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静嘉堂文庫美術館で開催中の「挿絵本の楽しみ~響き合う文字と絵の世界」に行ってきた。この美術館の館長が河野元昭氏に変わり、いくつかの新機軸がみられた。
①イヤフォーンガイドが準備されていた。【展示構成】は以下の通り。 錦絵の中の文字主要な展示品は以下のようである。 錦絵の中の文字 ・歌川国貞《新版錦絵当世美人合 杜若きどり・粂三きどり》文化2年(1815)頃:これらの錦絵の上部には文字が書かれている。ちなみに、杜若=五代目岩井半四郎の俳名 、粂三=岩井粂三郎。(↓↓)は、(↓)左図の駒絵の詞章。 日本における「挿絵本」:日本では古くから絵巻物があり、「文字」と「絵」の共存は早くから見られたが、中国の技術が日本に入ってくると、錦絵となり、版の彫りの細かさは女性の髪の毛の表現として受け継がれた。錦絵では絵が主体で、文字は「駒絵」に書かれる程度となった。中国の「文主絵従」が「絵主文従」に変化したのである。Ⅰ.神仏をめぐる挿絵 ・「妙法蓮華経変相図」中国・南宋時代前期(12世紀)写:日本人にも親しみあるお経「法華経」を絵解きしたもの。仏菩薩や地獄の面々が、法華経の内容を解りやすく教えてくれる。本邦初公開! 中国における「挿絵本」:中国は漢字、文字中心の文化で、絵を入れることに対して抵抗感があった。中国で絵が入るようになったのは、明時代(14~17世紀)以降、家柄や身分に関係なく受験できる官吏登用試験「科挙」が実施されるようになってからである。貴族にとって周知の知識であった礼儀や装束なども、科挙の参考書では記載する必要が出てきた。その際には文字だけでは無理があり、「挿絵」が盛り込まれるようになった。・「纂図互註礼記」中国・南宋時代(12世紀前半~13世紀後半)刊:儒教のテキストのひとつ、『礼記』の注釈書。語句の注釈と共に挿絵も添えられている。官吏登用試験「科挙」の受験参考書として作られた。 ・「程氏墨苑」中国・程大約撰 明時代・万暦34年(1606)刊 :製墨師「程大約」による墨のデザインのカタログ。全部で515図あり、墨のデザインと文章が一体となって、単なるカタログにはない重厚感をかもし出している。掲出箇所は「竹林七賢」図。 與可の竹、思肖の蘭、華光の梅、皆愛する所を写し、自ら性情を撥抒し、兼ねて以て人に贈るなり。然れども人の好悪は一ならず。王衍は泉(ぜに)を忌み、欧陽公は蠅を憎み、眉山翁は棋を悪(にく)む。我と好みを同じうせんと欲すと雖も得べけんや。予に六如・老蓮の癖有り。酒を佐(すす)むるに盼盼に非ざれば楽しまず。夢を同(とも)にする蓮香に非れば眠らず。故に情の鍾(あつ)まる所、能く其の思ふ所を発揮す。夫れ人、生きながら飲啄牝牡(いんたくひんぽ)の欲無き者は人に非ざるなり。是を以て予の好む所は天下の公道にして、與可・思翁の愛する所は一人の私淑なり。因て予の愛妓を写して顕斎に寄す。顕斎予と好みを同じうするや否や。時に天下奢りを禁じ、我が妓は玉梳金釵を徹(と)り、素面軽羅、雨後の菡萏(かんたん)の如し。是れ天保戊戌六月朔十日。崋山外史戯れに画き又記す。 ・「東韃紀行」間宮林蔵述・村上貞助記 江戸時代末期(19世紀)写:間宮林蔵(1775-1844)は、幕府の命により文化5-6年(1808ー9)にかけて、樺太の西岸を北上し、樺太が島であることを発見するとともに(間宮海峡の発見)、黒竜江下流地域の東韃(とうだつ)地方まで調査を行った。本書は林蔵の黒竜江下流域探検について口述したものを村上貞助(1780-1846)が編集・筆録したもの。 ・「琵琶記」中国・高明撰 明時代・万暦(1573-1619)刊 :中国元代末(14世紀後半)に作られた戯曲。後漢の学者蔡邕(さいよう)とその妻をめぐる波乱に満ちた物語は、この分野での最高傑作の一つに数えられている。また、挿絵の彫りも極めて精緻で、当時の技術の高さをうかがえる。掲載箇所は、夫の行方を捜すために、一人、琵琶を背負い都に上る妻の姿。 在原業平の歌は「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(世の中に桜なんて無ければよい。そうであれば、桜の散る姿に心乱されることもないのに)。 ある若い貴公子(詠み人知らず)が詠んだ返歌は「散ればこそ いとど桜は めでたけれ うきよになにか 久しかるべき」(桜は散るからこそ良いので、憂えることばかりあるこの現世に、いつまでも留まり続ける意味はないでしょう) ・西洋美術における絵と文字の統合(高階秀爾氏講演会):ルネ・マグリットの《これはパイプではない》という画は「このパイプは画だから、これからタバコはすえない」というマグリット特有のユーモアであるが、CET N’EST PAS UNE PIPEという文字板はパイプの画の下に貼りつけられた形で描かれている。 ・日本美術における絵と文字の統合(高階秀爾氏講演会):日本では、本阿弥光悦筆・俵屋宗達下絵の《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》のように絵と字の統合が完成している。字の大きさ、配置などが「散らし書き」になっているのである。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-05-20 15:35
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