![]() ![]() ・江戸: 洋風画ー司馬江漢《異国戦闘図》 わたしの第2室のお気に入りは、京=7、大坂=2、江戸=2で、大分差がついている。 「三都探検隊」に挑戦した。今回は相当難しかったが、視力の良い子供のほうができるかも・・・。 「さんとくんのハンコたび」も楽しんだ。これは銅板の東海道双六絵で、江戸日本橋・京都三条大橋・大坂高麗橋のハンコを押すもの。ハンコは着色にした方が良かったかな・・・とつぶやいた。 ![]() 小特集「京の銅版画」にも感心した。 最後に、桜吹雪舞い散る府中公園の写真をもう一枚(クリックで少し拡大します)。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
仕事で幕張に泊る機会を利用して、昨日午前中に、千葉市美に行ってきた。この展覧会が始まってまだ3日目で、中はガラガラ。快適な鑑賞ができた。
![]() 展覧会は前期・後期に分かれれており、大幅な展示換えがある。超有名な重文《群仙図屏風》や《唐獅子図》(参照)は後期なので、これらは見飽きているという方は、空いている前期から出かけられたほうが良いのではなかろうか。 今回の展覧会には、「曽我蕭白と京の画家たち」という副題がついており、第1章「蕭白前史」には、山口雪渓、五十嵐浚明、高田敬輔、月岡雪鼎、望月玉蟾、大西酔月という6人の復古的画家が登場する。あまりなじみのない画家が多いので、つけたり感があるのは否めないが、蕭白が突然変異のように出現した異端児ではなく、蕭白も時代の児であったことを理解させてくれた。 ここでのお気に入りは、蕭白の師といわれる高田敬輔の迫力のある《山水図屏風》↓と穏やかな《富嶽図》。 ![]() 第2章はメインの「曽我蕭白」で、第1部「蕭白出現」、第2部「蕭白高揚」、第3部「蕭白円熟」とほぼ時代順に分けられている。 第1部では、顔面・頭部が鬼に変わりゆく女性を描いた《柳下鬼女図屏風》↓、面白い構図の《林和靖図屏風》、「人生すべて塞翁が馬」の気楽な《塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風》↓↓、襲われる猿が気の毒な《鷲図屏風》、前期には人物像が出ている《鳥獣人物押絵貼屏風》、異形の《寒山拾得図屏風》、蝶におびえる龍の可笑しい《獅子虎図屏風》↓↓↓。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 第3部には、戦勝にもかかわらず梅の枝一本だけを郷里蒙古に持ちかえるクビライの重臣「伯顔図」、きわめてマンガチックな《許由巣父図襖》↓、墨の濃淡のみの略筆《孔雀図》・《蓮鷺図》、金箔地に水墨の《山水図扇面》、雪舟に倣って実景を描いた《富嶽清美寺図》、余白の美しい《瀟湘八景図屏風》などがお気に入り。 ![]() ここでのお気に入りは、与謝蕪村の癖のある老人《寒山拾得図》、茫漠たるたらしこみの円山応挙《富士三保図屏風》、蜘蛛の巣を狙う色鮮やかな鳥が描かれている長沢蘆雪・曾道怡《花鳥蟲獣図鑑》↓。 関東で、蕭白の全貌に迫ることのできる良い機会です。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
昨日は、異常に発達した低気圧によって、全国に猛烈な風が吹き、雷も鳴った。風神・雷神の仕業なのか、ゼフュロスの悪戯なのかしらないが、今日も北海道・北陸・東北ではこの異常気象が続いている。しかし関東地方は風は少し残っているものの、快晴になった。
熱海のMOA美術館では、岩佐又兵衛の有名な絵巻群が3期に分けて展示されている。今日は、《山中常盤物語絵巻》が見られる第Ⅰ期の最終日なので、頑張って見に行ってきた。 新幹線のホームからこの美術館の看板と桜が見えたので一応写真を撮った↓。バスの停留所からこの桜がよく見えたので、もう一枚↓↓。 ![]() ![]() ![]() ![]() まずは、義経の東下りから始まる。藤原秀衡の館で鄭重に扱われている場面もしっかりと描かれている。一方、常磐御前も寺社詣でをして牛若丸との再会を祈る場面も詳細に描かれている。 常盤御前が行方知れずになっ牛若丸が平泉にいることを知って、乳人の侍従と二人で奥州への旅に出る。常磐は十二単衣、侍従は五重の小袖を着用。↓は「瀬田の唐橋を渡る常盤御前と侍従」の場面だが、奈良絵本風の比較的シンプルな描写である。工房作の絵なのだろうか。 ![]() ![]() ![]() 一方、牛若丸は母が夢に出てきたので、急ぎ京に上ったが、間に合わなかった。そこで、計略を使って母殺しの盗賊6人をおびき寄せ、「霧の印」で眼くらまし、「小鷹の法」で飛び上がって、全員を斬り殺す(↑のポスター参照)。「胴斬りによる体幹部の水平断面」↓や「面割りによる上半身の矢状断面」↓などは迫真の描写。死体の色もそれぞれ描き分けているように見える(巻9)。 ![]() 途中に、野々村仁清の国宝《色絵藤花文茶壺》などの名品がなにげなく置かれているのもニクかった。 西洋絵画の展示室には、モネやレンブラントの素晴らしい作品があったが、中國の古美術の充実には舌を巻いた。 お気に入りは、貫入の見事な南宋・官窯の《青磁大壺》、北宋・定窯の見込みの奥ゆかしい《黒釉金彩瑞花文碗》、北宋・景徳鎮窯の優美な色彩の《青白磁蓮華文盤》、異国情緒のある明時代の法花《三彩松下人物文壺》、清・景徳鎮窯の記憶に残る色合いの《粉彩団龍文瓶》、昔の輝きがそのまま残っている唐時代の《双鸞宝相華八花鏡》と《鸚鵡宝相華八花鏡》。 美術散歩 管理人 とら
今年の寒さはひどい。こういう時にはTVが一番。これは、2012年1月30日(月)午後9:00からの放送のメモ。
近年、酒井抱一の評価が高まっていると感じるのは、多分私だけではないだろう。これは、東博での大琳派展で、光琳との対比が鮮明にされ、抱一の優位性が再確認されて以来のような気がする。最近でも、姫路市立美術館・千葉市美術館・細見美術館で「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展が開かれ、抱一ブームを継続させている。 1.嵐山光三郎氏の抱一《夏秋草図屏風》の解説 ![]() ・左隻: ススキ、からまる蔦。風に舞う蔦の紅葉。 2.嵐山光三郎・玉蟲敏子両氏の光琳《風神雷神図》(表絵)・抱一《夏秋草図屏風》(裏絵)のレプリカ拝見 @三溪園 ・光琳=金 vs 抱一=銀 ・光琳=天 vs 抱一=地 ・光琳=雷 vs 抱一=雨にうたれる夏草 ・光琳=風 vs 抱一=風にふるえる秋草 ◎逆折りになった抱一《夏秋草図屏風》では、「右隻では水が流れ出し、左隻では紅葉が飛んでいく」ことが強調される。 3.抱一による光琳の模写・模倣 ・《波濤図屏風》、《八橋図屏風》、《琴高仙人図》 ・抱一による「光琳遺墨展」の開催 ・抱一による「光琳百図」の制作 4.抱一による光琳を超えた独自性の追求 ・アートディレクター・結城昌子氏による抱一《紅白梅図屏風》の解説: 光琳の《紅白梅図屏風》と異なり、中央に川が描かれていない。華やかであるが、どこか引いている。 ![]() ・抱一は50台になってから独自性を発揮し、銀にこだわった。彼の総銀地は、しっとりとして、物寂しい。これは光琳の《波濤図屏風》を超えた抱一の夜の海の絵《波濤図屏風》から始まった。それは抱一が銀によって光琳を乗り越えた記念碑的作品で、その波は寒風吹きすさぶ波である。 ![]() 4.アメリカ人日本画家・ アラン・ウエスト氏の金地作品と銀地作品の比較 ・金地の作品が暖かいのに反し、銀地のものは渋く、冷たい。 5.石川賢治氏の月光写真(クリック推奨) ・満月の際には、花の色も見える。月光では見え過ぎないので別な表情になる。一時間以上の長時間露光で、すべての景色が神秘的な青に写る。 ・八ヶ岳山中の小さな滝と紅葉のある風景を、満月を待って2時間かけて撮影をした写真が提示された。美しかった。 【とらの妄言】 装飾美術の観点から見た「光琳 vs 抱一」論は、今回のTVによくまとめられていた。しかしこの放送には、両者の歴史的背景への考察が欠けていたのは残念だった。 光琳(1658-1716)は、菱川師宣とともに元禄美術(1688-1704)の旗手であり、抱一(1761-1829)は化政美術(文化・文政 1804-30)に含まれる。 いずれも町人文化であるが、元禄文化は、上方から江戸へとバトンタッチされていく商人文化で、勢いのある時代空気を反映している。 これに対し、化政文化は、浮世絵版画のような大衆化した文化が中心である。抱一に端を発する江戸琳派は、文人画と同じく知識人を核とした文化の最後の光芒と捉えるべきものではなかろうか。 そういう意味で、大名家出身の抱一が描いた「月光に輝く総銀地装飾画」は、過ぎゆく上流階級文化へのオマージュと理解される。 翻って、奇跡の復興を成し遂げた昭和が遠くなっていく平成の日本は、財政的に破綻への道を辿り、V字回復を計るべき政治やメディアの劣化は覆いがたい。 ジャパンマネーで世界の美術を買いあさったバブル経済は、はるか過去の「金の時代」のもので、現在はせめて暗い中にも光を見出すことのできる「銀の時代」に留まってほしいという切なる願望が日本人の心の中に残っている。 こういった平成人の心が抱一の「月光の銀」に共感するのだろう。 【関連展示】「琳派の美学:1800代から近代まで」展 場所:メトロポリタン美術館:サクラー・ウィング・ギャラリー 会期:2012年5月26日~2013年1月12日 【追 加】 光琳《紅梅白梅図屏風》における銀の使用 昨年暮れのNHK「極上美の饗宴」(2011.12.19)と今週のNHK「日曜美術館」(2012.2.5)で、光琳の《紅梅白梅図屏風》の中央の川についての科学的調査の結果が報告された。 これによると、まずこの部分に薄い銀箔を張り、明礬液で図柄を描き、その上から硫黄の粉末をかけて、3日間寝かせておくと、明礬液で描いた図柄以外のところの銀が硫化されて黒い硫化銀となるという手法を使ったというのである。 抱一は総銀地の《紅白梅図屏風》を制作して、光琳を追い抜いたつもりだったかもしれないが、抱一が見損なっていた光琳の中央に川のある《紅白梅図屏風》では既に銀も使われていたのである。 このことを抱一が知ったならば、さぞ悔しがったであろう。 【再放送】 2012年3月21日 春分も過ぎて、陽射しも強くなり、すこし暖かくなってきた。このような金日と銀月の対比に関係する話題は、放送日の寒暖によっても視聴者の受け取り方も多少違ってくる可能性がある。 1月に見た時には、抱一の寒さにしびれたが、3月の昨日は光琳の暖かさも好ましいと思った。 ところで、番組中に鏑木清方の《抱一上人》の絵が何回も登場した。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
辻惟雄著「日本美術の歴史」でも、「黄檗美術と明美術の移入」には1章がさかれている。そこには、「1654年に、中國黄檗山より僧隠元が来日し、かっての鑑真の来日にくらべられるほどの熱狂的な歓迎を受けたことや、寺内の諸堂には渡来仏師『范道生』による《韋駄天像》など新奇な仏像が安置され、日本の仏師らにも影響をあたえた」ことが記されている。
今年2011年は今日でおしまいであるが、黄檗宗大本山である萬福寺が創建されてから350年ということなので、大晦日を押してこの展覧会を見に行ってきた。 ![]() 実際に、絵画を見ると、派手な赤と緑が目立ち、佛像は異色のいでたちであり、書の字体も狂草に近く、時代の推移を感じさせる。 ここでは、お気に入りをいくつかあげて本年最後の記事としたい。 1.隠元の頂相: 3点出ていたが、これは(→)ユーモラスなもの。前述のように、赤と緑が目立つ。獅子がいるのは文殊菩薩像を踏襲したものだろうか。![]() ・《韋駄天立像》(↑)は、今回のハイライト。中国製だが、このキンキラキンの派手な美男子は一度見たら忘れられない装飾的な仏像。足の速い韋駄天が、釈迦涅槃の際に仏牙を盗んだ足の速い悪鬼「捷疾鬼」を捕まえて、取り戻したというストーリーは有名。 ・范道生《十八羅漢像》がいくつも出ていたが、道教の神が取り入れられたものである。ここでは、その中、明年の干支である龍を左手に持っている尊者の画像をアップする。右手には龍からもらった宝珠を掲げている。 ![]() ![]() ・《唐子図》(→)拄杖と団扇を持って得意そうに立つ唐子と、唐子に頭を踏まれ苦笑気味の童子の図。とても面白い構図である。 ・《隠元豆・玉蜀黍図》(↓) この画は以前にも見ているが、右幅の「隠元豆」はなるほど隠元禅師ゆかりのもの。隠元豆の莢は美しく、虫はユーモラスである。 隠元は、隠元豆の他に、西瓜・蓮根・煎茶普茶料理・明朝体フォント・原稿用紙を持ち込み、寒天の命名者となるなど、多様な面で日本文化を豊かにしている。 鎖国下の江戸時代においては、萬福寺は海外への扉だったことが今さらのように実感される。 ![]() 若冲は、晩年、伏見の黄檗寺院、石峰寺門前ですごしている。境内には若冲がデザインした石仏たちが今も残っている。この図は木版画で、若冲下絵の版木原版が焼失したため、復刻したものである。 ![]() 美術散歩 管理人 とら
これは有名な江戸時代初期の紙本金地著色屏風で重要文化財となっている。何回も見たものであるが、現在サントリー美術館で開かれている展覧会「南蛮美術の光と影―泰西王侯騎馬図の謎」では両者を並べて目玉作品としている。
![]() ![]() 今回、光学的に精査したところ、日本ではあまり使用されない鉛白が使われていること、下張に「金」という漢字が書かれていることなど和洋の折衷性が再確認されたとのことである。 多難な会津若松の歴史は複雑である。1589年に伊達政宗が葦名氏を滅ぼしてこの地を本拠としたが、秀吉の奥州仕置によって1590年、この地は蒲生氏郷にあたえられた。この屏風はキリシタン大名であった氏郷が持ち込んだのであるという説(池長孟氏)もあるが、この騎馬像の原図は、アムステルダム刊行の1606~1607年のウィレム・J・ブラウ世界地図(アムステルダム海洋博物館所蔵)を、1609年に改訂した大型の世界地図の上部を飾る騎馬図であると想定されており、一方氏郷は1595年に他界しているので、現在はこの説は否定的である。 氏郷の死後、越後から上杉景勝が入封したが、関ヶ原の戦いで西軍にくみしたため、米沢に減封され、東軍にくみした蒲生秀行が入封した。2代目の急死に伴い、伊予松山の加藤氏が蒲生氏と入れ代わりに入封した。しかし2代目の時に、家中騒動(会津騒動)が起こり、改易となった。 加藤氏改易の1643年に、山形藩から2代将軍秀忠の庶子の保科正之が入封した。番組では、問題の屏風はこの際に将軍家から与えられたものではないかとの説(坂本満氏)が取り上げられていた。禁教となった徳川時代、イエズス会の関係者が自分たちの身を護るため、キリスト教と関係の無い図柄で、勇壮なアラビア種の馬を強調したこの屏風を贈って武将の心をくすぐろうとしたのはないかというのである。もっともまったく証拠の無い想像の話ではある。 保科氏は3代のとき松平に改姓し、徳川将軍家親族の名門として名実ともに認められるようになった。最後の藩主となった9代容保は、1862年に京都守護職となり、新撰組を配下に置いて京都の治安維持を担った。このため戊辰戦争にあたっては、会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。会津藩は奥羽越列藩同盟の支援を受け新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦いに敗北して降伏した。 降伏後、松平容保は上京させられたが、その際の持参品のリストにこの「泰西王侯騎馬図屏風」と思われる屏風が書きこまれている。 このうちの一隻は松平家に保管されていたらしく、1945年の東京大空襲を潜り抜け、現在はサントリー美術館に所蔵されている↑。 そこに描かれているのは、右から、ペルシャ王、アビシニア王(エチオピア王)、フランス王アンリ4世、イギリス王あるいはギーズ大公フランソワ・ド・ローランあるいはカール5世とされている。異教徒のペルシャ王が槍を持つのに対し、キリスト教国の3人の王は王笏を持ち、ペルシャ王の方を向いている。 他の一隻は長州の前原一誠の所蔵となり、明治3-9年の間、彼の手元にあったが、昭和7年に神戸のコレクター池長孟氏がこれを購入し、その後神戸市に寄贈されて、現在神戸市博物館に保管されている↑↑。 屏風は右からタタール汗、モスクワ大公、トルコ王、および神聖ローマ皇帝ルドルフ2世とされ、キリスト教徒と異教徒が王どうし闘う構図になっている。画としてはこちらの方がドラマチックである。 画の出来栄えも素晴らしいが、その変転の歴史を平易に解説してくれる番組も良かった。 美術散歩 管理人 とら
本館 16室では、2011年4月26日~6月5日の間、「歴史資料 シリーズー日本を歩くー北陸編」が展示されている。
まずHPの説明を引用する。 「日本を歩く」は、平成19年度より蝦夷・北海道編、奥羽・東北編、甲信越編、東海編の4地域について実施しています。今回の「北陸編」は、加賀・能登・越前・越中(一部若狭・越後)を対象に、主に古絵図、地誌関係の資料を用いて、金沢、安宅の関、白山、立山や九谷焼、越前奉書など、地域の歴史、文化を紹介します。リストはこちら。 その中で、江戸時代の《越中国輿地全図》の前で足が止まり、写真を撮った。自分の郷里(赤い矢印)が見えたからである。 ![]() ![]() ![]() 加賀国・能登国・越中国を探し出した。 ↓は、その中の越中国。赤い矢印の郷里もはっきりと見える。展示されていた地図とは似て非なるもののようだが、DBの使用法を覚えたので良しとした。 ![]() ![]() ![]() 辻惟雄氏のいう「奇想の画家たち」のトップに来るのは、臨済宗中興の祖の白隠慧鶴(1685~1768)である。大雅は白隠のもとに参禅し、蕭白は白隠の表現を取り入れ、芦雪は白隠の弟子から学んでいる。 永青文庫の設立者である細川家16代の護立は病弱であったが、白隠が禅の健康法を説いた「夜船閑話」を読み、健康を取り戻した後に、白隠の書画を収集するようになり、現在、永青文庫にはおよそ300点の白隠が伝わっている。しかし実際には白隠が書いた書画の数は1万点以上で、かなりの数が海外にも流出してしまっているらしい。 番組は、芳澤勝弘花園大学教授、山下裕二明治学院大学教授、臨済宗僧侶で作家の玄侑宗久氏のパネル・ディスカッションが中心で、アメリカ人コレクターや美術史家、細川護煕氏、村上隆氏などへのインタビューなども交えたものだった。 しかし、白隠の作品の研究は欧米の方が進んでおり、欧米の愛好家は、書画だけでなく、白隠が追求した禅の精神そのものに感銘を受けているようである。「禅問答」として知られる難解な公案は、日本人にとっても容易には接近しがたい禅の教義だが、言葉や宗教も異なる海外の人々が白隠の書画を通じて、その世界観を貪欲に探求しようとしている。ジョン・レノンが白隠の禅画を所蔵しており、アメリカの作家サリンジャーも影響を受けていたとのことである。 この番組の中で、昨年10月1日~今年の1月9日まで、ニューヨークのジャパンソサエティで開催された白隠の展覧会のことが紹介された。 ・The Sound of One Hand: Paintings and Calligraphy by Zen Master Hakuin ・October 1, 2010- January 9, 2011 ・Japan Society, 33 East 47th Street, New York, NY 10017 在米日本人のブログを読むと、展示は69点。会場には有名な作曲家のジョン・ケージの言葉もあり、大勢のアメリカ人が見に来ていて、メモをとっている人もいたとのことである。 この展示会のタイトル"The Sound of One Hand"とは有名な公案『隻手音声(せきしゅのおんじょう)』のことで、《布袋隻手図》については、「両手をたたくと音がするが、片手の音はどうじゃ」と問いかけている図」と説明されていたとのことである。 自分では、2008年に永青文庫の「白隠とその弟子たち」展、2009年に「妙心寺展」を見たぐらい(記事は①と②)だったので、このニューヨークの展覧会の図録を取り寄せて読んでみた。 ![]() 前文の中で、永青文庫のことにも触れられており、「作品の貸し出しは断られたが、図版の使用の許可はとれた」と皮肉交じりに書かれている。 続く序文は日本の禅宗と白隠のアウトラインで、これにひき続き、 1. LIFE IN ART, ART IN LIFE- Biological Influences in Hakuin’s Paintings and Calligraphy 2. BUDDHIST, SHINTO, AND FORK DEITIES 3. OLD DRAGONS, NEW DRAGONS: Hakin’s Zen Subjects 4. DAILY LIFE AND LIVING CREATURES 5. CONFUCIAN THEMES AND PAINTING-CALLIGRAPHY INTERACTIONS 6. HOTEI AS EVERYMAN 7. HAKUIN’S FOLLOWERS となっており、最後にエピローグで締められている。 沢山の図版が載せられており、説明も丁寧である。しかしなにせ禅の言葉である。英語も聞きなれない単語が多く、100%理解しようとするとちょっと疲れる。 しかし、日本語でも読みにくい白隠の書の意味が英語では易しく解説されており、中には日本語がそのままローマ字で解読されているところもある。こうなるとどちらが日本人なのかよく分からない。 ![]() 日本からのものとしては、龍澤寺・法輪寺・龍雲寺・金台寺・正宗寺・開善寺・永青文庫はなんとか漢字に直せた。 この展覧会はいずれ里帰り展覧会として日本国内で開かれるような気がする。日本の美術関係者が放っておかないだろう。もちろんそれまでに原発の問題が終息すればの話だが・・・。 美術散歩 管理人 とら < 前のページ次のページ >
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