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これは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展の第3報である。
有名な《岩窟の聖母》は、ルーブル美術館とロンドン・ナショナルギャラリーにそれぞれ1点ずつある。 ![]() ![]() いずれもドーム状の形状であるが、パリの作品では上部に青空が描かれているのに、ロンドンの作品では、空は狭くなっている。 ![]() 「上部のドーム状の部分や下部は切られて、現在の形になっている」とキャプションに説明されていたので、その分は割り引いて比較してみると、以下のようになる。 ![]() ![]() 2.ヨハネの十字架: なし。これはパリのものと同じ。 3.ウリエルのマント: 赤。これはパリのものと同じ。 4.植物: パリのものともロンドンのものとも異なる。 まとめると、いわゆる「第3の《岩窟の聖母》」は、パリのの聖母に光輪をつけ、植物を変えただけなので、レオナルドが最大限譲歩した作品のような気がする。 これによっても支払者側が満足しなかったため、ロンドンの作品のように、イエスとヨハネにも光輪、ヨハネに持物、ウリエルのポーズと着衣の変更、さらに植物の再変更といった妥協を加えざるをえなかったのではないかと考えたい。 ![]() 第1報はこちら。第2報はこちら。 美術散歩 管理人 とら
これは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展の第2報である。
トリノ王立図書館蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチと弟子《少女の頭部(「紡錘の聖母」のヴァリエーション)》が気に入ったので、ポストカード↓を買った。この際には、「ヴァリエーション」が何を意味しているのか、まったく分からなかった 。 ![]() 全体の感じは、1506-08年頃の《ほつれ髪の女》―褐色土・緑色アンバー・鉛白・板―の暗い灰褐色にくらべて、明るい赤褐色である。 レオナルド得意のうつむいた伏し目の女性だが、まだ若い感じがする。 この画は《紡錘の聖母》の「ヴァリエーション」とのことなので、池上英洋著「西洋絵画の巨匠 レオナルド・ダ・ヴィンチ》を見てみると、レオナルド・ダ・ヴィンチの下絵に基づく工房作《紡錘棒の聖母子》が2点あることが分かった。48.3x36.9㎝のほう(油彩1)の背景はかなり省略されているが、50.2x36.4㎝のほう(油彩2)は背景の山がしっかりと描かれている。この背景の違いは、親方の下絵には背景が省略されていたことを意味し、工房の弟子たちが親方から渡された下絵をもとに、各自描いたと考えられるとのことである。 このページに新聞の切り抜きがはさんであった。見ると、「盗難のダビンチ名画発見」‐《糸車の聖母》英で4人逮捕という見出しがついており、2003年8月、スコットランド南部のドラムランリグ城で公開中に強奪されたものとのことである。 ![]() 話はこれだけである。すなわち、1)偶然、ある素描作品の展示最終日に見に行って、たまたまその絵はがきを買ってきた。2)その素描の本画について調べていると、2点存在していることが分かったとともに、そのうち1点の盗難についての新聞記事が出てきた。3)新聞記事の画像からどちらが盗まれたものかが分かった、という三題噺である。 ところで、素描と2点の本画の女性の顔を並べてみると、↓のようである。とにかく、油彩1と油彩2の顔はそっくり。仔細に見ると、油彩1のほうが少し下向きで、鼻筋が通っているような気がする。素描と似ているのは、どちら? これは、とても難しい判断だが、いかがでしょうか。 ![]() 第1報はこちら。第3報はこちら。 美術散歩 管理人 とら
「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想」展のメダマは、日本初公開の《ほつれ髪の女》パルマ国立美術館蔵に会えることである。
渋谷には、沢山のポスターが貼られている。 ![]() ![]() ![]() 小さな作品で、↑のチラシ2を実物の横に並べてみたが、チラシ2のような赤褐色ではなく、もっと暗い灰褐色だった。そのためか、それほど若くは感じなかった。 4月7日の「美の巨人たち」で、この画が取り上げられていた。この番組は、メモを取りながら見たので、その内容の一部を紹介したい。 やはり、「この女性がこちらを見ていない」のが何よりのポイントだとのこと。この画はポプラ板に描かれた未完成の作品で、その技法は、①下地を作り、②下絵を描き、③画面全体を赤褐色にして、④同色で筆を入れ、⑤透明なニスをかけ、⑥鉛白を塗るーという手順で、番組中で実演された。 モデルについては、諸説あるが、①デステ説:似ていない、②レダの習作説、③聖母の下絵説:正面でない、④追憶の中の母親説のなかで、レオナルドが母親のなかに美の理想・永遠の美・永遠の愛を求めたのだという④説をとっていたが、②の説も否定されてはいなかった。 今回の展覧会にはボルゲーゼ美術館蔵のレオナルド周辺の画家《レダと白鳥》が出ていたので、それと比較してみた。↓のようですが、いかがでしょうか。 ![]() ![]() 今回の展覧会については、まだまだ書きたいことがある。とくに、「紡錘の聖母」と関係がある《少女の頭部》と第3の《岩窟の聖母》については、それぞれ別報とする。 これ以外の、今回のお気に入りも、以下のように多数。 ・デューラー(レオナルド考案)《柳の枝の飾り文様》: レオナルドの出生地名の vinchi とは「紫がかった柳」で、その枝は編みやすく、利用価値が高い。 ・ボッカチョ・ボッカチーノ《ロマの女》: 小品だが忘れがたい女性。 ・トンマーゾ・ディ・ステーファノ・ルネッティ(帰属)《ターバンの女》: 黒い背景から浮き出している女性。 ・マッツィエーレ《平和の寓意》: フレスコ。幕の後ろに、戦争の象徴である「兜」をつぶしている女性。 ・レオナルド《衣紋の習作》2点: 巧いですね。さすが天才。 ・サライ《ほつれ髪の女》(模写): 結構巧い。 ・サライ(レオナルド下絵)《聖母》: これもなかなか。 ・《アイルワースのモナリザ》: 背景は描かれていないが、レオナルドの1503年の未完成作という説があるとのこと。 ・アンブロワ0ズ・デュポア(帰属)《モナリザ》: フランソワーズ4世の要請で描かれたコピーらしい。寸法が原作と同じだというのがその根拠。 ・作者不詳《モナリザ彫像》: 白大理石像。 ・サライ(帰属)《裸のモナリザ》: レオナルドの構想のよるとのこと。ちょっとイヤラシイが・・・、 ・作者不詳《裸のモナリザ》: 茶褐色で、こちらのほうがマトモ。スフマートが使われている。 ・フォンテンブロー派《浴室のふたりの女性》: あの有名作品がルーヴルから来ていた。 ・16世紀中葉フィレンツェの画家《レダと白鳥》: ミケランジェロの模作? ・フランチェスコ・バルトロツィの銅版画《レオナルドの肖像》と《若い男(サライ)の肖像》 美術散歩 管理人 とら
これは「キリスト3つの名画の謎 -その誕生に隠された真実」という番組の「第3部」。
フレスコ画《キリストの復活》↓は、画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの生地サンセポルクロにある。ここは、イタリア南トスカーナの小さな街で、10世紀に二人の巡礼者が作ったところである。 ![]() 番組では、美術の授業中にこの話を聞いたサンセポルクロの小学生が、「その人は世界中の画を見たのですか?」と質問して、先生を絶句させていた。 第二次大戦の末期、サンセポルクロはドイツ軍に占領されており、イギリス軍が間近に迫っていた。このイギリス軍を指揮していたのは、将校トニー・クラーク(Tony Clarke)だった。彼は、攻撃命令を受けて、実際にサンセポルクロに向かって砲撃を開始したが、しばらくして以前に読んだことのあるハックスリーの「世界最高の画」のことを思い出して、砲撃を中止した。サンセポルクロの街が砲火を免れたのはこの画のおかげだった。 将校トニー・クラークらのイギリス軍がサンセポルクロに入った時には、ドイツ軍はすでに撤退していた。幸いにこの「世界最高の画」は無傷だった。 戦後になってこのことが知られて、サンセポルクロが有名になり、多くの観光客が訪れるようになり、クラークは表彰され、多くのアーティストがこの画に触発された作品を制作するになった。 「キリストの復活」については、聖書に十分に書かれていないので、これをテーマとした絵画も少ない。ピエロの《キリストの復活》は、イタリア語でサンセポルクロが「聖なる墓」を意味しているため、町のアイデンティティを象徴する絵画として描かれたのであったが、番組ではそのことには触れられなかった。 画の前景には、4人の兵士が寝込んでいる。ピラトに石棺の番をするように命じられていたのであろうが、これではキリストに気付くはずもない。のけぞったように寝ている兵士はピエロ自身だとのこと。いずれも傾いた姿勢で描かれているが、、よく見ると、一人の兵士の脚が描かれていない。 背景はトスカーナ地方の眺望だが、丘のラインがキリストの肩のラインにつながっている。左手には冬の枯れ木を、右手には生い茂る緑樹を配して、キリストの復活を象徴している。 キリストは、ピンクの死装束を身にまとい、左足を石棺の縁に置き、右手に死に打ち勝ったことを象徴する白地に赤の十字架が描かれた旗を持って、力強く立ち上がっている。 キリストの脇腹からは血がしたたり落ちている。キリストの顔はは理想化して描かれておらず、生身の人間のようである。眼は左右不対照で、髭は粗い。寝ていないためなのかもしれない。 キリストは正面をまっすぐに見ている。その証拠には、鼻の孔が描かれていない。この画を見る者はキリストを直視ことができる。聖書のいうように、「めざめている者」だけが復活したキリストを見られるのである。 この画に駆使されている透視画法はルネッサンス初期の革新的なもので、ピエロはフィレンツェで学んだ。彼自身、遠近法の解説書を3冊書いているが、この作品ではそれを実践しているのである。 その後、この画はレオナルドらの動きのある画に押され、のんびりとしたつまらない画として人気がなくなり、あろうことか石膏で壁ごと白く塗りつぶされてしまった。 19世紀になって、この画は剥がれ落ちた石膏の下から「自力で復活」し、イギリスの有名な旅行家・考古学者・楔形文字研究者・美術史家・美術品収集家・作家・政治家・外交官であったヘンリー・レヤード(Sir Austen Henry Layard 、1817- 1894年)が、15世紀フレスコ画家としてのピエロを称揚したことによって、再び人気を取り戻した。 この件については、ニコラス・ペニー(Nicholas Penny)の「アレッゾへの旅 Journey to Arezzo」に書かれてあり、その内容は次のように紹介されている。 Above all, in Sansepolcro there was the fresco of the Resurrection – ‘No painter has ever so painted the scene!’ Later, as the leading force in the Arundel Society, which was devoted to recording old Italian frescos, Layard commissioned copies of some of Piero’s works. The Resurrection was published as a chromolithograph. But, Layard himself insisted that Piero’s easel pictures ‘afford but a faint idea of his originality’: his greatness lay in public work, which made him an example not only to artists but to patrons. ![]() ![]() かなり行きにくそうな場所なので、自分で実物を見る機会はほとんどないと思われるだけに、この番組はありがたかった。 「キリスト3つの名画の謎 ~その誕生に隠された真実」の第1部は、レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》、第2部はサルバドール・ダリ《十字架の聖ヨハネのキリスト》である。そして、これらの番組の紹介は、優れたアーカイヴス(第1部、第2部、第3部)としてネットに残されていた。 美術散歩 管理人 とら
北のヴェネツィアと呼ばれるベルギーの古都ブルージュ。運河を有するこの街は、13世紀から地中海と北海をつなぐ交易で大いに繁栄し、芸術文化の花が開いた。しかし15世紀末、この街は突如、歴史の表舞台から消えてしまった。このためこの街には中世の面影が色濃く残っている。
ドイツ生まれのフランドル絵画の巨匠メムリンクは、この街で制作を続け、市民権をとっている。街の中のメムリンク工房跡、マルクト広場、市庁舎、エルサレム教会、レース・センター、聖母教会なども紹介されていたが、途中で寝てしまった。ここではしっかり起きていた2か所の美術館についての記事とする。 Ⅰ.グルーニング美術館 Groeningemuseum こちらは、15世紀フランドル美術の傑作を中心におさめた市立美術館。 まずは、ヤン・ファン・エイクの豪華な《ファン・デル・パーレの聖母子 The Madonna with Canon van der Paele》1436↓。 ![]() もう一点のヤン・ファン・エイク作品は奥さんの肖像画↓。この髪型は当時の流行のもの。額縁に33歳と書きこまれているとのことだが、結構老けて見える。冷酷なリアリズム絵画である。 ![]() ![]() ![]() ![]() メムリンクはドイツ出身の15世紀の画家だが、ブルージュ市民となり、神秘的で明るい宗教画を残した。 番組では、この美術館に所蔵されている6点のメムリンク作品のすべてが紹介された。 1.《聖ヨハネの祭壇画 St John Altarpiece》1474-79 ![]() ![]() 中央画では、聖カタリナに指輪をはめている幼子イエス。マリアのモデルはマリー・ド・ブルゴーニュだとの説がある。絨毯の質感が素晴らしい。メムリンク自身が描き込まれているとのこと。左翼には洗礼者聖ヨハネの首が、右翼には福音書記者聖ヨハネが描かれている。 2.《ヤン・フロレインスの三連画 Triptych of Jan Floreins》1479 ![]() 3.《若い女性の肖像 Portrait of a Young Woman》1480 ![]() 4.《アドリアーン・レインズの三連画 Triptych of Adriaan Reins》1480 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら
最近は、テレビに沢山の美術番組が組まれている。デジタルTVのおかげで、素晴らしい画像を居ながらにして拝見できるので、このように寒い時期の美術散歩には最適である。その一つが、BSジャパンの「欧州美の浪漫旅行2」シリーズ。今回はドイツの3都である。
1.クロナッハKronach ドイツ・ルネサンス画家クラーナハ Lucas Cranach the elder は、1472年ドイツ、バイエルン州クロナッハで生まれた。現在の人口は1700人。古城街道沿いの街である。自分の名前のLucasは街の守護聖人の名からとったとのこと。 町には「ローゼンベルグ要塞 Fortress Rosenberg 」が残っているが、ここは16-17世紀の宗教改革による宗教戦争の舞台となったところである。その一角に、クラーナハの作品を沢山所蔵する「フランケン・ギャラリー Fränkische Galerie」があるが、これはミュンヘンにあるバイエルン博物館の分館ともなっている。 フランケン・ギャラリーにあるクラーナハの作品としては、民衆が石をつかんでいる《キリストと姦淫の女》、女が銭入れに手を突っ込んでいる《ふさわしくないカップル》、有名な蜂に刺されている《ヴィーナスと蜂蜜を盗んだキューピッド》↓、《ヤコブの泉とサマリア人の女》が出てきたが、いずれも素晴らしい。 ![]() ここは以前に中欧美術旅行の際に寄ったので、懐かしい場所である。 クラーナハは、この地に工房を構え、領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世以下3代に御用絵師として仕えた。 ルターは、1498年、アイスレーベンに生まれたが、1502年からはヴッテンベルグ大学で聖書の講義を行っていた。ローマ教会がバチカンの修理のために免罪符を売り出したことに反対し、城内教会の門に「95か条の論題」を張り出した。前述の旅行の際にも、この論題の門の写真を撮ってきた。 クラーナハは商才があり、薬局・印刷屋・書店に関わり、この地の市長にまでなっている。一方でクラーナハは、ルターの結婚の立会人になるなどルターと親密で、多数の宗教画を残しただけでなく、ルターとその家族の肖像↓を多く残している。カトリックでは、このように修道女と結婚することなどは夢にも考えられなかった。 ![]() ![]() ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリッヒ↓は、1547年のミュールベルグの戦いに敗れ、クラーナハは次男とともにワイマールに移り、最後の数年をこの地で過ごした。彼の墓もそこに残っている。 ![]() ワイマールは、ゲーテ、シラー、リストなどの文化人で有名だが、クラーナハも当然その一人に加えられる。 本人と次男の共作であるヘルダー教会の祭壇画↓は初めて見たが、キリストの胸から噴出する血の勢いに驚いた。この画の右側には黒い服装のクラーナハと聖書を持ったルターが並んで描きこまれている。 ![]() 【参考1】 BSジャパン:欧州浪漫紀行 1.トレド:サンタクルス美術館 2.ハーグ:マウリッツハウス美術館 3.ナポリ:カポディモンテ美術館 4.ニュルンベルグ:国立ゲルマン博物館 5.パリ:オランジュリー美術館 6.プラハ:プラハ国立美術館 7.ザルツブルク:レジデンツギャラリー 8.パリ:ルーヴル美術館 9.ワルシャワ:ワルシャワ王宮、ショパン博物館 10.サン・モリッツ:セガンティーニ美術館 11.ヴェネツィア:アカデミア美術館 12.ウィーン:オーストリア美術館 13.ベルリン:ベルリン絵画館 14.ブルージュ:グルーニング美術家、メムリンク美術館 15.マドリッド:プラド美術館 16.デンマーク・スケーエン:スケーエン美術館 17.オッテルロー:クレラー・ミュラー美術館 18.リスボン:ポルトガル国立古美術館 19.ドイツ・グライフスヴァルト:ポメルン州立博物館 20.ブリュッセル:ベルギー王立美術館 21.グラナダ:アルハンブラ宮殿 22.ハーレム:フランス・ハルス美術館 23.リスボン:カールスト・クルベンキアン美術館 24.コペンハーゲン:コペンハーゲン美術館 ・年末スペシャル:「クレラー・ミュラー美術館」、ドイツ「絵画館」、ベルギー「グルーニング美術館とメムリンク美術館」、ポルトガル「カルースト・グルベンキアン美術館」、デンマーク「コペンハーゲン国立美術館」、スペイン「プラド美術館」 ・新春スペシャル:ドイツ「アルテピナコテーク」、フランス「グラネ美術館」と「トゥールーズ=ロートレック美術館」、オーストリア「レオポルト美術館」、スロヴェニア「スロヴェニア国立美術館」、イタリア「ボルゲーゼ美術館」、トルコ「アヤソフィア博物館」 【参考2】 BSジャパン:欧州浪漫紀行2 1.ブダペスト:ハンガリー国立西洋美術館 2.ルブヤナ:スロベヴェニア国立美術館 3.ドレスデン:アルテマイスター 4.ロンドン:コートールド美術館 5.アントワープ:MAS美術館 6.ミュンヘン:アルテピナコテーク 7.ベルン:パウル・クレーセンター 8.イスタンブール:アヤソフィア博物館 9.南仏:ロートレック美術館、グラネ美術館 10.ローマ:ボルゲーゼ美術館 11.ウィーン:レオポルド美術館 12.アテネ:国立考古学博物館 13.ドイツ三都:フランケンギャラリー 14.ロンドン:テート・ギャラリー 15.パリ:マルモッタン美術館、モネ美術館 16.ウィーン:ウィーン美術史美術館 17.バーゼル:バーゼル市立美術館 18.カッパドキア:ギョレメ野外博物館 19.ベルリン:新博物館 20.パリ:オルセー美術館 21.ロンドン:大英博物館 22.フィレンツェ:ウフィツイ美術館 美術散歩 管理人 とら ![]() 5年がかりで仕上げた画には、ウフィツィ宮殿やピッティ宮殿に収蔵されている名品が沢山描きこまれている。画だけで25点。 ![]() 01.アンニバーレ・カラッチ《ヴィーナスとサチュロス》可哀そうに#24グエルティーノ工房の《サモスの巫女》↓は床に転がっている。 ![]() おまけに自分自身に#23ラファエロの《ニコリーニ・カウパーの聖母》↓を、ギャラリー管理人のピエトロには#25ティツイアーノの《ウルビーノのヴィーナス》を持たせて画の中に描きこんでしまった。 ![]() もちろん帰国後、この画の評判は最悪で、以後王室からの注文は途絶えてしまったが、振興してきた中産階級からの注文があったため、ゾファニーは経済的には困らなかったらしい。 美術散歩 管理人 とら
版画を主体とするレンブラント展に併せてという企画だったのだろうが、大震災のため遅れてスタートしたものである。
![]() とくに版画というメディアは大衆的なものであり、近世の北方版画では人間の愛欲を視覚化した図像や、死や罪を教訓的に表わした寓意像が自然主義的な描写の中に登場しているものが少なくない。 この企画では、そのように「奇想」と「自然」が混ざっているような15-16世紀の版画46点が展示されていた。 展示場に入って最初に遭遇するのはクラーナハの木版である。この北方ルネサンスの巨匠は自分で彫りも行っていたのだろうか。↑のポスターでは聖アントニウスの顔が良くわからなかったが、実物↓と説明を見てやっと発見した。分かりますか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 15世紀のデューラーは下絵、彫版、印刷のすべてを自分自身で行っていたが、16世紀になると、画家の下絵が専門の彫版師や印刷師の手を経て版画となる分業が確立した。ブリューゲルの作品は一流の版画師たちの手を経て今も残っているのである。ブリューゲルに版画の下絵を依頼したのはアントワープの版画商ヒエロニムス・コック。ときにはブリューゲルの油彩画からも版画が作られた。 今回の展示のしリストの作者名の欄には下絵や原画の作者ではなく、版画を彫ったファン・ドーテム兄弟やフィリップ・ハレが挙げられていたが、これは一見識であるといえる。 ↓はハレの《キリスト復活》、↓↓もハレの《賢い処女と愚かな処女のたとえ》。前者の復活したキリストの頭上に窓が映っているが、これは展示場の蛍光灯が偶然に映りこんだもの。後者の愚かな処女(こちらも偶然の光点)が上っていく右側の扉は閉ざされている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この展示は6月12日まで。お勧めです。 美術散歩 管理人 とら
15世紀, バチカンは苦境に立っていた。東ローマ帝国が衰微し、イスラムに対して自らを防衛しなければならなくなったからである。バチカンは自ら要塞を持たざるをえなかった。システィーナ礼拝堂はその要塞の中にあるが、教皇がミサを行うキリスト教の中心の場所である。この場所の画の中にギリシャ神話やユダヤ教の話、さらには暴力的な天使まで描かれているのはなぜなのだろうか。これは当時のユリウス教皇が、人々を不安にさせる作品の力を利用して人々の心をとらえようとしたからである。
システィーナ礼拝堂はバチカン美術館の一部となっているが、ここには異なる時代の異なるメッセージの壁画が並存している。 その一は、礼拝堂の両側面に描かれた聖書の物語である。一つの側面にはモーゼの物語、他の側面にはキリストの物語が描かれている。ペルジーノ、ボッチチェリ、ピントリッキオ、ギルランダイオ、ロッセッリ、シニョレッリがその制作に加わっているが、人物に動きが少なく、聖人には光輪が付けられている。 このような側面の壁画が描かれたのは、ミケランジェロが天井画を描く30年前のシクストゥス4世の時代のことであり、キリスト教の権威と伝統を守ることを目的としていた。この時代、天井には青い星空だけが描かれていた↓。 ![]() ユリウス↓は「恐るべき教皇」と呼ばれていた。もちろんこのことは批判の対象となったが、自ら戦場に出て、白いマントを着て、剣を持って戦ったほどである。15世紀は大航海時代であり、新しい価値観が求められ、キリスト教は衰退していた。 ![]() ![]() ミケランジェロは、1508年から4年間を費やして500㎡の天井画を完成したが、そこに描かれているのは裸体に関連するものばかりだった。その内容は伝統的なものと大きく異なっており、《アダムの創造》の神は人間と並列の位置に置かれ、神自身が中世のものとは異なって忙しく立ち働く姿で表現された。すなわち、この天井画は人間中心であり、すべての者がいきいきとした姿で描かれていたのである。 これはどうしたことなのだろうか。その答えはフィレンツェのミケランジェロ博物館に残っている手紙などの資料から知ることが出来る。ユリウスの最初の希望は「キリストの十二使徒を描く」というものであったが、ミケランジェロは「それでは貧弱なものになるので、違うテーマで描く」と答えている。 絶大な権力を持つユリウス二世がどうしてこのミケランジェロの提案を了承したのだろうか。そこには教皇の信任の厚かった「エジーディオ・ダ・ヴィテルボ」枢機卿というキーパーソンがいたからである。 エジーディオはヴィテルボ村の教会や近くのマルタ島の修道院で聖職者としての研鑽を積み、当時免罪符の販売や聖職の売買の横行といった堕落した教会を本来の姿に戻すには聖職者自身の意識を改革して、中世の閉ざされたキリスト教を変革することが必要であり、それには「人々が神に祈る」ことだけを重視していくべきであるとの結論に達していた。 エジーディオはローマで枢機卿となり、教皇の代弁者ともなった。1507年にポルトガルがマダガスカル島を発見したことを讃える祝賀のミサでは、エジーディオが説教を行っている。この説教の内容が残っているが、それは「新世界は神から与えられたもので、ユリウス二世の時代に黄金時代が訪れる」とし、キリスト教の本質的な復活を告げるものあった。 当時フィレンツェは、14世紀以降、メディチ家の支配のもとに都市文化が栄え、ルネサンスが花開いていた。東方ビザンチン教会と西方ローマン・カトリック教会が対イスラムの目的で集合した合同会議もフィレンツェで開催され、これを題材としたメディチ・リッカルディ宮殿にあるベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画《東方の三賢王》の中には、ビザンチンの代表者たちに加え、コジモ・メディチの顔も描きこまれているほどである。 ビザンツ帝国にはギリシャ文化が残っており、西方では失われてしまっていた「プラトン主義」を伝える文書が、この会議の折にフィレンツェにもたらされた。この「プラトン全書」がマルシリオ・フィチーノによってラテン語に翻訳され、プラトン・アカデミーが設立されるに至った。ここではギリシャ哲学が受容され、その庭園にはギリシャ・ローマの彫刻が並べられていたとのことである。若いミケランジェロもこのプラトン・アカデミーに学んでおり、16歳の折に作った《ケンタウロスの闘い》↓にはギリシャ神話を題材にした裸体が沢山彫られている。 ![]() 出来上がった天井画には異教のテーマであるユダヤ教の預言者やギリシャ神話の巫女が含まれているが、このような主題はエディージョが考えたストーリーそのもので、ミケランジェロは実際に描くだけだったとのことである。 ![]() この画が意味するのは、エジーディオの考える教会本来の姿、すなわち「異教の地への布教による教会の拡大」だったのである。結果として、この天井画はギリシャ文化・ユダヤ文化・カトリック文化を融合した新たな文明の創生を指向したものとなったが、これはユリウス二世・エジーディオ・ミケランジェロという3人の合作であるともいえるのである。 ミケランジェロの肉体の描写については、サント・スピリト教会にその鍵がある。ミケランジェロはそこの《木彫りのイエス像》の肉体表現のために、修道院の病院で人体解剖を行ったのである。当時、人体解剖は医科大学以外では禁じられており、ミケランジェロは解剖された若者の遺族から訴えられたが、修道院長は「天才は例外である」と認めたとのことである。ミケランジェロは人間の裸体を芸術で再現しようとしたのであり、そのために解剖を行ったのであった。システィーナの天井画については2枚のデッサンが提示されたが、これらはミケランジェロが人体の筋肉の動きを十分に研究していた証左である。 ミケランジェロが脳の断面を知っており、これが《アダムの創造》に利用されているとの説を 早速、PubMedで検索してみると、当該文献は以下の通りであることが判明した。著者の所属は、聖ヨハネ病院St John's Medical Center, Anderson, Ind.であり、放送のジョンス・ホプキンス大学Johns Hopkins University, Baltimore, Md.とは似て非なる施設。たまたま私が後者に留学していたので気になった次第である。 ○著者: Meshberger FL.ミケランジェロがこの天井画に描いた物語はユダヤの民の救済の物語であるという考え方もある。当時ローマでは、ユダヤ教は異教とされていたが、ミケランジェロはユダヤ教に親近感を抱いていた。ユダヤ人は布地産業に携わることが多かったが、ミケランジェロの親戚には布地を扱っていた者がいたという。ミケランジェロが、この絵の中にユダヤ教の教えを隠し描いているとの考えも紹介された。《アダムとイヴ》については、キリスト教ではリンゴ、ユダヤ教では果実(イチジク)であるが、システィーナにはイチジクが描かれている。《大洪水》の場合、キリスト教では船であり、ユダヤ教では箱であるが、ここには箱が描かれている。 ミケランジェロは1527年に起こったフィレンツェ革命の革命側に味方し城壁案を書いたりしているが、革命軍の仲間からも裏切られ、革命を支持したとして命を狙われるが、その時にミケランジェロが2ヶ月間身を隠した隠し部屋がサン・ロレンツォ教会のメディチ家廟にある。ここで1974年の法律改正に応じて非常口を作るため、置いてあったタンスを動かしたところ、隠し部屋へ降りていく階段が見つかったのだという。この隠し部屋の壁にはミケランジェロの人体スケッチが沢山残っている。このことは今回初めて知った。 ![]() ミケランジェロが33-37歳時に描いた楽観的でエネルギーに満ちた天井画と1536-41年(61-66歳)の5年間で仕上げた画との違いはショッキングなほど明らかである↑。《最後の審判》は全体として恐怖を描いた画となっており、若い時の天井画に描かれた若者がすべて悪者になってしまっている。《最後の審判》は人類を悲観的にドラマチックに描いているのであり、同性愛者であり、神経病みで、孤独で、不快な人間であったミケランジェロそのものの表象であるともいえる。 「レオナルドの謎」については、近年いくつも見聞しているが、「ミケランジェロの謎」ついての知識はごく限られている。その意味でこの番組は新鮮で、得るところが多かった。 美術散歩 管理人 とら
新聞によると次期のNHK会長選が泥沼に入りかけているようだが、このところのNHKのイタリア関連番組は凄い。確か2001年の「日本におけるイタリア年」には全国的な大イベントがいくつも催されたが、今回はNHKの一人舞台である。イタリア建国150年と関係があるとのことだが、理由は何でもつけられる。見習うべきは、行政やビジネスが一体になったイタリアの売り込み方である。日本もこのようなPRを各国で日常的に行うようになれは、暗い日本経済に光が差して来ることだろう。
閑話休題。別な番組から「ウフィツィ」の番組にチャンネルを変えたのは、この番組が始まって20分ほど経っていた。 画面には、ボッティチェリの《プリマベーラ》が出ていたので、ウフィツィ美術館の初期ルネサンス絵画におけるヴィーナスの天国の話題なのだろうと想像した。 ここで「第1の質問: ボッティチェリが300年も忘れられていた理由は?」が出てきた。民放の番組と違い、ここではタレントが番号札を取り出す場面はなかったが、視聴者の気を引こうという低俗さは共通。ここで「ボッティチェリを再発見したのは、ラスキンやラファエロ前派の画家たちだった」ということぐらい入れば、さすがNHKといえるのだが・・・。 佐藤幸三著・河出書房新社1998年発行の図説「ボッティチェリの都 フィレンツェ」↓の書き出しが、「忘れていた画家」となっているのであるから、陳腐な設問からのスタートである。 ![]() ![]() 次は「フィレンツェ第2幕」すなわち盛期ルネサンスの時代である。 まず登場したのは「ヴェッキオ宮殿」。フィレンツェの政治の中心であり、現在も市庁舎として使われている。戦を勝ち抜いて、ロレンツォの死後45年目に、フィレンツェに復権したのはコジモ1世。彼がヴァザーリに命じて500人広間↓の天井画や壁画を完成させた。 ![]() ここで、第2の質問。「コジモにとっての美とは?」である。質問の意味が良く分からないが、まあ良しとしよう。 ウフィツィ美術館タルトゥフェリー副館長に引率された番組の男女二人の司会者は、ヴァザーリの回廊を歩いていく。ここには美術史学者や学生だけが見られる部分とヴェッキオ橋上の自画像展示部分があるように聴こえたが本当だろうか。後者には以前に訪れており、昨年損保ジャパンでその展覧会もあったのでお馴染みである。 回廊の上から見下ろす丸窓は君主すなわち政治権力者のコジモの眼である。自分の地所を売らなかった頑固者がいたため、回廊が迂回し狭くなっているところがあるのがおかしかった。サンタ・フェリチタ教会を覗けることは知っていたが、回廊の外に階段があり、バルコニーに下りていける構造になっていることは今回はじめて知った。 回廊の突き当たりから直接ピッティ宮殿のパラティーナ美術館に入っていける構造も今回初めて理解した。わたしが行った時には庭園の方に出されてしまったからである。こちらの美術館で紹介されたのは、リッピ《聖母子と聖アンナ》、ラファエロ《小椅子の聖母》・《大公の聖母》、ティツイアーノ《ラ・ベッラ》、ルーベンス《戦争の結果》↓。 ![]() メディチ家はその後衰退の一歩を辿っていくが、ここで第3の質問。「では、なぜルネサンスの作品が今日まで残ったのか?」 ここには「フランチェスコ一世」が登場する。コジモの息子ながら、内気でメディチ家最悪の男といわれている。 ヴェッキオ宮殿の500人広間の片隅から彼の「ストゥディオーロ(書斎)」↓に入っていくことができる。画が一杯だが、窓がなく、蝋燭のみの照明で、フランチェスコ一世が思索にふけった小部屋である。 ![]() ![]() ![]() フランチェスコ1世のストゥディオーロに掛かった画の裏には秘密の戸棚が存在している。当時ここには宝物が収納されていたが、現在その中身はピッティ宮殿の「銀器美術館」に移されている。紹介されたのは、《ラピスラズリの細口瓶》↓、《中国産オーム貝・銀・トルコ石の水差し》、《植物・鳥・魚文様の水晶水差し》。 ![]() フランチェスコ1世は行政庁舎のウフィツイを美術館に改めた。もっとも力を入れたのは「トリブーナ」↓である。ここは8角形の部屋で、天窓はオーム貝で飾られている。フランチェスコ1世は、ストゥディオーロの宝物をこのトリブーナに移し、ギャラリーを作ることにうつつを抜かした。 ![]() ![]() 美術散歩 管理人 とら 註: 「ウフィツィ」か「ウッフィッツィ」か? < 前のページ次のページ >
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