記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
水戸の《オピー展》など、液晶ディスプレイを使った現代美術を見る機会が増えてきた。今回もそういう意味で期待して見に行った。
地下1階の「第一会場」 ○ポーランドのミロスワフ・バウカ《BlueGasEyes》: 床に置かれたた塩のスクリーンに向けて、天井から青いガスコンロの炎が二つ投影されている。瞑想的な作品であるが、一人よがり的でもある。 ○やなぎみわ《Fortunetelling》: 映像の中に少女が2人と老女の仮面を付けた少女が2人。2人椅子に座ってタロット占いをしている。その後ろで、2人の少女がつかみ合いをしている。「若さと老いの対立」といった陳腐な概念を示すのだとしたら、ゴチャゴチャしすぎている。 ○ジュリアン・オピーのコンピューター・アニメーションはお気に入り。とくに浮世絵風の作品が綺麗で良かった。渦の動きが面白い。《イヴニング・ドレス》(↓右)の女は、目・眉・耳・口を動かし、《ペンダントをつけたキエラ》(↓左)では、目と時計が動いている。これらは水戸の「オピー展」の二番煎じ的だがやはり良い。 ○千住博の《水の森》は期待していったのだが、日本画の雰囲気は保っているものの、液晶という映像環境を活かしきっていない。下部の水が後から前へ出てきても、溢れてきているという感じしかしない。これが横に流れて川となっていたらどんなに良かったことか。 ○イヴ・サスマンの《浮上するフェルガス》は、超スロー再生によって過度なまでに時間を引き延ばした作品。こんなものに付き合う時間はない。 ○サム・テイラー=ウッドの《ピエタ》はミケランジェロの有名な彫刻作品のように、十字架から降ろされたキリストを抱くマリアの姿を自らで表現しているが、なんてことはない。また《スティル・ライフ》と《リトル・デス》は、17世紀ヨーロッパの静物画がだんだん黴が生えたり、蛆がわいたりして腐っていく汚い作品。 ○小島千雪の《リズミカルム、砂の陸》は、何を表しているかまったく分からない独りよがり作品。 ○上海の邱黯雄(Qiu Anxiong)の水墨画のような映像作品《新山海経・二》は、試験管で受精され動物が、宇宙に向かい、環境汚染の犠牲となって消滅していくというようなアイロニカルなマンガといってよいのだろう。これはけっこう楽しめた。 2階の「第二会場」 ○ポーランドのドミニク・レイマンの《平和の挨拶を交わしなさい》は教会の中の静かな人々が最後に動いて挨拶を交わすというたわいないもの。 《Yo Lo Vi》はゴヤの異端審問裁判に想を得たものだそうだが、少し時間をずらしながら鑑賞者自身の姿が作中に投影されていくのが面白い。 ○鷹野隆大の《電動ぱらぱら》は上半身、下半身が分けられ、様々な人物が服を脱いでいく過程の写真作品を繋げた映像作品。性や個人がばらばらに組みあわせられ、とても面白い。最後には、鑑賞者自身も参加するようになっている。 ○ビル・ヴィオラの《プールの反映》は1977-79という昔の作品。当時最先端だったビデオ技術を用いて、複数の時間層を映像として結合させたものだが、今では陳腐なものとなっている。水という普遍的なモチーフと周りの森の緑が美しいが、基本的なテーマは良く分からなかった。 ○ブライアン・イーノの《サーズディ・アフタヌーン》は人物と風景が別々の映像となっていたが、これも意味不明。ゆっくり動くのでチョット付き合ったが、時間泥棒である。 ○森村泰昌の《フェルメール研究(振り向く絵画)》はフェルメールの「画家のアトリエ(絵画芸術)」のクリオと後ろ向きの画家とこれらから離れて描いている画家の3人とも森村がなり代わっている。 新作《フェルメール研究(振り向く絵画)》では、フェルメール《真珠の耳飾りの少女》は、最初はシャンデリアのある大きな部屋で読書しているが、次第にズームされ、周囲が切られて少女だけになり、最後にこちらを向いて森村がまばたきするというパロディー。これは面白かった。 映像と画像の違いは、時間軸を有するか否かというだけである。この時間軸にはモチーフの時間的な変化の表現というプラスのみならず鑑賞者の貴重な時間の消費というマイナスの両方向がある。その点、一部の作品は時間軸があまりにも作者の恣意に任されていた。展覧会の企画者は、この点に留意して鑑賞者の時間を保護する責任があろう。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2008-09-22 21:19
| 現代アート(国外)
|
ファン申請 |
||