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永青文庫で開かれている展覧会「細川護立と近代の画家たち-横山大観から梅原龍三郎まで」を見てきた。
永青文庫に来たのは2015年9月の「春画展」以来だから、2年ぶり。館内にはエレベーターが設置されていた。 今回の「お目当て」は、前期(7月30日まで)に出ている平福百穂の屏風《豫譲》である。4階展示室の冒頭に展示されていたが、まずは172.0 x 374.7cm というその大きさに仰天する。背の高い屏風としては、(↓)の妙心寺屏風が有名だが、平福百穂の屏風《豫譲》は、幅が大きく、画面に余白が多いため、妙心寺屏風よりも大きいように感じた。 【参考】妙心寺屏風 ・海北友松《花卉図屏風》各178.1 x 361.4cm ・海北友松《寒山拾得・三酸図屏風》各178.1 x 359.5cm ・海北友松《錦旗書画図屏風》各178.5 x 263.4cm ・狩野山楽《巌子陵・虎渓三笑図屏風》各178.2 x 172.5cm ・狩野山楽《文王呂尚・尚山四晧図屏風》各178.0 x 363.0cm ・狩野山楽《龍虎図屏風》各178.0 x 360.0cm ・平福百穂《豫譲》大正6年 六曲一双屏風 絹本裏箔着色 172.0 x 374.7cm 「豫譲」とは、「史記」の「刺客列伝」に登場する春秋戦国時代・晋の英傑。敗死した主君「智伯」の仇を単身討とうと試みたが、遂に果たせなかった。 「智伯」は、豫譲の才能を認めて、国士として優遇していた。数年後、智伯は宿敵の「趙襄子」を滅ぼすべく、趙襄子の居城である晋陽を攻撃したが、味方の裏切りのため「智伯」は敗死した(紀元前453年)。 「智伯」に対して積年の遺恨を持っていた「趙襄子」は、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒盃として酒宴の席で披露した。一方、辛うじて山奥に逃亡していた「豫譲」はこれを知り、復讐を誓った。 左官に扮して晋陽に潜伏していた「豫譲」は、「趙襄子」の館に厠番として潜入し暗殺の機会をうかがったが、挙動不審を怪しまれ捕らえられた。側近は処刑する事を薦めたが「趙襄子」は「豫譲」の忠誠心を誉め称えて釈放した。 釈放された「豫譲」は復讐をあきらめず、再び「趙襄子」を狙った。やがて、「豫譲」はある橋のたもとに待ち伏せて「趙襄子」の暗殺を狙ったものの、通りかかった「趙襄子」の「馬」が殺気に怯えたため、見破られて捕らえられた。 平福百穂はこの状景を取り上げて屏風《豫譲》にしたのである。平福百穂が左隻に描いたのは、橋のたもとで待ち伏せていた豫譲が剣を持って飛び出してきたところ。 【参考】橋本雅邦《豫譲》川越市立美術館 ・菱田春草《平重盛》明治27年頃:後白河上皇幽閉を企む父・清盛を諌めるため六波羅に駆け付ける場面を描いている。 ・梅原龍三郎《唐美人図》昭和25年(1950):再見。梅原龍三郎の《唐美人図》は、護立コレクションの《加彩舞妓傭》を借りて写したもの。今回その《細川護立宛・借用依頼書簡》も展示されていた。 この傭は、豊かな髪を高々と結い上げ、金箔で飾られた華麗なもので、現在、重要美術品となっている。玄宗皇帝が、夢で仙人と月宮で遊び、桂樹のもとで月女の舞うのを見た。後にこの夢を舞曲に表現させたが、この傭はその曲を舞う舞妓である。 ・《鳥尽》4面のうち2面 昭和初期:細川護立は、新潟・赤倉温泉の細川家別荘に親しい画家たちをしばしば招いたが、杉戸絵《鳥尽》全4面に、12名の画家が一羽づつ異なる鳥を描いた。今回出品されていたのは(↓)の杉戸絵で、右下から大智勝観、横山大観・田中青坪、荒井寛方、堅山南風が描いている。
by cardiacsurgery
| 2017-07-07 20:54
| 近代日本美術
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